第2話 混ざり物の娘
皇太子執務室をあとにしたフロナは、
胸の奥に鉛を抱えたまま扉を閉じた。
廊下に満ちる冷たい空気が頬を刺す。
光は煌びやかなのに、なぜか世界が灰色に見える。
(大丈夫。泣かない……泣く暇があったら、計算する)
胸の痛みを手のひらで押し込むようにして歩き出す。
白大理石の回廊は、宮廷の誇りの象徴。
けれどフロナにとっては、昔の記憶を呼び覚ます迷路のようだった。
足を踏み出すたび、
薄く漂う魔素が肌に触れ、
幼い自分の声が脳裏に瞬いていく――。
◆
――五歳のフロナは、机にしがみついていた。
「次の式を解け。魔素循環の偏差を求めろ」
低くよく通る声。
父ヴァルター・ドレイクハルト公爵。
大人でも眉をひそめる難問を前に、
水色の髪の少女は、震える指で魔素式を書き連ねる。
光の線が走り、式が組み上がり、答えを結ぶ。
「……違う。そこだ」
どれだけ考えても、父の求める線には届かない。
「構成魔導アーキテクトは世界を正しく組み替える力だ。
誤差は罪だ。理解できぬなら寝る時間を削れ」
(理解してるつもりだけど……
間違ってるのは、私の頭?)
小さな胸にズギリと刺さる疑問。
否定は、毎日積み重なっていく。
◆
本来、この国の「魔法の血」はもっと単純だ。
青い髪を持つ者は、構成魔導アーキテクト――
世界を数式と法則で組み替える「理」の魔導に適性を持つ。
銀の髪を持つ者は、霊素魔法エーテル・フェアリー――
風や大地、空を流れる霊素と対話する「感」の魔導に適性を持つ。
両親が違う系統の魔導師であっても、
生まれてくる子どもはふつう、どちらか一方の性質だけをはっきりと受け継ぐ。
髪の色も、魔力の性質も「片方」に振り切れるのが当たり前だった。
――だからこそ。
フロナのように、
青と銀が混ざったような**水色の髪**を持ち、
構成と霊素、二つの「適性」を同時に抱えて生まれてくる子どもは、極めて珍しい。
珍しいが――それはたいてい、「祝福」ではない。
血が混ざった子どもの多くは、
どちらの魔法も中途半端で、
魔力はごく小さいか、そもそも魔法が使い物にならない「欠陥品」に育つことが多い。
古い人間は、
そういう子どもをまとめて「混ざり物」と呼ぶ。
色が混じった髪。
揺らいで定まらない魔力。
構造の綻びを抱えた器。
――水色は、その象徴だ。
だからフロナの生まれは、
帝都では「奇跡」ではなく、ずっと「不吉」と囁かれてきた。
◆
場所が変われば、空気も変わる。
けれど苦しさの種類が変わるだけだった。
「フロナ、目を閉じて。流れを感じるのよ」
母エリセの声は柔らかく、まるで歌のよう。
銀髪が揺れ、陽光を浴びてほの白く光る。
彼女は王国の元王女――美の象徴とまで呼ばれた魔導師だ。
「霊素魔法エーテル・フェアリーは理屈ではないわ。
風の機嫌、花のささやき、魔素の“気分”を読むの。
フロナならできるはず。ほら、やってみなさい」
小さなフロナはそっと息を整える。
すると世界が変わる。
空気が色を取り戻し、粒子が舞い踊り、
風の肌触りまで言葉のように伝わってくる。
(冷たい……でも、すごく綺麗……!)
魔素の光が手のひらに集まり――
まさに解き放とうとした瞬間。
ぱちッ ぱちぱちぱちッ!!
「きゃっ!」
青い構成式が銀の霊素粒子とぶつかり、
ぐしゃ、と歪んだかたちで弾け飛んだ。
光が崩れ、魔法は煙にもならず消える。
残ったのはひび割れた静寂。
「……なんて醜い」
母の吐息は、氷より鋭かった。
「ヴァルターが無理に構成を叩き込むからよ。
霊素が流れないじゃない」
「流れないのは本人の器量が足りないからだ」
父は即答した。
まるでフロナは、そこにいないかのように。
「構成魔導を完全に理解すれば霊素など制御できる。
できないのは努力不足だ」
「霊素は押さえつけたら死ぬのよ!
この子は感応の資質があるのに、あなたは――」
「無駄だ。成果をもたらすのは構成だ」
「感性も必要です!」
「成果を出せていないのだから、必要ではない」
魔素よりも痛い、言葉の衝突。
フロナは二人の間に取り残されていた。
どちらも正しいようで、どちらも残酷だった。
(構成は好き。
霊素も好き。
どっちもちゃんとできるようになりたいのに――)
胸がぎゅっと縮み、喉がつまる。
涙がこぼれ落ちる瞬間、
母の声が落ちた。
「……本当に、この子は“混ざり物”の失敗作だったのかもしれないわね」
父は頷いた。
音もなく、世界が暗くなる。
◆
翌週には屋敷中が知っていた。
「魔法が撃てないんだって?」
「高い教育してるのにねぇ……」
「水色の髪って、やっぱり不吉よね。
混ざり物の色って、昔から言うじゃない」
耳に入ってくるひそひそ声は、
どれも薄笑いを含んでいた。
幼いフロナは笑って受け流した。
受け流して、机に戻って式を書いた。
(間違ってるのは私。
もっと努力すれば、“混ざり物”でも両方できるはず)
幼い決意は、涙の跡よりずっと深かった。
そして――
諦めなかった理由はひとつだけ。
◆
初めてあの人に褒められた日。
「フロナ、君は特別だ。
構成も魔法もできるなんて、帝国でたった一人の才能だ」
光のようだった。
その一言だけで、世界が全部色づいた。
“混ざり物”と呼ばれ続けた自分の髪が、
そのときだけは祝福の色に見えた。
あれからずっと、
その言葉を宝物にして生きてきた。
――結果、今日の「帳簿扱い」だったけど。
◆
(やっぱり、どこか――間違えちゃったのかな)
宮廷の回廊を歩きながら、
フロナは自分の両手を見つめる。
規則を組み替える手。
風を感じ取る手。
どちらの才能も“触れられる”。
でも放とうとすれば、内側で絡まって喧嘩をする。
**構成魔導(理)と霊素魔法(感)。**
本来ならどちらか一つだけ宿るはずの性質が、
水と油のように反発し、互いを台無しにして。
(それでも――)
胸の奥に、小さな火が灯る。
(混ざり物だからこそ、見える世界があるはず)
誰にも届かないかすかな声で呟く。
「構成も霊素も、両方あるんだから……
いつか必ず、正解に辿り着ける」
水色の髪が、光に揺れてきらめいた。
それは“失敗作”と呼ばれた色――
けれど彼女だけは、その色にまだ希望を見ていた。




