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第4話 燃える花と、水色の影

 その日、胸の奥が朝からざわついていた。


(殿下が、最近よく立ち寄る“どこか”があるらしい)


 侍従の、何気ないひと言。

 ただの噂話。

 それだけでフロナの心は羽が生えたみたいに浮き上がってしまった。


(いつもと違う景色の中で、殿下はどんな顔をするんだろう)


 想像だけで、胸がくすぐったくなる。


 知りたい。

 もっと知りたい。

 殿下のすべてを理解できる人間になりたい。


 それが、フロナの願いだった。



 資料をまとめ終えた足が、勝手に動く。

 廊下の大理石が朝日を反射し、淡い金色の帯を描く。


(殿下の気配……どこかで、風が教えてくれる気がする)


 霊素のさざめきに耳を澄ませると、

 足先が自然と方向を変える。


 白いアーチを抜けた先――

 視界が一気にひらけた。


 **庭園が、紅蓮に染まっていた。**


(え……火?)


 中央、噴水の前。

 少女が舞うように腕を掲げるたび、花火のように炎が弾ける。


 真紅の髪が火線と絡み、風に揺れ、

 赤い宝石を散らした衣装が光を跳ね返す。


 ひと目でわかる。

 生まれながらに炎と踊る者。


**――純血で火属性を持つ、リリアーヌ・フレアライト侯爵令嬢だった。**


 帝国が誇りとして名を連ねる最強系譜の侯爵家。

 リリアーヌはその嫡女だ。


「素晴らしい! 本当に見事だ」


 声が落ちてきた瞬間、フロナの心臓が跳ねる。


(殿下……!)


 セドリックが立っていた。

 いつも執務室や軍議で見せる涼しい顔ではなく――

 子どものように、瞳を輝かせて。


「やっぱり“魅せる魔法”というのはいい!

 英雄譚の主役という感じだ!」


「光栄です、殿下。

 私の炎はすべて、殿下の勝利のために」


(可愛い……)


 思わずそう思ってしまう。

 嫉妬より先に、素直な感想が口をつくほどに。


 派手。

 華やか。

 注目を浴びる火の舞。


 そのどれもが、フロナにはないものだった。


(私は……こういう魔法、撃てない)


 胸の奥に、火とは違う熱がこもる。

 頬を内側から焼くみたいに。



「フロナ!」


 セドリックが振り返る。


「ちょうどいいところだ!

 見たかい? この火の舞!」


「……ええ。

 本当に、綺麗でした」


(綺麗なんて軽い。圧倒的で、悔しいほど目が離せなかった)


「だろ!? これぞ“真の魔法”だ!」


 無邪気な称賛が、鋭利な刃に聞こえる。


「火の加護を持つ者は強い。

 俺の進む道には、こういう力が必要だ」


(私の……魔法とは違う)


 構成魔導で動脈を描くことも、

 霊素で風を読むことも、

 殿下の目には“存在しない”。


 存在しなくて良かったはずだった。

 陰から支えていられれば十分だったのに――


 胸がきしむ。

 理由はまだうまく掴めない。



「ドレイクハルト様、ご挨拶が遅れました。

 私はリリアーヌ・フレアライトと申します」


 完璧な礼。

 紅玉のような瞳がまっすぐ見つめてくる。


「殿下の婚約者様は、噂以上にお美しい方ですね」


(……ありがとう)


 口が、どうしても開かない。

 返せる言葉がどこにも見つからない。


 美しいと言われて、痛むなんて。

 そんな矛盾が、自分でも苦しい。


「リリアーヌは純血火属性だ!

 火の霊素と完全同調できるすごい才能なんだ。

 帝国が誇る未来の戦力さ!」


 誇らしげな声。

 まるで自慢の宝物を手に入れた少年のような響き。


(殿下は私のどんな部分を誇ってくれるんだろう)


 喉まで上がった言葉は、声にならなかった。



「フロナ、どうした? 具合でも――」


「いえ。

 本当に……素敵な魔法でした」


 微笑んだつもりだった。

 けれど頬が強張る。


「殿下、お邪魔しました。

 お二人とも、ごゆっくり」


 礼をして、背を向ける。


 一歩ごとに足が重くなる。

 炎で背中が焦げるように痛い。


(私は“殿下のために何でもする”役だと思っていた)


 それで満足だった。

 本当にそれで良かったはずなのに――


(あの光に照らされた殿下の横顔が

 嬉しそうで、誇らしそうで)


 胸締めつけられる理由が、初めてわかる。


(私も、殿下に“必要だ”って言われたかった)


 たった一度で良い。

 名前とともに呼ばれたかった。



 霊素の風が足元で揺れる。

 水色の髪が悲しげに揺らされた。


(殿下に“代わり”がいると気づくことが

 こんなに怖いなんて)


 気づいた瞬間、胸の中で何かが音を立ててひび割れた。


(嫉妬なんて似合わないのに)


 自分への呆れと情けなさが、さらに傷を重くする。


 でも――フロナは前を向いた。


(まだ大丈夫。

 殿下が笑っていられるなら、私は)


 そう思えたのは、

**この日までだった。**


紅蓮の庭園で初めて芽生えた不安は、

やがて彼女の未来を大きく揺らす波のはじまりだった。


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