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第10話 最後のお仕事

 警報が、地下にまで染み込んできた。


 金属の壁が震え、

 遠くで兵の足音が反響する。


 構成室の空気は相変わらず乾いて冷たかったが、

 そこに“人の焦り”が混ざり始めていた。


「来る」


 技術者が短く言った。


 カイは扉の外を一瞥し、フロナに目を戻す。


「今すぐ外す。動けるなら走ろう」


 フロナの手首から鎖を外すために、

 彼は術式の結節を叩き割っていく。


 音が鋭い。

 壊れるたびに、フロナの頭の中で情報の流れが一瞬だけ乱れる。


 ――痛い。


 痛いのに、フロナは目を閉じなかった。


 カイがいる。


 それだけで、耐えられた。


「よし、あと――」


 カイが最後の拘束具に手をかけたとき、

 フロナが小さく言った。


「待って」


 カイの手が止まる。


「……何だ」


 フロナは息を吸った。


 胸が苦しい。

 怖い。

 でも、怖さの種類が変わっていた。


 前は、捨てられる怖さだった。

 今は、守るために壊す怖さだ。


「カイ」


 フロナは彼の名を呼ぶ。


 その声は弱々しいのに、芯があった。


「逃げるだけじゃ、終わらない」


 カイの眉が寄る。


「今は連れて帰るのが先だ」


「分かってる」


 フロナは短く頷く。


 そして、装置の中心――自分の頭に添えられた結晶へ視線を移す。


「でも、これを残したら……帝国はまたこの装置を利用する」


 カイの目が冷たくなる。


「また誰かを繋ぐ」


 フロナは続けた。


「私じゃなくても、別の誰かを捕まえて、壊すかもしれない」


 技術者が息を呑む。


 文官が震えた。


 カイだけが、黙ってフロナを見ていた。


 フロナは、視線を逸らさなかった。


「だから……最後のお仕事をさせて」


 カイの喉が動いた。


「……無理だ。お前は限界だろ」


 フロナは、ほんの少しだけ笑った。


 辺境で身につけた笑い方だった。


「限界だから、できるんです」


「……は?」


「この装置は、私の脳を“帝国の仕組みに直結”させている」


 フロナの指先が、微かに震えながらも結晶をなぞる。


「つまり、私が見ているのは“帝国の神経”です」


 カイが、気づく。


 フロナが言おうとしていることに。


「やめろ」


 言葉が、低くなる。


「お前が壊れる」


 フロナは静かに首を振った。


「壊れません」


 断言だった。


「壊れるのは、帝国です」




 足音が近づいてくる。


 兵の叫び声が反響する。


「侵入者だ!」「地下だ!」「皇太子殿下に知らせろ!」


 カイは舌打ちした。


 時間がない。


「……何をするつもりだ」


 フロナは目を閉じた。


 霊素フェアリーが、ざわめく。


 帝都の空気。

 街の恐怖。

 王城の焦燥。

 兵舎の怒り。


 全部が、頭に流れ込む。


 その波の中に、構成魔導アーキテクトが線を引く。


 どこを切れば、帝国全体が止まるか。


 どこを残せば、民が死にすぎないか。


 どこを落とせば、セドリックが二度と手を伸ばせないか。


 フロナは目を開けた。


 水色の瞳が、冴えている。


「帝国のエネルギー供給路は、一本じゃない」


 フロナは淡々と言う。


「結界、軍、王城、上流貴族の屋敷。優先度が違うだけで、全部が枝です」


 カイが理解する。


 だからこそ、帝国は“落ちない”ように見えた。


「枝を切っても、根が生きていればまた伸びる」


 フロナは結晶に指を置いた。


「だから根を切ります」


 技術者が叫ぶ。


「そんなことをしたら、帝都の――!」


 フロナは短く答えた。


「落とすのは“魔法の帝国”です。人を殺すためじゃない」


 そして、カイを見る。


「……信じて」


 カイは、息を吐いた。


 怒鳴りたい。止めたい。抱き上げて連れて行きたい。


 でも、フロナの目はもう決まっていた。


 あの夜、帝国の特使を追い返したときと同じ目だ。

 優しさと冷たさを同時に持った目。


 カイは、苦い顔で言った。


「……早く終わらせろ」


 フロナは頷く。


「すぐ終わります」


 それは嘘だ。

 でも、彼女は嘘をつけるようになった。


 必要なときの嘘を。




 フロナは、装置の中心に据えられた結晶に額を預けた。


 冷たい。


 骨の奥まで染み込むような冷たさだった。


 その瞬間、視界が反転する。


 帝都。

 王城。

 兵舎。

 市場。

 結界。


 無数の情報が、洪水のように頭に流れ込んだ。


「――っ!」


 喉が詰まり、声にならない悲鳴が漏れる。


 脳が、限界を越えて引き伸ばされる感覚。

 考えるという行為そのものが、刃物で削られていく。


「フロナ!」


 カイの声が、遠い。


「やめろ! もう十分だ!」


 フロナは返事をしようとして、できなかった。


 口を開いた瞬間、血の味がした。


 唇を伝って、赤い雫が落ちる。


(……ああ)


(これが、帝国)


 帝国の“仕組み”が、彼女の神経と完全に重なっている。


 切れば、自分が壊れる。

 でも、切らなければ、誰かがまた壊される。


 フロナは、歯を食いしばった。


「……大丈夫……」


 声は、掠れていた。


「まだ……できます……」


「ふざけるな!」


 カイが怒鳴る。


 珍しいほど、声が荒れていた。


「それ以上やったら死ぬ! 見りゃ分かるだろうが!」


 フロナの視界が滲む。


 世界が、揺れる。


 霊素フェアリーが泣き叫び、悲鳴をあげる。


 頭の中で、構成図が焼け落ちていく。


 それでも。


「……止めたら……」


 フロナは、必死に言葉を繋いだ。


「……また、誰かが……私みたいになります……」


 結晶が、強く脈動する。


 激痛が、脳を貫いた。


「――あっ!!」


 今度は、はっきりと声が出た。


 体が痙攣する。

 膝が折れ、拘束具に吊られる形になる。


 カイが、鎖を引きちぎろうとする。


「やめろ! 俺が壊す! 全部壊すから!」


「……だめ……」


 フロナは、涙を零しながら首を振った。


「……それじゃ、遅い……」


 彼女の視界に、一本の“線”が見えた。


 帝国全体を支えている、根。


 そこを切れば――すべてが止まる。


 同時に。


 自分の意識も、道連れになるかもしれない。


 フロナは、震える指で結晶に触れた。


「……カイ」


 名前を呼ぶ。


 それだけで、少しだけ現実に戻れた。


「……ごめんなさい」


「やめろ! 謝るな!!」


 カイの声が、ほとんど悲鳴だった。


「俺は! お前を連れて帰りに来たんだ!!」


 フロナは、微かに笑った。


 辺境で覚えた、穏やかな笑み。


「……帰ります……」


「嘘つくな!!」


「……ちゃんと……帰ります……」


 フロナは、最後の力で囁いた。


「……だから……今だけ……」


 彼女は、構成魔導アーキテクトを起動した。


 意図的に。

 確信を持って。


 帝国の“根”に、刃を入れる。


「――断ちます」


 瞬間。


 世界が、悲鳴を上げた。



 帝都の空が、歪んだ。


 王城の結界が、音もなく砕け散る。


 市場の魔導灯が、同時に消える。


 兵舎の魔力炉が沈黙し、武具がただの鉄になる。


 広場に張られていた防護膜が、霧のように剥がれ落ちた。


 帝国中で、魔法が死んだ瞬間だった。




 フロナの体から、力が抜けた。


 頭が、何も考えられなくなる。


 視界が、暗転する。


「フロナ!!」


 カイの声が、すぐ近くで響いた。


 彼女の体が、抱き寄せられる。


 暖かい。


 人の体温だ。


(……あ)


(生きてる……)


 意識が、遠のく中。


 フロナは、かすかに思った。


(……間に合った……)


 そのまま、彼女は完全に意識を手放した。



 帝都の空が、瞬いた。


 それは雷ではない。


 帝国の心臓が、一度だけ痙攣した光だった。


 次の瞬間。


 王城の廊下の魔導灯が、ぶつりと消えた。


「……え?」


 衛兵が足を止める。


 扉の向こうで、結界管理局の計器が一斉に沈黙する。


 針が落ちる音が、異様に大きく響いた。


 市場では、魔導冷蔵庫の灯りが消え、保存していた肉が一気にぬるくなる。


 鍛冶場の魔導炉が沈み、火が死ぬ。


 兵舎では、武具に込められた補助魔法がほどけ、ただの鉄に戻る。


 そして、広場で――


 民衆を怯えさせていた結界膜が、

 薄い霧のように剥がれ落ちた。


 誰かが空を見上げる。


「……消えた?」


 別の誰かが呟く。


「帝国の……結界が……?」



 皇太子執務室。


 セドリック・ハーグレイヴは、怒鳴り声の途中で言葉を失った。


 室内の灯りが消えたからではない。


 灯りなど、どうでもいい。


 “感じた”のだ。


 帝国の魔力の流れが、

 根元から切られたことを。


「……何をした」


 喉から、獣の声が漏れる。


 机を叩く。

 だが、魔導補助が消えた机はただの木で、手が痛いだけだった。


「誰が……!」


 文官が叫ぶ。


「殿下!結界が……供給が……!」


 セドリックはその言葉を遮るように、歯を剥いた。


「フロナだ」


 確信だった。


「あの女が……!」


 怒りと恐怖が同時に燃え上がる。


 失ったものは取り戻すはずだった。


 取り戻した瞬間、帝国そのものを奪われるなど――想定外だ。



 構成室の台座の上で、

 フロナの口元から、血が一筋流れた。


 でも、彼女は意識を取り戻し、笑っていた。


 痛い。

 苦しい。

 それでも、胸の奥が軽くなっていく。


 帝国の“声”が、薄れる。


 雑音が、消えていく。


(……やっと)


(私の頭が、私に戻ってくる)


 カイが、フロナの肩を掴んだ。


「終わったか!」


 フロナは息を整え、かすかに頷いた。


「……はい」


 そして、目を上げる。


「カイ、外して」


 カイは歯を食いしばり、最後の結節を叩き割った。


 拘束具が外れる。


 フロナの体が、ぐらりと崩れた。


 カイがすぐに抱き留める。


 フロナの体温は驚くほど低かった。


「心配した。もう二度と離さないから。」

「帰るぞ。」


 カイが言う。


 フロナは頷いた。


 その頷きは弱いのに、決別の強さを持っていた。


「ええ……帰ります」


 そして、扉の向こうの闇へ目を向ける。


 帝国は、まだ立っている。


 でも、もう“魔法の帝国”ではない。


 彼女が作り変えた。


 二度と手を伸ばせない形に。


 カイがフロナを抱き上げる。


 そのとき、背後で装置が、

 最後の息みたいに「ぱちり」と火花を散らした。


 無機質な光が消え、

 構成室はただの暗い部屋になる。


 フロナはその暗闇を見て、静かに言った。


「……さようなら」


 誰にでもない言葉だった。


 過去に。

 帝国に。

 そして、帝都で泣いていた自分に。



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