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第8話 結界は、内側から崩れる

 辺境の夜は、冷たかった。

 

 砦の灯りが落ち、

 薪の匂いが薄くなる頃。

 カイは、独りで外に立っていた。

 

 国境で足止めされたあの日から、

 眠った回数を数えられない。

 

 眠っても、起きる。

 起きても、胸の奥が同じ形で痛む。


 (連れて行かれた)

 

 フロナは帝都へ戻った。

 そして、戻ったまま――戻ってこない。

 

 何より最悪なのは、

 「助け方」が分からないことだった。

 力があっても、行き先が見えない。

 

 剣を握っても、

 斬るべきものが見えない。



 帝国の王城は、結界で守られている。

 外から破るのはほぼ不可能。

 そして、フロナがどこにいるかも分からない。


 “地下”という噂だけが流れた。


 地下のどこだ。

 王城の地下か。

 魔導兵団の地下施設か。

 ドレイクハルト家の研究区画か。


 情報は霧みたいに散って、掴めない。

 カイはまず、金を使った。

 辺境の交易で得た資金を、惜しげもなく撒いた。

 

 帝都の下級役人。

 物資を運ぶ荷運び人。

 夜の街で生きる情報屋。

 

 だが、返ってくるのは薄っぺらい噂ばかり。


「皇太子が“核”を取り戻したらしい」

「城の地下で、何かが動いている」

「最近、結界がやけに安定した」


 どれも決定打にならない。

 帝国は、フロナの存在を“隠している”。


 それは当然だった。

 純血主義の帝国が、

 混ざり物の女に国を回させていると知られたら。

 帝国の正統性が死ぬ。

 

 だから、隠す。

 隠しきれない分は、嘘で塗る。


(……ふざけるな)

 カイは奥歯を噛んだ。



 帝都を覆う結界は、完璧だった。


 王城を起点に張り巡らされた青白い膜は、

 魔物も、敵国の術者も、反乱者も拒む。


 それが、帝国の誇りだった。


 だが――

 完璧なのは、外から見たときだけだ。



 辺境ヴァルシュタインに、一人の青髪の男が辿り着いたのは、夜明け前だった。


 門番が異変に気づいたとき、

 男はすでに雪の上に倒れていた。


 外套は裂け、

 靴底は擦り切れ、

 足首には、鎖を引きずった痕。


 追われてきた人間の、それだった。




 砦の詰所の、

 火鉢の前で、男は毛布に包まれていた。


 顔色は悪く、

 指先は震え、

 目だけが異様に冴えていた。


「名前は」


 向かいに座るカイが、短く問う。


 男は、水を一口飲み、しばらく黙ってから答えた。


「……名乗る資格は、もうありません」


 それでも、絞り出すように言う。


「元・帝国中央行政局文官です」


 その肩書きに、空気が張り詰めた。


 辺境に来るはずのない人間。


「なぜ、ここへ来た」


 男は、膝の上で手を握りしめた。


「……私は、反対しました」


「何に」


「フロナ・ドレイクハルト様を、

 “装置”として使うことに」


 カイの視線が、鋭くなる。


「中央では、分かっていたんです」


 男は俯いたまま続ける。


「彼女が帝国を回していることも。

 限界まで使われていることも」


 唇が震える。


「私は言いました。

 “人間を繋ぐ仕組みではない”と」


 短く、乾いた笑い。


「……愚かでした」


 男は拳を握る。


「次の日、家に帰ると……家族がいなかった」


 声が、掠れる。


「妻と、子ども二人。

 連行されたと聞きました」


 沈黙。


「その夜、私も捕まりました」


 男は手首を見せた。


 魔力拘束具で焼かれた痕が、くっきり残っていた。


「“忠誠が足りない”と。

 “皇太子の判断に異を唱えた”と」


 息を整え、続ける。


「牢で……聞かされました。

 家族は、処理されたと」


 その言葉は、あまりにも平坦だった。


 感情が、もう追いついていない。


「私は……そこで壊れました」


 男の肩が、震え出す。


「でも……生き残ってしまった」


 顔を覆い、呻く。


「処刑の順番待ちの間に、

 地下で混乱が起きたんです」


 皮肉にも、それはフロナの過負荷による一時的な誤差だった。


「看守が持ち場を離れ、

 結界管理区画が一瞬だけ無人になった」


 男は、顔を上げた。


「私は……逃げました」


 荒い息。


「帝国に戻る場所はない。

 正義を語る資格もない」


 それでも。


「……あの方を、

 あのまま使い潰すことだけは、

 どうしても……許せなかった」


 視線が、真っ直ぐに向く。


「辺境は、

 フロナ様を“人間として扱った”場所だと聞いた」


 そして。


「――あなたなら、助けられると思いました」




 長い沈黙のあと、

 カイは、短く答えた。


「……必ず、助ける」


 それだけだった。


 だが、その一言には、逃げ場のない覚悟があった。


「知ってることを、全部吐け」


 男は、涙を零しながら深く頭を下げた。


「……はい」


 その夜、

 帝国が隠してきた“構成室”の輪郭が、

 初めて形を持った。




 文官の情報は、決定的だった。


 王城地下に、

 異常な量の“通信線”が通されている。


 水でも、魔石でもない。

 情報の供給路。


 結界制御、物流補正、軍需配分。

 すべての最終判断が、そこへ集約されている。


 つまり。


 そこが、

 フロナのいる場所。


 だが、分かっても辿り着けない。


 王城地下は、

 偽の壁と罠で埋め尽くされた迷宮だ。


 侵入路は潰され、

 古い水路は封鎖されている。


 そこで、カイは“人”を探した。


 修繕工。

 元・結界保守兵。

 地下で荷を運ぶ密輸屋。


 最初は誰も口を割らない。


 帝国の報復が、怖いからだ。


 カイは脅さなかった。


 代わりに、言った。


「帝国はもう、お前らを守らない」


 止まりかけた物流。

 飢えの噂。

 皇太子の暴走。


「守るのは、

 都合のいい血筋と、都合のいい嘘だけだ」


 沈黙のあと、

 密輸屋が唾を吐いた。


「……地下に、“使われてない道”がある」


「どこだ」


「昔の排水路だ。

 地図にはないが、王城の下を通ってる」




 それでも、足りなかった。


 排水路から入れても、

 構成室に辿り着けなければ意味がない。


 最後の鍵は――

 フロナが残していた。


 辺境の机の引き出しの中、

 何度も探した場所に、

 一通の封筒があった。


 宛名はない。


 ただ、彼女の筆跡で書かれていた。


――もしものとき。

 見つけられる人へ。


 中には、地図ではない紙。


 地図にしないための断片だった。


――第三補助結界

――地脈接続点

――排水路と誤認

――監視対象外

――石組み:三段目、左から二つ目

――“音”で確認


 最後に、一文。


――あなたに、託します。

 でも、無理はしないで。


 カイは、目を閉じた。


(……最初から、計算してやがったな)


 連れて行かれる前から。

 自分が追いつく未来を。



 そして今。


 帝都地下水路にカイはいる。


 苔に覆われた壁の前で、

 カイは紙を握り、指示通り石をずらした。


 ――低い軋み。


 結界の基礎術式が、内側で歪む。


「……反応が遅れてます」


 技術者が呟く。


「当然だ」


 カイは歩みを止めない。


「中枢が正常なら、

 今の時点で俺たちは焼かれてる」


 つまり――

 フロナは、限界まで使われているのだろう。

 早く、助け出さないと。

 フロナの限界が近いかもしれない。



 同じ頃の構成室。


 フロナは、台座に繋がれたまま目を閉じていた。


 意識は浅い。


 だが、霊素フェアリーがざわめく。


(……外?)


 情報の癖が、変わった。


 胸の奥が、微かに熱を持つ。


(……カイ)


 来ないでほしい。

 でも、来てほしい。


 構成図の隅で、

 自分が残した“抜け道”が反応しているのを感じた。


(……見つけてくれたんだ)


 祈りにも似た矛盾が、胸に広がる。



 王城の管理室で、

 結界管理局の計器が揺れ始めた。


「侵入反応……内側!?」


 技師の顔が青ざめる。


 だが、皇太子セドリック・ハーグレイヴは、気にも留めない。


「フロナは?」


「構成室に……問題なく」


「なら問題ない」



 彼はまだ知らない。


 結界が崩れ始めている理由を。


 それが、

 自分の足元からだということを。



 最後の壁が、外れた。


 冷たい空気が流れ込む。


 帝都の“裏側”。


 腐った水と、鉄と、古い石の匂い。


 そして、遠くに感じる霊素フェアリーのざわめき。


 カイは低く言った。


「待ってろ」


 祈りじゃない。

 宣言だ。


 結界は、もう保たない。


 帝国は、

 内側から、確実に崩れ始めていた。



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