第11話 さようなら、思い出の中の王子様
構成室を出た廊下は、異様なほど静まり返っていた。
魔導灯は消え、壁に埋め込まれていた補助結界も沈黙している。
帝国中のエネルギー供給が、根こそぎ断たれた証だった。
フロナの足取りはふらついていた。
呼吸をするたび、肺の奥が焼けるように痛む。
「……フロナ!」
背後から、荒い声が響く。
振り向かなくても分かった。
皇太子セドリック・ハーグレイヴだ。
「どこへ行く!?
誰の許しを得て、ここまでやった!」
苛立ちと恐怖が入り混じった声。
命令する調子が、まだ抜けきっていない。
フロナは、ゆっくりと立ち止まった。
振り返る。
かつて“王子様”と呼ばれた男は、そこにいた。
豪奢な外套は乱れ、整えられていた金髪も崩れている。
それでも、その目だけは変わらない。
――自分が選ぶ側であると、疑っていない目。
「……どうして、こんなことをした」
セドリックは、苛立ちを押し殺すように言った。
「君が戻ってくれば、すべて元に戻るはずだった。
帝国も、君も、俺の手の中で――」
フロナは、その言葉を最後まで聞かなかった。
胸元に、指を伸ばす。
外套の内側で、水色の澄んだ小さな石が触れた。
かつて、セドリックが与えたペンダント。
彼は、それを見て眉一つ動かさなかった。
あるのが当然。
外されていないのも、想定の範囲。
「……フロナ」
諭すような声になる。
「そんな顔をするな。
全部、終わったわけじゃない」
一歩、近づく。
「君は疲れているだけだ。
構成も、霊素も、無理をさせすぎた」
その距離に、フロナの背筋がひくりと震えた。
触れられる前から、拒絶が走る。
「君を愛しているんだ。こっちにおいで」
セドリックは、柔らかく言った。
その瞬間。
フロナの中で、何かが完全に凍りついた。
昔は。
その言葉を、喉から手が出るほど欲しかった。
必要とされたい。
選ばれたい。
そのために、どれほど自分を削ってきたか。
それなのに今は。
ぞくり、と背中を這う嫌悪感しかない。
(……いやだ)
理由は、はっきりしていた。
それは愛ではない。
施しだ。
所有物に与える、気まぐれな恩赦。
フロナは隣にいる、黒髪の青年を見た。
条件も、評価も、報酬もなく、
ただ助けに来てくれた人。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
「違います」
フロナは、はっきりと言った。
セドリックが目を細める。
「……何がだ」
「私は、あなたに愛してもらいたくありません」
静かな声だった。
「それに――
あなたは、最初から私を愛していません」
セドリックの口元が、歪む。
「何を言い出す」
「あなたが欲しかったのは、私ではなく」
フロナは、一歩だけ距離を取った。
「帝国を動かすための“中身”です」
沈黙。
セドリックは、すぐに笑った。
「分かっているじゃないか」
心底、満足そうに。
「だから言っている。
その価値を持つ君を、
俺が愛してやると」
その言葉で、すべてが終わった。
フロナは、ゆっくりとペンダントを外す。
指先が、かすかに震えた。
未練ではない。
――過去に、けじめをつけるための震え。
「私は」
フロナは言った。
「あなたを愛していた自分を、
今日、終わらせます」
そして、手を離した。
硬い音が、廊下に響く。
水色の石が床を転がり、
セドリックの足元で止まった。
その瞬間。
セドリックの表情が、初めて崩れた。
「……何を、した」
声が低くなる。
理解できない。
理解するという発想が、そもそも存在しない。
「さようなら」
フロナは、静かに告げた。
「思い出の中の、王子様」
セドリックは動けなかった。
拾い上げることも、
怒鳴ることも、
命じることもできない。
ただ、足元に転がる“自分の前提”を見下ろしていた。
それが、
彼が初めて味わった敗北だった。




