第6話 新しい「家族」
辺境ヴァルシュタイン領に、奇妙な噂が流れ始めた。
――水色の髪の女がいる。
――帝都から追い出された“混ざり物”だ。
――だが、あいつの言う通りにすると、土地が息を吹き返す。
噂は最初、焚き火を囲む夜の酒の席で囁かれただけだった。
薪の爆ぜる音や、酒の匂い、
酔いに紛れた、半分は冗談の与太話から始まった。
◆
「……で、本当に水が出たんだと?」
砦の作業場で、ひとりの男が言った。
煤けたゴーグルに、油染みの外套を着ている、
魔導器具を握り慣れた、節くれだった手をした初老の男だった。
作業場には、鉄と油の匂いに混じって、
かすかな霊素の気配が漂っていた。
「嘘だと思ったんだがな」
男は肩をすくめた。
「例の“混ざり物令嬢”が言った場所を掘ったら、
十年止まってた水路が、急に――流れ出した」
「へえ……」
別の男が、顎を撫でる。
「帝国の技師団が何年も調べて、
“構造的に不可能”って切り捨てた場所だぞ」
「だからだよ」
最初の男が、低く笑う。
「俺たちみたいな“半端者”の居場所が、
あそこにあるんじゃないかって話だ」
彼らは、いわゆる“混ざり物”だった。
帝国では、魔法は一つの属性に収まっているのが“正常”とされる。
火なら火。
水なら水。
それ以上でも、それ以下でもないことが、美徳だった。
複数の属性が混ざる者は、
「制御しにくい」
「管理できない」
「規格外」
「使えない者」
として扱われる。
彼らは専門部署にも配属されず、
魔導式も、教本通りには当てはまらなかった。
技術があっても、成果を出しても、
評価の席に並べられることはない。
問われるのは、能力ではなく
“その魔法が、ひとつかどうか”だけだった。
だから――
彼らは、噂に引き寄せられた。
◆
「……来たぞ」
砦の門前で、カイが腕を組む。
数人の男と女。
年齢も、出身も、魔法適性もばらばら。
装備は揃っていない。
服も、道具も、寄せ集めだ。
だが全員、
風の冷たさに身をすくめながらも、
引き返そうとはしていなかった。
共通点は一つ。
帝国に“不要”と判断されたこと。
「用件を言え」
辺境伯カイの声は、相変わらず硬い。
先頭に立っていた女が、一歩前に出た。
「フロナ・ドレイクハルト様に会いたい」
その名を聞いた瞬間、
カイはちらりと砦の奥を見る。
「……私に?」
フロナは、書類の束を抱えたまま首を傾げた。
「何か、やらかしました?」
「違う」
カイは短く答える。
「会いたいって連中が来た」
「……?」
フロナは少し困った顔で、外へ出た。
門前に立った瞬間、
彼女は理解した。
(ああ……この空気)
霊素が、静かに波打つ。
似た歪み。
似た温度。
似た“居場所のなさ”。
異端。
混ざり物。
半端者。
「初めまして」
フロナは、自然と背筋を伸ばした。
「フロナ・ドレイクハルトです」
その一言で、
彼らの表情が変わった。
期待。
不安。
恐れ。
そして――
「ここなら大丈夫かもしれない」という期待でソワソワしていた。
「あなたが、水色の髪の……」
「ええ、噂の“混ざり物”です」
フロナは、あっさり言った。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、誰かが吹き出す。
「……正直だな」
「帝都の貴族とは思えない」
「いや、だからこそ、か」
凍っていた空気が、
ほんの少しだけ緩んだ。
「帝都では、混ざり物は役立たず扱いでした」
フロナは淡々と続ける。
「両親の魔法適性が違っても、
普通はどちらか一方しか受け継がれない。
両方が混ざるのは稀で――」
わずかに、言葉を区切る。
「大抵は、“使えない”」
誰も否定しなかった。
全員が、それを知っている。
「でも」
フロナは、顔を上げた。
「ここでは、違うかもしれません」
「あなたたちは、何ができますか?」
問いは、まっすぐだった。
魔導具の調整。
結界の補修。
水路の設計。
採掘の補助。
実務。
生きるための技術。
フロナの頭の中で、
配置図が、自然に組み上がる。
(……足りなかったピースが、全部ある)
「来てください」
気づけば、そう言っていた。
「ここは、完璧な人間の場所じゃありません」
混ざり物。
半端者。
失敗作。
「でも、“役に立つ人間”の居場所はあります」
風が、止まったように感じられた。
最初に頭を下げたのは、
さっきまで強気だった女だった。
「……お願いします」
続いて、他の者たちも。
深く、深く。
それは服従ではなく、
”ようやく辿り着いた居場所への挨拶”だった。
カイは、その光景を黙って見ていた。
その日の夜も、
砦の灯りが穏やかに、闇の中に柔らかく滲んでいた。
「……増えたな」
カイが言う。
「はい」
フロナは、少しだけ誇らしげに頷いた。
「人手と、知恵と、胃袋が」
「最後いらねえだろ」
「重要です」
食い扶持が増えたことはフロナにとっては考えるべき、重要なことだったのだ。
風が、二人の間を通り抜ける。
「なあ、フロナ」
カイが言う。
「お前、帝都に戻りたいか?」
フロナは、すぐには答えられなかった。
砦の灯り、人の話し声、湯気の立つ鍋の匂いが二人を包み込む。
すべてが、少し不格好で、あたたかい。
――やがてフロナは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。私はここにいたいです」
「ここには、居場所があります」
「居場所?」
「役に立たなくても、ここにいていい場所。
失敗しても、次の朝を一緒に迎えてくれる人たちがいます」
言い切ったあと、
ほんの一瞬だけ、フロナの声が揺れた。
「……帝都では」
フロナは、視線を落とす。
「私は、皇太子殿下を――本気で、愛していました」
胸の奥を、そっと指でなぞるような言い方だった。
「一緒に歩ける未来を、何度も想像して。
そのために、できることは全部、やったつもりです」
「でも……」
小さく、息を吸う。
「あの方は、私を見ていたわけじゃなかった」
その声にセドリックを責める響きは、なかった。
「必要な役割を、
都合のいい位置に置いていただけだったんだと思います」
言葉を探し、少しだけ間が空く。
「それでも、好きでした」
だからこそ、と続ける代わりに、フロナは首を振った。
「……私の愛は、
あの人と並んで生きるためのものじゃなくて」
「必要とされたいって願うだけの、
少し寂しい愛だったんだと思います」
カイは何も言わず、ただ静かに聞いていた。
「ここでは――」
フロナは、指先をぎゅっと握る。
「誰かの隣に立つ理由を、
証明しなくていい」
フロナは息を吐いた。
「だから、みんなを家族だと思えます」
「ここが、私の居場所です」
その声は、まだ少しだけ震えていたけれど、
その瞳に迷いはなかった。
カイは視線を逸らしながら呟いた。
「……厄介な女を拾ったな」
「今さらです」
フロナは、小さく笑った。
「でも――ここ、好きです」
霊素が、嬉しそうに揺れた。
混ざり物と呼ばれた者たちが集い、
不毛と切り捨てられた土地で芽吹くもの。
それは、まだ国ではない。
それは小さな、
けれど確かな――”居場所”だった。




