第2話 黄昏は、音もなく
帝都に朝が訪れた。
空は澄み、雲もなく、
天候だけを見れば、穏やかな一日の始まりだった。
だが、その朝はいつもと違っていた。
大通りに並ぶ魔導街灯は沈黙したまま。
夜明けの時刻を過ぎても、淡い光を灯すことはない。
人々は最初、それを不具合だと思った。
よくあることだ。
帝国の魔導機構は複雑で、調整の遅れは珍しくない。
だが――
その「いつもの朝」は、いつまで経っても来なかった。
◆
王城の執務室で、セドリックは窓の外を睨みつけていた。
街が、妙に静かだ。
いつもなら聞こえるはずの、
馬車の軋む音、
商人の呼び声、
魔導装置の低い稼働音。
それらが、すべて欠けている。
「……報告は?」
呼び鈴を鳴らす。
返事はない。
もう一度、強く鳴らす。
それでも、誰も来なかった。
苛立ちを隠さず、セドリックは自ら扉を開ける。
廊下は、広すぎるほど静まり返っていた。
いつもなら文官や侍従が行き交う時間帯だ。
だが、視界に入る人影はまばらで、
皆、足早にどこかへ消えていく。
「何をしている……!」
怒鳴った声は、虚しく石壁に反響するだけだった。
ようやく捕まえた高官は、
かつて帝国の中枢を担っていた男だった。
だがその顔にあるのは、恐怖でも焦燥でもない。
長い夜を越えた者だけが持つ、
疲労と諦念。
「報告しろ」
命令口調で言ったが、
声にはかすかな揺れが混じっていた。
「……魔力供給炉が、完全に停止しています」
「一時的なものだな」
即答する。
そうでなければならない。
「復旧は?」
「不可能です」
高官は、淡々と言った。
「構成式が破壊されたのではありません。
接続そのものが、存在しなくなっています」
セドリックは、言葉を噛み砕くように黙り込む。
「……どういう意味だ」
「帝国の魔導網は、
“フロナ様の思考”を中核に組み上げられていました」
一瞬、高官は沈黙した。
再び高官は、言葉を続けた。
「物流、結界、財政、軍事。
すべてが――
フロナ様の次の判断を前提に、設計されていたのです」
セドリックの脳裏に、
地下の構成室が浮かぶ。
装置に繋がれ、
無言で計算を続けていた水色の髪の混ざり物が、作り上げていた?
「……そんな馬鹿な」
「だから、今――
誰も、次を作れません」
それは、帝国の死刑宣告だった。
◆
城下では、人々が少しずつ異変を理解し始めていた。
市場は開かれている。
だが、棚は空だ。
パン屋の前に、列ができている。
だが、焼き窯は冷え切っている。
「魔導炉が止まったらしい」
「小麦が届いていないんだって」
「昨日までは、普通だったのに……」
人々は怒鳴らない。
暴れない。
ただ、声を潜めて話す。
それが、かえって不気味だった。
帝国は、恐怖で縛る国ではなかった。
仕組みで回る国、だった。
だからこそ、
仕組みが消えた今、
誰もどう動けばいいのか分からなかった。
◆
昼過ぎ。
騎士団長が、玉座の間に呼び出された。
「騎士団を動かせ」
セドリックは言う。
「辺境へ向かわせろ。
フロナを――」
言葉は、最後まで続かなかった。
「……陛下」
騎士団長は、視線を伏せた。
「兵が、集まりません」
「何?」
「三日、配給が止まっています。
給与も、今月分は未払いです」
それは、命令よりも強い現実だった。
忠誠は、空腹を満たさない。
剣は、理由がなければ振るわれない。
「なぜだ……」
セドリックは、玉座に崩れ落ちる。
「フロナがいた時は……
フロナがいれば、すべて――」
言葉は、誰にも届かない。
夜。
玉座の間は、完全な闇に沈んでいた。
魔導灯は点かず、
広すぎる空間が、冷たく響く。
机の上には、焼け残った紙束が置かれていた。
かつてフロナが、
睡眠を削って書き続けていた予測書だった。
セドリックは、それを掴む。
紙は脆く、
指の間で、簡単に崩れた。
「……戻ってこい」
命令ではない。
願いでもない。
ただの、後悔だった。
だが、答えはない。
彼女はもう、
帝国の未来ではない。
帝国は、まだ形としては存在している。
城も、法も、軍もある。
だが――
誰も、そこに生きたい明日を描けなくなっていた。
黄昏は、
音もなく、確実に進んでいた。




