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第9話 扉が壊れる

 構成室には、昼も夜もなかった。


 天井の奥で白い灯りが一定の明度を保ち、

 空気はいつも乾いている。


 金属と油の匂い。

 わずかなオゾン。

 どこかで規則正しく鳴る、冷たい振動音。


 ここは部屋ではない。

 装置の腹の中だ。




 フロナの背中に、一本の芯が通っている。


 正確には、芯のように見える金属の支柱が、

 彼女の身体を座に固定していた。


 肩甲骨の近くに走る拘束具。

 手首を締める細い鎖。

 こめかみに添えられた結晶の電極。


 皮膚は白く、指先は冷えている。


 それでも、彼女の頭の中だけは休まない。


 帝国全土の街道。

 結界の綻び。

 倉庫の残量。

 魔石の配分。

 事故の前兆。


 情報が押し寄せ、

 構成魔導アーキテクトが自動で組み上げ、

 霊素魔法エーテル・フェアリーが“現場の声”を拾う。


 そして、次の瞬間にはまた別の声が来る。


 止めたくても止められない。

 眠りたくても眠れない。


 フロナは薄く目を開けた。


 視界の端に、装置の計器が並ぶ。

 針は小刻みに震え、

 魔導灯の光は一定のリズムで脈打つ。


 「人間」を扱う部屋なのに、

 ここには人間の温度がない。


(……カイ)


 名前が浮かぶたびに、胸が痛んだ。


 会いたい。

 でも、見られたくない。


 こんな姿を。


(……来ないで)


 思うのに、霊素フェアリーは別のことを拾う。


 遠い、遠い場所から、

 世界の流れがわずかに変わっている。


 地脈が、揺れた。


 結界の基礎術式が、内側で軋んだ。


 ――侵入。


 その感覚に、フロナの心臓が跳ねた。


(誰?)


 次の瞬間、

 喉の奥から声が出そうになって、飲み込む。


(……まさか)


 期待は、毒だ。


 それを知っている。

 知っているのに、期待してしまう。



 地下迷宮の通路は、息が白かった。


 水が滴り、石が冷え切り、

 足音が不自然に響く。


 カイは先頭で、迷いなく進んでいた。


 手にはフロナの紙。

 そして、地下を知る者の案内。


 だが最終的に頼ったのは、紙でも人でもない。


 自分の勘と、

 フロナが残した“癖”だった。


 彼女はいつも、抜け道を残す。


 誰かのためではなく、

 「世界が詰んだときの最適解」として。


 その最適解が、今ここにある。


「……近い」


 同行の技術者が小声で言った。


「結界の制御信号……流れが濃い」


 文官は、青い顔で頷いた。


「ここだ……ここに、集約している……」


 カイは短く言う。


「黙ってろ。音でばれる」


 そして、最奥の扉の前に立った。


 黒い鉄扉。


 装飾はない。

 紋章もない。

 ただ、冷たく、重い。


 扉の周囲に細い魔導文字が刻まれている。


 “侵入者を焼く”術式。

 それだけが、過剰なほど丁寧だ。


 カイは、拳を握った。


(……お前らは)


(人間を閉じ込めるときだけ、真面目なんだな)


 技術者が、フロナの紙の指示通りに石をずらす。


 結界の基礎が、わずかに歪む。


 その歪みの一瞬だけ、

 扉の術式が遅れる。


「今だ」


 カイは、迷わず剣を抜いた。


 一撃ではない。

 二撃でもない。


 「壊すための最短手順」を選ぶ。


 留め具。

 蝶番。

 魔導文字の結節点。


 金属が悲鳴を上げ、

 火花が散り、

 扉の重さが軋む。


 そして最後に、カイは肩をぶつけた。


 ――鈍い破裂音。


 扉が、内側へ崩れた。




 構成室の空気が、流れ出した。


 乾いた、冷たい空気。

 人間の体温を奪う匂い。


 その向こうに――


 フロナがいた。


 台座に固定され、

 無数の線に繋がれ、

 まるで「部品」みたいに座らされている。


 水色の髪は、乱れている。


 頬は痩せ、唇は青白い。


 それでも瞳だけが、まだ生きていた。


 カイは、喉の奥が熱くなるのを感じた。


 言葉が、出なかった。


 怒りが強すぎると、

 声は逆に消える。


 フロナは、ゆっくりと顔を上げた。


 扉の破片の向こう。

 逆光の中に立つ影。


 黒髪。

 背の高さ。

 立ち方。


 信じたくなくて、

 信じたくて。


(……カイ?)


 声にならない息が漏れた。


 フロナの霊素フェアリーが、悲鳴みたいに震える。


 会いたかった。

 来ないでほしかった。


 その二つが同時に胸を裂いた。


 カイが一歩、入る。


 足元の扉の破片を踏みしめる音が、やけに大きい。


 フロナは、その音を聞いただけで泣きそうになった。


 でも泣いたら、

 自分が壊れてしまいそうで、堪えた。


 カイは、フロナの前で膝をついた。


 結晶の電極。

 拘束具。

 計器の針。


 一つ一つを見るほど、目が冷える。


 それでも、フロナを見ると、声が柔らかくなる。


「……無事で、よかった」


 フロナの喉が、震えた。


 言葉が出ない。


 カイは、彼女の目を見た。


 瞳の奥にある、細い叫びを拾う。


 それは、声にする前に殺される種類の叫びだ。


 カイは、低く続けた。


「『助けて』って、あんたの顔に書いてあるぞ」


 その瞬間。


 フロナの中で、何かが決壊した。


 涙が一粒、頬を伝う。


 音を立てない涙。


 それが余計に痛い。


「……っ」


 フロナは笑おうとした。


 大丈夫だと言おうとした。


 でも、唇が震えて言えない。


 カイはそれを見て、舌打ちした。


 怒りの舌打ちだ。


 フロナに向けたものじゃない。


 この部屋に。

 この帝国に。

 こんなふうに彼女を扱った奴らに。



「外せるか……?」


 技術者が装置を見て言う。


「乱暴に外すと、脳に逆流します。

 術式が組み込まれてる。構成魔導アーキテクトで……」


 文官がかすれた声で言った。


「皇太子と……ドレイクハルト公爵が作った……

 “最高傑作”だと……誇っていました……」


 その言葉に、カイの目が細くなる。


 フロナは聞こえた。


 最高傑作。


 人間を部品にすることを、

 誇るための言葉。


 胃の奥が、むかついた。


 フロナは、息を吸って、やっと声を出した。


「……カイ……来てくれたの……」


 囁きみたいな声。


 カイは即答する。


「来た」


 それだけで、フロナの胸が熱くなる。


「……来ないでって……思ってた……」


「知ってる」


 カイの声は、乱暴なのに優しい。


「だから来た」


 理屈がめちゃくちゃなのに、

 それがカイらしくて、フロナは少しだけ笑った。


 でも、次の瞬間、笑いは喉で途切れる。


「……私……また会えるかなって……思ってた」


 言ってしまった。


 弱音を。


 恥ずかしくて、目を逸らしたくなる。


 でも、体は固定されている。


 逃げられない。


 カイは、フロナの視線の先に手を置いた。


 逃げ道を塞ぐみたいに。


 そして、低く言った。


「会えたろ」


 フロナの喉が詰まった。


「……うん」


 返事は、それだけで精一杯だった。




 カイは、フロナの肩に触れそうになって、やめた。


 触れたら、壊れそうだった。


 代わりに、拘束具に手を伸ばす。


 金属の冷たさが、指先に刺さる。


「外す」


 短く言う。


「でも、急ぐな」


 技術者が言う。


「術式を解除しながら――」


「分かってる」


 カイは言い切った。


 そして、フロナを見た。


「……少しだけ耐えろ」


 フロナは頷いた。


 涙はまだ止まらない。


 でも、今の涙は、絶望じゃない。


 生きて帰れるかもしれない、という涙だ。


 カイは、もう一度だけ言った。


「――必ず連れて帰る」


 その言葉が、フロナの中の構成図を、ほんの少しだけ整えた。


 歪んでいた世界の線が、

 「帰る」という一点に向かって収束する。


 次の瞬間。


 遠くで、警報が鳴った。


 帝国がようやく気づいたのだ。


 結界の内側が破られたことに。


 時間はない。


 けれど、カイは笑わなかった。


 焦りもしなかった。


 ただ、フロナの拘束具に手をかけ、

 淡々と最短手順を選ぶ。


 彼はフロナの翻訳者だ。


 フロナが見ている“脱出の道”を、

 必ず形にする男だ。



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