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第3話 偽りの再会

 帝都は、まだ崩れてはいなかった。


 城壁は立ち、王城の尖塔も空を突いている。

 石畳は整えられ、帝国の旗も風を受けて揺れていた。


 それでも、霊素魔法エーテル・フェアリーは正直だった。

 街路に漂うのは、焦りと、乾いた飢えの匂い。

 修復された跡の多さが、むしろ異常を物語っている。


(……急いでいる)


 フロナは馬車の中で、そう判断した。


 空の荷車。

 配給所の前に伸びる列。

 人々は視線を逸らし、口を閉ざしている。


 帝国は形を保っているだけで、もう流れてはいなかった。


 王城の門が開く。


 迎えに来た騎士たちの態度は丁重だったが、敬意は感じられない。

 壊れやすい物を扱うときの、慎重さに近かった。


 石畳に足を下ろした瞬間、フロナは胸元に触れた。


 外套の内側で、水色の澄んだ小さな石が指先に当たる。

 魔力を持たない、ただの装身具。


(……母は)


 それでも、あの人が本当に床に伏している可能性だけは、

 どうしても切り捨てきれなかった。


 案内された先は、医務棟ではない。

 長い廊下を進み、高い天井の下を通る。


 その時点で、答えはほとんど出ていた。


 扉が重たそうな音を立てながら開いた。




 最初に目に入ったのは、豪奢な椅子だった。


 病床はない。

 薬草の匂いも、看護の気配もない。


 椅子に深く腰掛けていたのは、

 皇太子のセドリックだった。


「戻ったか」


 顎に手を当て、楽しそうに笑っている。


「私の愛しい、フロナ」


 その声に、かつての温度はなかった。

 人を呼ぶ声ではなく、所有物を確認する調子だった。


 フロナは立ち止まる。


「……母は?」


 問いは短い。


 セドリックは一瞬だけ目を瞬かせ、それから肩をすくめた。


「元気だよ。少なくとも、今すぐ死ぬほどではない」


 あまりにも軽い言い方だった。


 言葉が胸に落ちるまで、わずかな時間があった。

 その間に、フロナの中で何かが静かに崩れた。


「……そうですか」


 声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


「では、あの手紙は」


「必要だった」


 即答だった。


「君を呼び戻すためにはな」


 視線を横に流すと、そこに両親が立っていた。


 父・ヴァルター。

 母・エリセ。


 二人とも、病人の顔ではない。

 むしろ、事が思惑通りに進んだことへの安堵が滲んでいる。


「……お前が来るなら、それでいい」


 父はそう言い切った。


 母はフロナを見なかった。

 床の模様を眺めることで、視線を逃がしている。


 胸の奥が、冷たくなる。


「どうして……」


 その言葉を拾ったのは、セドリックだった。


「分からないか?」


 彼は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。


「帝国は、今、君を必要としている」


 一歩。


「正確に言えば、君の才能を、だ」


 フロナは思わず一歩下がった。


 セドリックは、彼女の胸元に視線を落とす。


 水色の石が、室内の光を反射した。


「まだそれを身につけているのか。」


 口元が、歪む。


「フロナは、まだ俺を愛しているようだな」

「俺も、愛してやってもいい」


 その瞬間。


 フロナの背筋を、ぞくりとしたものが走った。


(……いやだ)


 理由が、すぐには分からなかった。


 昔は。

 この人に、そう言ってもらいたかったはずなのに。


 必要とされたい。

 愛されたい。

 そのために、どれだけ自分を削ったか。


 それなのに今は。


 胸の奥に浮かんだのは、

 黒髪の青年の姿だった。


 何も奪わず、

 何も条件を出さず、

 ただ隣に立つと言った人。


(どうして……)


 息が詰まる。


(どうして、こんなにも……気持ちが悪い)


 理解より先に、身体が拒絶していた。


 その視線。

 その声。

 「愛してやってもいい」という言葉。


 ――選ぶ側であることを前提にした愛。


 フロナは、はっきりと顔を上げた。


「違います」


 即答だった。


 セドリックが、わずかに目を細める。


「ほう?」


「もう、愛してなんかいません」


 フロナは静かに言った。


「これは、愛している証ではありません。

 過去を、まだ整理しきれていないだけです」


 一瞬、空気が止まる。


 セドリックは、すぐに笑った。


「強がるな」


「強がっていません」


 フロナは視線を逸らさない。


「あなたが必要としているのは、私の気持ちではない。

 私の“中身”です」


 セドリックの笑みが、はっきりと歪んだ。


「分かっているじゃないか」


 満足そうに言う。


「そのうえで言っている。

 君が望むなら――愛してやってもいいと」


 恩赦のような口調だった。


「皇太子妃の座も、帝国の中心も、すべて用意しよう」


 フロナの内側で、最後の何かが音を立てて剥がれた。


「いりません」


 短く、きっぱりと。


 セドリックが目を見開く。


「……何?」


「それを報酬のように差し出されるくらいなら、何もいらない」


 一歩、距離を取る。


「昔は欲しかった。

 でも今は……」


 フロナは首を振った。


「あなたに愛されることを、私はもう望んでいません」


 笑みが、完全に消えた。


 その沈黙が、すべてを確定させる。


 母は病気ではなかった。

 父は悔いていない。

 この男は、私を最初から愛していなかった。


 ここにあるのは、再会ではない。


 回収だ。


 霊素フェアリーが警告のようにざわめく。

 構成魔導アーキテクトが、逃走経路を弾き出す。


 だが、背後で扉が閉まった。


 重い音が、逃げ場を断つ。


 セドリックは、満足そうに告げる。


「ようこそ、フロナ」


 そして、最後の言葉を落とした。


「私の愛しい――私の帝国を動かす装置」


 その瞬間。


 フロナの中で、

 最後に残っていた希望が、完全に死んだ。



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