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第4話 宛先不明

 ドレイクハルト家の没落は、あまりにも静かだった。


 屋敷の正門に貼られた通達は、簡素で、感情の入り込む余地がない。


 ――財産、全没収。

 ――爵位、剥奪。

 ――帝国機構崩壊に伴う、管理責任による行政措置。


 ただ、それだけだった。


 帝国が崩れた今、

 誰が何を叫ぼうと、

 彼らを守る仕組みは、もう存在しなかった。




 屋敷は、数日のうちに空になった。


 壁を飾っていた肖像画は外され、

 宝石箱は封じられ、

 使用人たちは、最後まで主の顔を見ようとはしなかった。


 フロナの父・ヴァルターは、

 何もなくなった応接間に一人立ち尽くしていた。


 ここで彼は、何度も語った。


 才能は資源だ。

 血は価値を決める。

 感情は、判断を誤らせる。


 そのすべてを、

 「正しい」と信じてきた。


 ――信じてきたはずだった。


「……フロナ」


 名を口にした瞬間、

 喉の奥が、ひくりと引きつった。


 彼は初めて気づく。


 娘の名を、

 一人の愛する娘の名前として読んだことがなかった、のだと。




 机の上には、紙とペンだけが残っていた。


 ヴァルターは、それをしばらく見つめ、

 やがて、震える手でペンを取る。


 何を書けばいいのか分からない。


 謝罪か。

 弁明か。

 助けを乞う言葉か。


 書き出した文は、すぐに消した。


 どの言葉も、

 自分の選択を正当化しているように見えたからだ。


(……あの子が、混ざり物じゃなかったら)


 一瞬、そんな考えが浮かぶ。


(純血で、

 帝国にとって“扱いやすい才能”だったなら)


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


(……違う)


 ヴァルターは、ゆっくりと首を振る。


(もし、あの子を

 最初から、条件なしで愛していたら)


 血も、才能も、

 帝国の評価も、関係なかった。


 ただ――

 「お前は大丈夫だ」と言ってやること。


 それだけで、

 世界は違っていたのかもしれない。


 だが、その世界は、もう存在しない。




 手紙は、結局、短くなった。


 言い訳を削り、

 願望を消し、

 残ったのは、どうしようもない後悔だけ。


 封をして、宛名を書く。


 ――フロナ・ヴァルシュタイン。


 その名を書いた瞬間、

 ヴァルターの手は、はっきりと震えた。


 娘を、

 家の資産でも、帝国の道具でもなく、

 自分の娘として呼んだのは、これが初めてだった。




 数日後。


 返ってきた封筒には、

 簡素な朱印が押されていた。


 「宛先不明」


 それ以上の言葉は、なかった。


 怒りも、拒絶も、罵倒もない。


 ただ――

 もう、そこに関係が存在しないという事実だけが、

 冷たく突きつけられていた。


 ヴァルターは、封筒を握り潰し、

 その場に崩れ落ちた。


「……もう謝罪すらできない、のか」


 答えは、返らない。



 フロナの母・エリセは、夜明け前に目を覚ました。


 理由は分からなかった。

 ただ、胸の奥が、ひどくざわついていた。


 寝台の横に置いた魔法石へ、無意識に手を伸ばす。

 灯りをともすだけの、簡単な魔法。


 これまで、呼吸のように使ってきた力だった。


 ――けれど。


 魔法石は、沈黙したままだった。


「……あれ?」


 もう一度、霊素フェアリーに意識を向ける。


 いつもなら、

 指先にまとわりつくように感じられる、

 柔らかな気配。


 それが、ない。


 正確には――

 ”こちらを見ていない”、ようだった。


 霊素フェアリーは、存在する。

 世界から消えたわけではない。


 だが、それは、

 彼女の呼びかけに応じようとしなかった。


 その瞬間、エリセは悟ってしまう。


(……怒っている)


 霊素フェアリーが。


 声も、姿もない。

 けれど、はっきりと分かった。


 これは枯渇でも、封印でもない。


 ”拒絶”だ。


 エリセは膝から、ゆっくりと崩れ落ちた。


 それと同時に、彼女の脳裏に、

 望んでもいない光景が次々と浮かび上がった。


 水色の髪を疎ましく思ったこと。

 「混ざり物」と呼んだこと。

 霊素フェアリーに愛される娘を、

 どこかで妬んでいたこと。


(あの子が、

 あんな力を持っていなければ……)


 一瞬、そう思いかけて、

 喉の奥が詰まった。


(違う)


(私が、

 あの子を

 ちゃんと見てあげていたら)


 条件など、いらなかった。


 血も、価値も、

 帝国の規範も。


 ただ――

 抱きしめてやること。

 名前を呼ぶこと。


 それだけで、

 世界は違っていたのかもしれない。


 エリセは、もう一度、霊素フェアリーに呼びかける。


 返事は、ない。


 代わりに感じたのは、

 冷たい距離だけだった。


(……もう、私は)


 霊素フェアリーに許されることはない。


 その事実が、

 どんな罰よりも重く、

 静かに、彼女の心を押し潰した。



 数週間後。


 元・公爵だった一家は、

 帝都の外れで、粗末な部屋を借りていた。


 ヴァルターはまだ構成魔導アーキテクトを使えていた。

 だが、それで生活を立て直せるほどの価値は、

 もう、どこにもなかった。


 魔法石も、補助術式も、

 それを「仕事」に変える仕組みが、すでに失われていた。


 ヴァルターは、夜ごとに手紙を書く。


 出すことのない手紙を。


 エリセは、

 街角で水色の物を見かけるたび、

 無意識に足を止めてしまっていた。


 そこに、娘はいない。


 それでも、

 目が探してしまうのだった。



 一方、ヴァルシュタインで、

 フロナは、今日も書類に目を通していた。


 物流網の再編。

 魔素流の安定報告。

 新連邦への加盟要請。


 机の端に、

 未開封の封筒が一通置かれている。


 差出人不明。


「私には捨てられないから……捨ててちょうだい」


 それ以上、悲しそうな目を、

 手紙に向けることはなかった。


 カイが静かに頷き、

 封筒を持ち上げる。


 カイの闇と土魔法で、手紙は砂になり、

 サラサラと床に落ちて消えた。





 フロナは、窓の外を見た。


 人が行き交い、

 街が、確かに生きている。


 彼女は、誰も罰しなかった。

 でも、赦しもしなかった。


 ただ――

 これ以上、フロナの人生に、入れなかった。


 それだけだった。



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