表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/34

第3話 思考の翻訳者 

 最初に、音が変わった。


 ――ごり。


 古びた水路の石を動かした、その瞬間。

 地面の奥から、湿り気を帯びた鈍い軋みが返ってくる。


 それは、

 長いあいだ閉じ込められていたものが、

 無理やり姿勢を変えさせられるときの音だった。


 冷たくて黴たような土の匂いが、ふっと濃くなる。


「……止めろ。今の感触、なんか変だ」


 鍬を握っていた兵の一人が、顔をしかめる。


「まだ動かすな。支え石を――」


「いいえ、今です」


 フロナの声は、驚くほど静かだった。


 風が、ぴたりと止む。


「その石、あと半刻放置すると、

 圧が逆流します。今なら――抜けます」


「根拠は?」


 短く、鋭く。


 カイが問う。


霊素フェアリーの流れが、逃げ場を探しています」


 フロナは地面に手をつき、目を伏せた。


 冷たい土。

 湿った砂。

 苔と古い水の、微かな匂い。


 その下で、

 重たい何かが、確かにうごめいている。


(……来る)


 胸の奥が、ひやりと冷えた。


「……今です!」


 叫ぶより先に、カイは決断していた。


「石を動かせ! 一気にだ!」




 次の瞬間。


 ――ごぼっ!!


 低く濁った音とともに、

 水路の底から、水が噴き上がった。


「うおっ!?」

「水だ!!」


 澱んでいた泥水が一度跳ね、

 陽の光を受けて、きらりと弾ける。


 次の瞬間、

 水はみるみる澄み、

 透明な流れへと変わっていった。


 何十年も止まっていた水路が、

 まるで深く息を吸い込み、

 吐き出すように脈打つ。


 水が、走る。


 石の隙間を縫い、

 土を洗い、

 冷たい音を立てて、村の下流へと流れていく。


 濡れた土と、苔と、

 かすかな鉄の匂い。


 空気が、少しだけ甘くなった。


 水面をかすめて、

 小さな虫が一匹、ふわりと舞い上がる。


 そのあとを追うように、

 どこからか小さな灰色の鳥が降り立ち、

 水をついばみ、首を振った。


「……出た」


 誰かの呟きが、

 凍った空気に、そっと落ちる。


「おい……これ……」


 兵の一人が、水を見下ろす。


「昔、ここに水があったって話……

 本当だったんじゃ……」


 カイは、言葉を失っていた。


 灰色の瞳が、

 走る水と、

 その中心に立つフロナを、交互に映す。


(……当たった)


 ――違う。


 **見えていた。**


 それを、形にしただけだ。



 だが、代償は即座に訪れる。


(……っ)


 フロナの視界が、急に白くなる。


 水の流れ。

 地中の圧。

 周囲の地形。


 音も匂いも、

 一気に流れ込んでくる。


(多い……!)


 同時に、十以上の未来図が立ち上がる。


 この水がどこへ流れるか。

 どこで氾濫するか。

 次に歪む場所はどこか。


(整理……しないと……)


 息を吸おうとして、

 空気が肺に入らないことに気づいた。


 水の匂いが、急に強くなる。


「……っ、は……」


 胸が詰まる。

 鼓動が、異様なほど大きい。


「フロナ?」


 カイの声が、遠い。


 視界の端が暗くなり、

 膝から、力が抜けた。



 倒れるより先に、腕を掴まれる。


「おい。大丈夫か?しっかりしろ」


 低く、はっきりした声。


 掌が、強く、確かに握られた。


「呼吸しろ。俺を見る」


 視界に、色彩が戻る。


「吸え。吐け。……ゆっくりだ」


 指先から伝わる体温が、

 ばらばらだった思考を、

 強引に一箇所へ集めていく。


(……あ)


 情報が、こぼれ落ちていく。


 音が、遠のく。


 水の流れが、

 一本の線にまとまるようだった。




 息を整え、

 フロナは、かすかに笑った。


「……すみません……」


「いい。今は黙れ」


 カイは短く言い切る。


「見えてるなら、溜め込むな。

 あんたの頭の中だけで、

 全部処理する必要はねぇ」




「……え?」


「俺がカタチにする」


 カイは、フロナの目を見た。


「見えてるものを、俺に渡せ。

 俺が人に伝える。形にする」


 その言葉に、

 胸の奥で、何かがはっきり音を立てた。


(……翻訳者)


 そうだ。


 今までフロナは、

 水の流れも、

 命の兆しも、

 全部一人で抱えてきた。



 水路の流れは、

 今も静かに続いている。


 だが――

 地下の澱みは、完全には消えていない。


 フロナには、それが見えていた。


 水の奥に、

 まだ眠っている“何か”。


 だが同時に、

 その水が、

 命を呼び戻し始めていることも。


 小さな鳥が、

 もう一度、水辺に降り立った。


 フロナは、空を見上げる。


 低い雲の切れ間から、

 冬の光が、わずかに差し込んでいた。


(……これ、面白くなるな)


 帝都では否定された“失敗作”が、

 ここでは、

 水と命と未来を動かしている。


 ――思考を翻訳する相棒と共に。


 次の設計図は、

 もう、フロナの頭の中に描かれていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ