第2話 帝国内検問線
出発は、早かった。
帝国の使者が砦を訪れてから、半日も経っていない。
まるで、考える時間そのものを奪うために、最初から決められていたかのようだ。
砦の前に用意された馬車は、帝国仕様だった。
深い青の塗装。磨き上げられた金具。
「迎え」であることを強調する、過剰なほどの丁寧さ。
フロナは外套を羽織り、最後に砦を振り返った。
石壁。
見張り台。
遠くで動く人影。
ここは、彼女が
“帝国の失敗作”ではなく、“必要な存在”として立っていた場所だ。
「行こう」
隣で、カイが短く言った。
最低限の装備だけを整えた姿。
長旅というより、**戻ってくる前提**の身なりだった。
「戻ったら、続きをやる」
そう言って、彼は砦の方を顎で示す。
「蒼魔石の坑道。まだ途中だ」
フロナは、ほんの少し笑った。
「ええ。設計、更新しておきます」
それが、あまりにも“日常の約束”みたいで。
今になって、胸の奥がきりりと痛んだ。
◆
馬車は、帝国内の街道を進む。
霊素魔法が、嫌なざわめきを拾っていた。
進路の先にあるのは、境界。
国境ではない。
帝国内部に引かれた、治安と権限の線。
(……検問線)
構成魔導が、地図を展開する。
帝都直轄。
皇太子権限。
臨時動員された帝国騎士団。
――多すぎる。
ただの帰還に、必要な人数ではない。
フロナは、胸元に指を当てた。
外套の内側で、小さな石が冷えている。
水色の澄んだ石。
空を閉じ込めたような、静かな色。
守りの魔道具でもない。
ただの飾り。
(……それでも、外していない)
未練だと分かっている。
でも、まだ“終わらせきれていない”証だった。
検問線は、低い城壁と詰所で構成されていた。
帝国内の通行路にしては、異様な厳重さだ。
立っているのは、全員が帝国正規騎士団。
馬車が止まる。
「確認を」
騎士の声は、形式的だった。
カイが先に降りる。
「同行者だ。帝都まで向かう」
「確認しました」
騎士は書類をめくり、淡々と告げる。
「フロナ・ドレイクハルト様は、
皇太子殿下の直轄要請により、単独での帰還対象です」
一瞬、空気が凍る。
「……単独?」
カイが眉をひそめる。
「辺境伯カイ・ヴァルシュタイン殿は、
帝都への同行を認められていません」
「理由を言え」
「理由は不要です」
即答だった。
権限は、説明をしない。
フロナが馬車から降りた。
「同行はできないと?」
「そうですね」
言葉の切り分けが、はっきりしていた。
霊素が、嫌な形で収束する。
未来が、一本の線にまとめられていく。
(最初から、このつもりだった)
カイが低く言った。
「罠だな」
騎士は答えない。
答える義務がないからだ。
「フロナ」
カイが彼女を見る。
「行くな」
昨日と同じ言葉。
でも今度は、**選べる最後の瞬間**だった。
構成魔導が、可能性を弾き出す。
突破。
抵抗。
強行。
――成功率は低い。
そして、辺境が報復を受ける。
フロナは、ゆっくりと首を振った。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる声。
「戻る」
はっきりと言う。
「必ず」
カイの目が揺れる。
「……信じていいのか」
「信じて」
それしか言えなかった。
カイは一歩前に出ようとして、騎士に制止される。
「これ以上は、皇太子権限への抵触になります」
槍が、地面に突き立てられた。
音が、決定的だった。
フロナは、そっとカイの外套を掴んだ。
「来ないで」
小さな声。
「ここで、無理しないで」
カイは、彼女の手を掴み返す。
強く。
離す気のない力。
「……行かせたくない」
低く、掠れた声だった。
次の瞬間、カイはフロナを引き寄せた。
言葉より先に、身体が動いていた。
強く、けれど乱暴ではなく。
逃げ場を塞ぐような抱擁。
鎧越しでも分かるほど、心臓が速く打っている。
「……」
フロナは、一瞬だけ息を止めた。
抱きしめられて初めて、
自分がどれほど“戻りたい場所”を背にしているのかを思い知る。
外套の内側で、水色の石が胸に当たった。
冷たいはずなのに、今はそれさえ温度を持っている。
「知ってる……」
フロナは、彼の背にそっと腕を回した。
短い。
本当に、短い抱擁。
それでも、十分すぎるほどだった。
「後悔したくないの。だから――」
彼女は、顔を上げる。
「行ってくる」
その言葉に、カイの腕が一瞬だけ強まった。
それから、ゆっくりと離れる。
名残を残したまま。
「待ってて」
それは命令でも、約束でもない。
”願い”だった。
カイは答えなかった。
答えられなかった。
馬車の扉が閉まる。
音が、はっきりと区切りを作る。
車輪が回り出す。
窓の外で、カイの姿が遠ざかる。
帝国内の道。
なのに、もう戻れないと分かる。
フロナは胸元を押さえた。
水色の石は、冷たかった。
(……やっぱり)
霊素が告げる。
(これは、帰還じゃない)
連行だ。
馬車は、帝都へ向かう。
待っているのが病床の母ではないことを、
フロナは、もう理解していた。
それでも、あの人が本当に床に伏している可能性を、
どうしても切り捨てきれなかった。
フロナは目を閉じなかった。
逃げない。
次の場所が、
どんな顔をして待っていようとも。
彼女は、そこへ行くと決めたのだから。




