第11話 独立の産声
朝の辺境は、静かだった。
雪はもう降っていない。
白い大地に、低い陽が反射し、目を細めたくなるほど眩しい。
凍りついた世界が、ゆっくりと息を吹き返す時間帯だ。
それでも空気は張り詰めている。
嵐の前ではなく――”嵐の後”の、妙に澄んだ静けさ。
壊れるべきものは壊れ、
残るべきものだけが残ったあとの、静寂だった。
砦の会議室に、人が集まっていた。
辺境の技術者たち。
新たに通商路を繋いだ隣国の使節。
交易を始めた商会の代表。
そして――ヴァルシュタイン辺境伯、カイ。
長机の端に、フロナが立っている。
水色の髪は、今日も目立っていた。
けれど、そこに侮りの視線はない。
今やそれは、この地では
「繁栄の色」として認識されていた。
知識を持つ者の色。
現場を読む者の色。
そして、未来を描く者の色。
「……状況は、理解してもらっているな」
カイが口を開く。
「帝国は、機能不全に陥っている」
ざわめきが、わずかに広がる。
だが、誰も否定しなかった。
「物流は止まり、軍は動かず、外交も破綻している。
それでも帝国は、我々に“従属”を求めてくるだろう」
重い沈黙が続く。
誰もが、同じ未来を思い描いていた。
――命令。徴発。介入。
カイは、そこで一度、言葉を切った。
「……だから、決める必要がある」
視線が、フロナに集まる。
フロナは一歩前に出た。
「私は、帝国の構造を知っています」
フロナの声は、静かで、よく通った。
「街道。倉庫。霊素の流れ。
税と軍需の循環。
すべて、“帝都を中心にした設計”です」
指先が、机の上の地図をなぞる。
かつての帝国地図。
今は、無数の赤線と青線で書き換えられている。
線は絡み合い、中心を外れ、別の形を作っていた。
「でも、今は違う」
フロナは顔を上げる。
「この辺境を通る流れは、
もはや帝都を経由していません」
技術者の一人が、息を呑む。
「通商。資源。情報。
すべてが、この地を“起点”に動いています」
それは、理想論ではなかった。
数字と現場が、すでに証明している事実だった。
蒼魔石。
新しい水路。
隣国との直結交易。
帝国を通らない方が、速く、安定していた。
「……つまり」
誰かが、かすれた声で呟く。
「帝国がなくても、回っている、と」
フロナは、静かに頷いた。
「はい。
正確には――「帝国は“必要ない”状態」です」
空気が、ぴんと張る。
誰も反論しなかった。
カイが、ゆっくりと立ち上がった。
「俺は、ヴァルシュタイン辺境伯だ」
その言葉に、使節たちの背筋が伸びる。
「この地を守り、判断する権限は、最初から俺にある」
視線を巡らせる。
一人ひとりの顔を、確かめるように。
「帝国に反旗を翻すつもりはない」
一瞬、安堵が走る。
だが、次の言葉が、それを裏切った。
「だが、崩れた屋根の下で凍え続ける義務もない」
静かな断言。
「帝国が“中心”である時代は、終わった」
カイは、フロナを見る。
「俺は、この地を――
この地で生きる人間を選ぶ」
そして、手を差し出した。
フロナは、一瞬だけ迷った。
帝都にいた頃。
彼女はいつも、誰かの後ろに立たされていた。
数字を計算し、構造を支え、
決断の責任は、常に他人のものだった。
けれど今。
この手は、「利用」でも「命令」でもない。
「隣に立て」と、言っている。
フロナは、その手を取った。
「私は、ここにいます」
声は、震えなかった。
「この地の最適解は、
私と、カイが一緒にここにいることです」
会議室に、沈黙が落ちる。
次の瞬間、
「……異議なし」
隣国の使節が、深く頭を下げた。
「我々は、ヴァルシュタインを
独立した交渉主体として認めます」
一人、また一人と、頷きが広がる。
歓声はない。
拍手もない。
ただ――
世界が、現実を認めただけ、だった。
会議が終わり、人が去ったあと。
窓辺に並んで、フロナとカイは外を見ていた。
雪解け水が流れる音。
遠くで、子どもの笑い声。
「……大事になったな」
カイがぽつりと言う。
「構成的では、必然です」
「そういうと思った」
カイは小さく笑った。
「怖いか?」
フロナは、少し考えた。
「怖くないと言えば、嘘になります」
正直な答え。
「でも……帝国にいた頃よりは、ずっと楽です」
「それは良かった」
カイが、少しだけ近づく。
「俺は、怖い」
意外な言葉だった。
「責任も、敵も、これから増える」
フロナは、彼を見上げる。
「それでも?」
「それでも、選ぶ」
迷いのない声。
「フロナと、この地を」
フロナの胸の奥で、何かが静かに定まった。
その日、ヴァルシュタインは
独立を「宣言」しなかった。
けれど――
通商は止まらず。
資源は巡り。
人は集まり、笑っていた。
それこそが、
”国が生まれた証”だった。
帝国の地図から見れば、
辺境はまだ“端”にある。
だが、フロナの頭の中では――
そこが、確かに「大陸の中心」に見えていた。
静かに、確実に。
新しい時代が、産声を上げていた。




