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第2話 黄昏は、音もなく

 帝都に朝が訪れた。


 空は澄み、雲もなく、

 天候だけを見れば、穏やかな一日の始まりだった。


 だが、その朝はいつもと違っていた。


 大通りに並ぶ魔導街灯は沈黙したまま。

 夜明けの時刻を過ぎても、淡い光を灯すことはない。


 人々は最初、それを不具合だと思った。


 よくあることだ。

 帝国の魔導機構は複雑で、調整の遅れは珍しくない。


 だが――

 その「いつもの朝」は、いつまで経っても来なかった。



 王城の執務室で、セドリックは窓の外を睨みつけていた。


 街が、妙に静かだ。


 いつもなら聞こえるはずの、

 馬車の軋む音、

 商人の呼び声、

 魔導装置の低い稼働音。


 それらが、すべて欠けている。


「……報告は?」


 呼び鈴を鳴らす。


 返事はない。


 もう一度、強く鳴らす。

 それでも、誰も来なかった。


 苛立ちを隠さず、セドリックは自ら扉を開ける。


 廊下は、広すぎるほど静まり返っていた。


 いつもなら文官や侍従が行き交う時間帯だ。

 だが、視界に入る人影はまばらで、

 皆、足早にどこかへ消えていく。


「何をしている……!」


 怒鳴った声は、虚しく石壁に反響するだけだった。




 ようやく捕まえた高官は、

 かつて帝国の中枢を担っていた男だった。


 だがその顔にあるのは、恐怖でも焦燥でもない。


 長い夜を越えた者だけが持つ、

 疲労と諦念。


「報告しろ」


 命令口調で言ったが、

 声にはかすかな揺れが混じっていた。


「……魔力供給炉が、完全に停止しています」


「一時的なものだな」


 即答する。

 そうでなければならない。


「復旧は?」


「不可能です」


 高官は、淡々と言った。


「構成式が破壊されたのではありません。

 接続そのものが、存在しなくなっています」


 セドリックは、言葉を噛み砕くように黙り込む。


「……どういう意味だ」


「帝国の魔導網は、

 “フロナ様の思考”を中核に組み上げられていました」


 一瞬、高官は沈黙した。


 再び高官は、言葉を続けた。


「物流、結界、財政、軍事。

 すべてが――

 フロナ様の次の判断を前提に、設計されていたのです」


 セドリックの脳裏に、

 地下の構成室が浮かぶ。


 装置に繋がれ、

 無言で計算を続けていた水色の髪の混ざり物が、作り上げていた?


「……そんな馬鹿な」


「だから、今――

 誰も、次を作れません」


 それは、帝国の死刑宣告だった。



 城下では、人々が少しずつ異変を理解し始めていた。


 市場は開かれている。

 だが、棚は空だ。


 パン屋の前に、列ができている。

 だが、焼き窯は冷え切っている。


「魔導炉が止まったらしい」

「小麦が届いていないんだって」

「昨日までは、普通だったのに……」


 人々は怒鳴らない。

 暴れない。


 ただ、声を潜めて話す。


 それが、かえって不気味だった。


 帝国は、恐怖で縛る国ではなかった。


 仕組みで回る国、だった。


 だからこそ、

 仕組みが消えた今、

 誰もどう動けばいいのか分からなかった。



 昼過ぎ。


 騎士団長が、玉座の間に呼び出された。


「騎士団を動かせ」


 セドリックは言う。


「辺境へ向かわせろ。

 フロナを――」


 言葉は、最後まで続かなかった。


「……陛下」


 騎士団長は、視線を伏せた。


「兵が、集まりません」


「何?」


「三日、配給が止まっています。

 給与も、今月分は未払いです」


 それは、命令よりも強い現実だった。


 忠誠は、空腹を満たさない。


 剣は、理由がなければ振るわれない。


「なぜだ……」


 セドリックは、玉座に崩れ落ちる。


「フロナがいた時は……

 フロナがいれば、すべて――」


 言葉は、誰にも届かない。




 夜。


 玉座の間は、完全な闇に沈んでいた。


 魔導灯は点かず、

 広すぎる空間が、冷たく響く。


 机の上には、焼け残った紙束が置かれていた。


 かつてフロナが、

 睡眠を削って書き続けていた予測書だった。


 セドリックは、それを掴む。


 紙は脆く、

 指の間で、簡単に崩れた。


「……戻ってこい」


 命令ではない。

 願いでもない。


 ただの、後悔だった。


 だが、答えはない。


 彼女はもう、

 帝国の未来ではない。


 帝国は、まだ形としては存在している。


 城も、法も、軍もある。


 だが――

 誰も、そこに生きたい明日を描けなくなっていた。


 黄昏は、

 音もなく、確実に進んでいた。



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