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第6話 偽物の夢

 構成室には、時間がなかった。


 昼も夜もない。

 光は一定で、温度も変わらない。


 あるのは、装置の低い振動音だけだ。

 規則正しく、正確で、感情を許さない音。


 フロナは、どれほど処理を続けていたのか分からなかった。


 帝国の街道。

 滞る物流。

 歪んだ結界。


 問題が現れるたびに、

 脳の奥が勝手に反応する。


 止めたい。

 でも、止め方が分からない。


 考える前に、解いてしまう。


 それが、構成魔導アーキテクトの使い手として育てられた結果だった。


(……もう、やめたい)


 そう思った瞬間にも、

 別の情報が流れ込む。


 頭が、じくじくと痛む。


 そのとき、扉の開く音がした。


 足音は、ひとつ。


 フロナは、振り返らなかった。


 誰かが来るたびに、

 世界が、さらに狭くなる。


「随分と慣れたな」


 背後から聞こえた声に、

 指先がわずかに震えた。


 皇太子のセドリックだった。


 彼は、装置の構成図を眺めながら言った。


「最初は、もう少し泣き叫ぶと思っていたが」


 その口調は、

 人間ではなく“結果”を評価するものだった。


「……何の用ですか」


 少ししゃがれた声がでた。

 もう何日も誰とも話していなかったから。


 セドリックは、ゆっくりとフロナの正面に回り込む。


 視界に、フロナのパーソナルスペースに、否応なく入ってくる。


「確認だ」


 淡々と告げる。


「君は、まだ辺境を思い出すか?」


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。


 思い出さない日はなかった。


 冷たくて澄んだ、朝の空気。

 人々の賑やかな声。

 フロナを必要としてくれた人たち。

 愛しい人の笑う顔。


 口に出す前に、セドリックが笑った。


「やはり、そうか」


 確信に満ちた声音。


「だが、あれは夢だ」


 はっきりと言い切る。


「君が辺境で見た時間。

 人々の笑顔。

 居場所があるという錯覚」


 フロナの呼吸が、浅くなる。


「すべて、君の才能が生み出した“都合のいい現実”だ」


 違う、と言いたかった。


 でも、言葉が出ない。


「考えてみろ」


 諭すように続ける。


「君は、あそこでも“役に立っていた”」


 一歩、距離が縮まる。


「だから歓迎された。

 だから必要とされた」


 視線が、逃げ場を塞ぐ。


「もし君の才能がなくなったら、

 あの場所は残っていると思うか?」


 胸が、ずきりと痛んだ。


(……違う)


 そう思いたいのに、

 構成魔導アーキテクトが、勝手に計算を始める。


 もし、私が役に立たなければ。

 もし、何も生み出せなければ。


 人は、離れていくのではないか。


「カイという男も同じだ」


 その名前が出た瞬間、

 心臓が跳ねた。


 セドリックは、その反応を見逃さない。


「彼は、君の能力を“利用”していただけだ」


 冷たく言う。


「君が価値を生む。

 彼は、それを形にする」


 肩をすくめる。


「役割分担だ。

 よくある話だろう」


 視界が、少し揺れた。


(……違う)


 でも、疑いが胸に落ちる。


 装置の振動が、

 その不安を増幅させる。


 帝国のどこかで、また問題が起きた。

 彼女の脳が、反射的に解決策を探す。


 ――役に立つ。

 ――必要とされる。


 その感覚が、

 いつの間にか“安心”と結びついていた。


「君は、そうやって生きてきた」


 セドリックの声が、追い打ちをかける。


「価値を出し続けることで、

 居場所を確保してきた」


 そこで、彼はふっと息を吐いた。


「……可愛いな、フロナ」


 次の瞬間、指先が触れた。


 水色の髪を、

 愛玩動物でも撫でるように。


 ゆっくりと、確かめるように。


「昔から、その顔をすると放っておけなかった」


 背中を、ぞわりと何かが這い上がる。


(……やめて)


 声にならない拒絶が、喉の奥で詰まる。


 頭では分かっている。

 触れられただけだ。


 それなのに。


 皮膚の内側が、ひっくり返るような感覚。

 気持ち悪い。

 吐き気が、遅れて込み上げる。


 フロナは、反射的に肩をすくめた。


「……っ」


 その小さな反応に、

 セドリックは満足そうに笑う。


「怖がる必要はない」


 慰めているつもりの声音。


「君は、私のものだ」


 当然のように続ける。


「守ってやる。

 使ってやる」


 撫でる手が、離れる。


 フロナは、必死に呼吸を整えた。


(いやだ)


 心の底から、そう思った。


 かつて。

 この人に触れられることを、望んでいたはずなのに。


 今は。


 背中に残る感触が、

 自分が“人間ではないもの”にされた証のようで。


「もう、無駄な夢を見る必要はない」


 セドリックは、何事もなかったように踵を返す。


「現実を見ろ、フロナ」


 扉が閉まった。




 一人になった構成室で、

 フロナは、しばらく動けなかった。


 装置の無機質な音だけが、

 世界を満たす。


 一定で、正確で、冷たい。


(……私が、悪かったのかな)


 そう思ってしまった自分に、

 胸が痛む。


 期待したから。

 信じたから。


 だから、今、ここにいるのではないか。


(カイ……)


 名前を思い浮かべるだけで、

 喉の奥が締めつけられる。


(会いたい)


 でも、すぐに続く思考。


(……無理だ)


 ここは、帝国の中枢。

 彼は、来られない。


 希望は、合理的に切り捨てられていく。


 フロナは、目を閉じた。


 涙は、出なかった。


 代わりに、

 心の奥に、深い闇が広がっていく。


 それでも。


 完全には消えないものがあった。


(……本当に、全部、偽物だった?)


 辺境の空気。

 あの人たちの声。


 あれが、ただの計算結果だったとは、

 どうしても思えない。


 その小さな違和感だけが、

 フロナを、まだ繋ぎ止めていた。


 構成室は、今日も無機質に稼働する。


 彼女の心が、

 どこまで耐えられるかも知らずに。



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