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第2話 帝国内検問線

 出発は、早かった。


 帝国の使者が砦を訪れてから、半日も経っていない。

 まるで、考える時間そのものを奪うために、最初から決められていたかのようだ。


 砦の前に用意された馬車は、帝国仕様だった。

 深い青の塗装。磨き上げられた金具。

 「迎え」であることを強調する、過剰なほどの丁寧さ。


 フロナは外套を羽織り、最後に砦を振り返った。


 石壁。

 見張り台。

 遠くで動く人影。


 ここは、彼女が

 “帝国の失敗作”ではなく、“必要な存在”として立っていた場所だ。


「行こう」


 隣で、カイが短く言った。


 最低限の装備だけを整えた姿。

 長旅というより、**戻ってくる前提**の身なりだった。


「戻ったら、続きをやる」


 そう言って、彼は砦の方を顎で示す。


「蒼魔石の坑道。まだ途中だ」


 フロナは、ほんの少し笑った。


「ええ。設計、更新しておきます」


 それが、あまりにも“日常の約束”みたいで。

 今になって、胸の奥がきりりと痛んだ。



 馬車は、帝国内の街道を進む。


 霊素魔法エーテル・フェアリーが、嫌なざわめきを拾っていた。

 進路の先にあるのは、境界。


 国境ではない。

 帝国内部に引かれた、治安と権限の線。


(……検問線)


 構成魔導アーキテクトが、地図を展開する。

 帝都直轄。

 皇太子権限。

 臨時動員された帝国騎士団。


 ――多すぎる。


 ただの帰還に、必要な人数ではない。


 フロナは、胸元に指を当てた。


 外套の内側で、小さな石が冷えている。

 水色の澄んだ石。

 空を閉じ込めたような、静かな色。


 守りの魔道具でもない。

 ただの飾り。


(……それでも、外していない)


 未練だと分かっている。

 でも、まだ“終わらせきれていない”証だった。




 検問線は、低い城壁と詰所で構成されていた。


 帝国内の通行路にしては、異様な厳重さだ。

 立っているのは、全員が帝国正規騎士団。


 馬車が止まる。


「確認を」


 騎士の声は、形式的だった。


 カイが先に降りる。


「同行者だ。帝都まで向かう」


「確認しました」


 騎士は書類をめくり、淡々と告げる。


「フロナ・ドレイクハルト様は、

 皇太子殿下の直轄要請により、単独での帰還対象です」


 一瞬、空気が凍る。


「……単独?」


 カイが眉をひそめる。


「辺境伯カイ・ヴァルシュタイン殿は、

 帝都への同行を認められていません」


「理由を言え」


「理由は不要です」


 即答だった。


 権限は、説明をしない。


 フロナが馬車から降りた。


「同行はできないと?」


「そうですね」



 言葉の切り分けが、はっきりしていた。


 霊素フェアリーが、嫌な形で収束する。

 未来が、一本の線にまとめられていく。


(最初から、このつもりだった)


 カイが低く言った。


「罠だな」


 騎士は答えない。

 答える義務がないからだ。


「フロナ」


 カイが彼女を見る。


「行くな」


 昨日と同じ言葉。

 でも今度は、**選べる最後の瞬間**だった。


 構成魔導アーキテクトが、可能性を弾き出す。

 突破。

 抵抗。

 強行。


 ――成功率は低い。

 そして、辺境が報復を受ける。


 フロナは、ゆっくりと首を振った。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせる声。


「戻る」


 はっきりと言う。


「必ず」


 カイの目が揺れる。


「……信じていいのか」


「信じて」


 それしか言えなかった。


 カイは一歩前に出ようとして、騎士に制止される。


「これ以上は、皇太子権限への抵触になります」


 槍が、地面に突き立てられた。


 音が、決定的だった。


 フロナは、そっとカイの外套を掴んだ。


「来ないで」


 小さな声。


「ここで、無理しないで」


 カイは、彼女の手を掴み返す。


 強く。

 離す気のない力。



 「……行かせたくない」


 低く、掠れた声だった。


 次の瞬間、カイはフロナを引き寄せた。

 言葉より先に、身体が動いていた。


 強く、けれど乱暴ではなく。

 逃げ場を塞ぐような抱擁。


 鎧越しでも分かるほど、心臓が速く打っている。


「……」


 フロナは、一瞬だけ息を止めた。


 抱きしめられて初めて、

 自分がどれほど“戻りたい場所”を背にしているのかを思い知る。


 外套の内側で、水色の石が胸に当たった。

 冷たいはずなのに、今はそれさえ温度を持っている。


「知ってる……」


 フロナは、彼の背にそっと腕を回した。


 短い。

 本当に、短い抱擁。


 それでも、十分すぎるほどだった。


「後悔したくないの。だから――」


 彼女は、顔を上げる。


「行ってくる」


 その言葉に、カイの腕が一瞬だけ強まった。


 それから、ゆっくりと離れる。


 名残を残したまま。




「待ってて」


 それは命令でも、約束でもない。

 ”願い”だった。


 カイは答えなかった。

 答えられなかった。




 馬車の扉が閉まる。


 音が、はっきりと区切りを作る。


 車輪が回り出す。


 窓の外で、カイの姿が遠ざかる。


 帝国内の道。

 なのに、もう戻れないと分かる。


 フロナは胸元を押さえた。


 水色の石は、冷たかった。


(……やっぱり)


 霊素フェアリーが告げる。


(これは、帰還じゃない)


 連行だ。


 馬車は、帝都へ向かう。


 待っているのが病床の母ではないことを、

 フロナは、もう理解していた。


 それでも、あの人が本当に床に伏している可能性を、

 どうしても切り捨てきれなかった。


 

 フロナは目を閉じなかった。


 逃げない。


 次の場所が、

 どんな顔をして待っていようとも。


 彼女は、そこへ行くと決めたのだから。



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