表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/39

第12話 崩壊の足音

 帝都の空気は、目に見えないほど重かった。


 街は、まだ立っている。

 城壁も、塔も、王城も崩れてはいない。


 それでも――

 「終わり始めている」ことだけは、誰の目にも明らかだった。


 通りを歩く人々の足取りが遅い。

 声は低く、視線は下がり、誰もが「次」を見ないようにしている。

 瓦礫はない。

 だが、仕組みの中身が抜け落ちていた。




 皇太子執務室では、怒号が途切れることなく響いていた。


「どういうことだ!」


 セドリックが机を叩く。

 音は乾いていて、返事のない空間に虚しく跳ね返った。


「南の倉庫が空? 北街道は通れない?

 軍需魔石の残量が“想定以下”だと?」


 報告に立つ文官たちは、誰一人として顔を上げられない。

 紙の束を抱えたまま、立ち尽くしている。


「……殿下。

 これ以上、帳尻合わせでは――」


「言い訳は聞いていない!」


 皇太子の声は、苛立ちと焦りを孕んでいた。


 かつてなら、

 この程度の歪みは“起きる前に修正されていた”。


 事故は減り、

 遅延は回避され、

 帝国は「うまく回っている」ように見えた。


 ――そう、“見えて”いただけだ。


「なぜだ……」


 セドリックは、机に手をついた。


「フロナがいた頃は……

 こんなことには……」


 その名を口にした瞬間、

 部屋の空気が、わずかに揺れた。


 誰もが知っている。

 だが、誰も言わなかった名前。




 寒空の午後、中央広場では群衆が集まり始めていた。


「パンがない!」

「仕事が止まった!」

「帝国は、俺たちを見捨てたのか!」


 怒りと不安が、渦を巻く。

 火種は小さいが、乾いていた。


 その前に立ったのは、赤髪の令嬢だった。


 リリアーヌ・フレアライト侯爵令嬢。


 燃えるような髪と、真紅のドレス。

 彼女が一歩踏み出すだけで、空気が熱を帯びる。


「――皆さま!」


 澄んだ声が、広場に響く。


「恐れる必要はありません!

 帝国は、まだ力を持っています!」


 彼女の掌に、炎が灯った。


 美しく、強く、圧倒的な火。

 純血の火属性魔法。

 誇り高き“帝国の象徴”。


 群衆が、どよめく。


「これが帝国の力です!」

「私たちは、まだ戦える!」


 一瞬、歓声が上がった。


 ――だが、それは続かなかった。


「……で?」


 低い声が、背後から落ちる。


 セドリックが、群衆の前に立っていた。


 疲れ切った目で、炎を一瞥する。


「それで、腹は膨れるのか?」


 広場が、凍りついた。


「殿下……?」


 リリアーヌが、戸惑いを滲ませる。


「火の魔法は、士気を――」


「士気で人は生きない」


 即答だった。


「今、こいつらが欲しいのは、

 希望の演出じゃない」


 セドリックは、群衆を見渡す。


「食料だ。仕事だ。

 明日を生きられる“仕組み”だ」


 誰かが、小さく頷いた。


 炎が、揺らぐ。


「空腹の群衆は、

 美しい炎より、汚れたパンを選ぶ」


 その言葉は、容赦がなかった。


「……セドリック様、私を汚れたパン以下だと?」


 リリアーヌが噛みつく。


「違う」


 セドリックは、冷たく言い放つ。


「お前は、今の帝国に必要ない」



 炎が、消えた。


 風に晒された掌が、じんと痛む。

 さっきまでそこにあった熱が、嘘のように消えていた。


 

 広場は静けさに包まれていた。


 さきほどまで、あれほど騒がしかった群衆が、

 誰一人として彼女を見ていない。


 視線は、炎ではなく、

 セドリックの背中へ、

 あるいは地面へと落ちていた。


「……」


 リリアーヌは、もう一度、掌を見た。


 火は出せる。

 完璧な純血の魔法。

 帝国が誇ってきた力だ。


 それなのに。


(どうして……?)


 胸の奥が、ひどく冷える。


 炎を出したのに。

 “正しいこと”をしたのに。

 選ばれるはずだったのに。


 まだ火は出せるが、皇太子の婚約者として、

 彼女を必要とする世界は、もうどこにもなかった。





 茫然と立ちすくむリリアーヌを遠目に見ながら、

 セドリックは、確信に近い思考に沈む。


(足りない)


 魔力でも、血統でも、演出でもない。


 “仕組みそのものを動かす存在”が。


 頭に浮かぶのは、ただ一人。


(フロナ)


 数字を見て、

 地形を読み、

 霊素の囁きを拾い、

 未来を“起きる前に”組み替えていた女。


(……失敗作、ではなかったのか?)


 奥歯を噛みしめる。


 帝国を支えていたのは、

 自分でも、父でも、火の令嬢でもなかった。


 自ら追い出した“混ざり物”だった。



 ドレイクハルト公爵邸。


 重厚な書斎で、ヴァルター公爵は震えていた。


「……嘘だ」


 積み上げられた報告書。

 すべてに共通するのは、同じ欠落。


「構成の補正が……存在しない……」


 公爵夫人エリセは、椅子に沈み込む。


「もしかして……

 私たちが捨てた娘は……」


 二人の脳裏に、同じ答えが浮かぶ。


 ――真の天才。


 家のためでも、帝国のためでもなく、

 「世界を回していた存在」だったのかもしれない。


 背筋に、冷たいものが走った。




 その夜。


 皇太子執務室で、セドリックは一通の手紙を書いていた。


 宛名は――

 ヴァルター・ドレイクハルト公爵、フロナの父だ。


 丁寧で、弱く、哀れに、フロナに手紙を書くようにとの命令。


 フロナの母が倒れたこと。

 心労が重なっていること。

 最期に、一目会いたがっていること。


(……これでいい)


 フロナは、情に脆い。


 あの女なら、

 罠だと疑っていても来る。


 ペンを置き、セドリックは歪んだ笑みを浮かべた。


「今度こそ――

 帝国の“核”を、取り戻す」



 一方、辺境ヴァルシュタイン。


 夜明け前の、薄暗い空の中。


 フロナは、地図の前でふと手を止めた。


 霊素魔法エーテル・フェアリーが、わずかにざわつく。

 冷たい風が、まだ見えない場所から吹いてくる。


(……嫌な風向き)


 まだ形は見えない。

 けれど、確実に“来る”。


 帝国は、失ったものを取り戻しに来る。


 知らず知らず、フロナは胸元を押さえていた。


 そこにあったはずの、

 古い記憶の重さを確かめるように。


 遠く、帝都の方角に雲がかかる。


 崩壊の足音は、もう隠されていない。


 それは、

 ”再会という名の罠”の始まりでもあった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ