第4話 構成室
最初に感じたのは、音だった。
硬い靴底が、石段を叩く反響。
それがやけに近く、やけに逃げ場のない形で耳に残る。
階段は、深い。
一段降りるごとに、空気が変わる。
冷える、というより――重くなる。
背後で、扉が閉まった。
その音は大きくなかった。
けれど、胸の奥で、はっきりと鳴った。
(……戻れない)
理由はない。
ただ、身体がそう判断した。
「どこへ……」
声が、少し震えた。
前を歩く兵は、振り返らない。
代わりに、先導していた青髪の老魔導士が淡々と答える。
「構成室です」
その一言で、足が止まりそうになる。
「帝国の中枢。
あなたが管理する場所です」
――管理?
その言葉が、やけに引っかかった。
階段の先に、扉が見える。
分厚い金属。
表面を覆う、複雑すぎる構成式。
人を守るためのものじゃない。
見ただけで分かる。
(閉じ込められる……)
扉が、重い音を立てて開いた。
部屋、ではなかった。
円形の台座。
天井から垂れ下がる無数の魔導線。
壁一面に流れる、動き続ける構成図。
それは空間というより、
巨大な魔法装置の内部のようだった。
視界に入った瞬間、息が詰まる。
帝国全土の街道。
倉庫。
結界。
霊素の流れ。
情報量が多すぎて、
見ているだけなのに、頭が痛い。
「……っ」
無意識に、こめかみを押さえた。
「美しいだろう」
背後から声がした。
振り返る前に、分かる。
この声の主を、忘れたことはない。
「帝国の“心臓”だ」
セドリックは、まるで完成した芸術品を眺めるように、装置を見渡していた。
「そして――」
一歩、こちらへ近づく。
「これは、私とドレイクハルト公爵が作り上げた最高傑作でもある」
その言葉で、胃の奥がひっくり返った。
まさか、父も加担しているなんて。
「構成魔導を、これ以上ない形で使った」
誇らしげに続ける。
「公爵は理論を整え、
私は、それを帝国規模に拡張した」
視線が、フロナに向く。
「そして最後のピースが――君だ」
理解より先に、身体が拒否した。
一歩、下がろうとする。
だが、背後から腕を掴まれた。
「離して……!」
声が、思ったより高くなる。
兵の手は硬く、逃げ場を与えない。
「安心しろ」
セドリックの声が、やけに柔らかい。
「壊すつもりはない」
台座の中央へ、押し出される。
足元の感触が変わる。
逃げられない位置。
「君は、壊れない」
その言葉に、ぞっとした。
「壊れないように、調整して使う」
魔導線が、ひとりでに動き出す。
首元。
こめかみ。
背骨。
冷たいものが、皮膚に触れる。
「やめて……!」
声が、掠れる。
「やめる理由がない」
即答だった。
「君は、帝国に必要だ」
魔導線が、頭に触れた。
次の瞬間。
――痛い。
何かが、頭の奥に突き刺さった。
「っ……!」
息が、止まる。
視界が歪み、上下が分からなくなる。
考えたくないのに、
数字が浮かぶ。
見たくないのに、
街道が繋がる。
(やめて)
心の中で叫ぶ。
(やめて、やめて……!)
それでも、脳が勝手に動く。
物流の詰まり。
結界の歪み。
不足する魔石。
最適解が、浮かんでしまう。
止め方が、分からない。
「ほら」
遠くで、セドリックの声。
「もう、動いている」
帝国の地図が、わずかに整う。
ほんの一瞬、
帝国が息を吹き返した。
「素晴らしい」
満足そうな声。
「やはり君だ、フロナ」
その名前が、
人のものではなく、部品の識別名のように聞こえた。
(いや……)
胸が、苦しい。
呼吸の仕方を、忘れる。
(助けて)
思考より先に、
感情が溢れた。
黒髪の青年の顔が浮かぶ。
条件も、見返りもなく、隣にいてくれた人。
私をフロナとして尊重してくれた人。
(カイ……)
でも、声は出ない。
装置が、思考を逃がさない。
「これからは、ここで暮らす」
セドリックの声が、現実を叩きつける。
「眠りも、食事も、最低限でいい」
当然のように続ける。
「帝国のために、君は考え続ける」
霊素が、悲鳴を上げた。
構成魔導が、限界を示す。
(……壊れる)
このままでは。
心が。
「大丈夫だ」
セドリックは、優しく言った。
「君の才能は、私のためだけに使える才能だ」
「もう逃さない」
その一言で、
何かが、完全に切れた。
愛ではない。
必要でもない。
これは、所有だ。
フロナの中で、別の感情が静かに立ち上がる。
(……覚えた)
この部屋。
この構成。
この流れ。
ここは、牢獄だ。
そして――
帝国の喉元でもある。
フロナは、ゆっくりと目を閉じた。
外套の内側で、水色の小さな石が、冷えていく。
(まだ……終わらせない)
震える指先を、台座の縁に預けながら、
彼女は、心の奥でそう誓った。




