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第8話 傲慢と衰退

 皇宮の回廊に、かつてない静けさが漂っていた。


 魔導灯は点いている。

 床は磨かれ、光を正確に反射している。

 侍従も、文官も、定められた位置に立っている。


 ――それでも。


 空気が、動いていなかった。


 水を失った噴水のように、

 形は整っているのに、

 内側から音が消えている。




 それを最初に言葉にしたのは、

 皇太子執務室に駆け込んできた文官だった。


「殿下……南方倉庫より、報告です」


「今度は何だ」


 皇太子セドリック・ハーグレイヴは、

 椅子に深く腰掛けたまま答えた。


 整えられた青髪は乱れず、

 声音も、あくまで冷静を装っている。


「絹と染料が……届いておりません」


「……は?」


 ほんの一瞬。

 眉が、わずかに動いた。




「どういうことだ。

 祭礼用の分は、先月の時点で確保したはずだろう」


「はい。帳簿上は、確かに……」


 文官は、視線を伏せる。


「ただ、実際には

 “通過していない”街道がありまして……」


「通過していない?」


 セドリックの声が、低くなる。


「帳簿にあるなら、

 届いているはずだろう!」


 机を叩く音が、硬く響いた。


 文官は、首を横に振る。


「帳簿上では“問題なし”です。

 ですが現地では、魔物の出没頻度が上がり、

 一部の隊商が、迂回を余儀なくされています」


「そんな報告、聞いていない!」


「……以前は」


 文官は、ためらいながら続けた。


「危険域に入る前に、

 調整が入っていました」


 その言葉で、室内の空気が止まる。



 ――思えば。


 十年前の帝国は、

 今ほど大きくはなかった。


 街道は頻繁に止まり、

 荷は遅れ、

 祭礼の準備が間に合わない年もあった。


 だが当時、人々はそれを

 「仕方のないこと」と受け入れていた。


 不便は、日常の一部だった。


 いつ届くか分からない荷を待ち、

 足りなければ工夫し、

 無ければ無いなりに暮らしていた。


 ――それが変わったのは、

 ここ十年だ。


 街道は止まらなくなり、

 市場は常に満ち、

 帳簿は一度も狂わなくなった。


 人々は、それを

 「帝国の成長」だと思った。


 だが本当は。


 フロナが、先回りして不具合を消し続けていただけだった。


 遅延が起きる前に調整され、

 不安が芽吹く前に摘み取られ、

 混乱は「なかったこと」にされていた。


 その完璧さに慣れすぎた結果――


 人々は、

 少しの滞りも、

 少しの不足も、

 もう耐えられなくなっていた。


 不便になったのではない。


 恵まれすぎていた時間が、終わっただけだった。



「調整、とは?」


 セドリックの声は、低い。


 文官は、慎重に言葉を選んだ。


「街道の使用日をずらしたり、

 隊商の規模を分割したり、

 倉庫間の融通を即座に変更したり……」


「誰が?」


「……フロナ様、です」


 その名が落ちた瞬間、

 セドリックの指先が、わずかに震えた。


「……彼女は、もういない」


「はい」


 文官は、静かに頷く。


「現在は、

 構成魔導の理論上“最短・最効率”の

 ルートのみを使用しています」


 それが、

 最も“脆い選択”だった。




 そして、皇宮奥のリリアーヌの私室でも、

 問題が起きていた。


「……嘘でしょう」


 リリアーヌ・フレアライトは、

 運び込まれた箱を見下ろしていた。


 本来なら、

 彼女の赤髪を最も美しく引き立てるはずの新作ドレスが入っているはずだった。


 だが箱の中にあったのは、

 二世代前の型落ち。


「これは……去年の春のデザインじゃない」


「も、申し訳ございません……

 新しい布が入らず……」


「入らない?」


 声が、鋭く跳ねる。


「帝国の皇太子妃候補の衣装よ?」


 ぱちん、と乾いた音が響く。


 リリアーヌが手袋を外し、箱の縁を叩いた音だった。


「冗談じゃないわ。

 今度の式典、各国の使節も来るのよ!」


「はい……ですが現在、

 染料・絹・金糸の流通が滞っておりまして……」


「滞ってる、滞ってるって!」


 苛立ちに呼応して、

 彼女の火属性魔力が、微かに揺れる。


「最近、何もかも――おかしいじゃない!」




 その不満は、やがて皇太子のもとへ届いた。


「殿下、リリアーヌ様が……」


「わかっている!」


 セドリックは声を荒げた。


「今、対処しているところだ!」


 だが――

 何を、どう対処すればいいのかが、もう分からない。


 以前なら。


「少し様子を見よう」


 その一言で、

 数日後には自然と収まっていた。


 今は違う。


 “様子を見る”という余裕そのものが、消えているのだ。




「殿下」


 低く、落ち着いた声。


 フロナの父、ヴァルター・ドレイクハルト公爵だった。


「現在の混乱は、

 理論上は想定内です」


「想定内?」


 セドリックは、顔を上げる。


「この状況がか?」


「構成魔導の計算では、

 無駄な補正を省いた分、

 効率は上がっています」


「ではなぜ、回らない!」


 声が裂ける。


「なぜ、物が届かない!

 なぜ、兵站が詰まる!

 なぜ、民が不安を口にし始めている!」


 ヴァルターは、

 一瞬だけ沈黙した。




「……“現場のノイズ”を、

 切り捨てたからです」


「ノイズ?」


「天候の微差。

 魔物の兆候。

 人の心理的な揺れ」


 ヴァルターは淡々と続ける。


「それらは数式に落としづらい。

 フロナは、それを霊素魔法エーテル・フェアリーで拾い、

 私の構成魔導アーキテクトで“後付け”していました」


 セドリックの喉が鳴った。


「……つまり」


「フロナは、

 理論と現実の“翻訳機”だったのでしょう」


 それは、

 父としてではなく、

 一人の魔導学者としての評価だった。




「そんなもの……」


 セドリックは、言葉を探す。


「そんなもの、

 代わりはいくらでも――」


「おりません」


 ヴァルターは即答した。


「構成と霊素、

 両方を同時に扱える個体は極めて稀です。

 しかも、あれほどの精度で

 “人の生活”に落とし込める者は……」


 言葉が、途切れる。


 彼自身も、

 今さらその価値に気づいたことを

 認めたくなかった。




 セドリックは、椅子に深く沈み込んだ。


「……なぜだ」


 絞り出すような声。


「なぜ、フロナの時は、

 すべてが当たり前に回っていた……」


 答えは、

 もう分かっている。


 だが、それを口にすれば――

 自分の判断が、

 取り返しのつかない誤りだったと認めることになる。




 かつて賑わっていた大通りで、

 馬車の列が、また一つ、止まっていた。


 風が吹き抜け、

 埃が舞う。


 誰かが、小さく呟いた。


「……帝国、最近……おかしくないか?」


 その声は、まだ小さい。


 だが、

 乾いた地面に入ったひび割れのように、

 確実に広がり始めていた。


 ――見えない支えを失った帝国は、

 まだ、自分が

 ”傾き始めている”ことに気づいていなかった。





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