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第12話 氷都を出て、風の地図へ

 馬車の車輪が、ゆっくりと帝都の石畳を離れていく。


 車体がきしむたびに、窓の外の景色が少しずつ低くなっていく。

 白い城壁、青い旗、整えられた街路樹――全部、見慣れたはずの風景だ。


 それでも、フロナは振り返らなかった。


 礼儀だからでも、強がりでもない。ただ――


(今、あそこを見たら、決壊する)


 自分の限界を、構成的に理解していた。


(殿下……)


 心の中で呼んでも、返事は来ない。

 もうあの人の隣には、別の色の炎が灯っている。



 馬車が城下を抜けるまでのあいだ、

 フロナの脳裏には、いくつもの“小さな場面”が浮かんでは消えていた。


 徹夜明けの朝、

 書類の山を抱えて執務室に入ると、セドリックが笑って言った。


『相変わらず働き者だな、フロナ。君がいてくれて助かる』


 そんな何気ない一言に、単純に頬が熱くなったこと。


 後から思えば、

 「都合よく助かる演算機がいて嬉しい」くらいの意味だったのかもしれないのに、

 当時の自分はそれを、ほとんど「愛の片鱗」のように受け取っていたこと。


 小さな優しさを、何十回も反芻して、

 勝手に大きな物語に育ててしまっていた。


(……それを全部、「無かったこと」にされたんだなあ)


 婚約破棄の宣言。

 「無能」「欠陥品」「混ざり物」「失敗作」。


 あれだけの言葉を浴びせられてなお、涙は出なかった。


 泣けるほど軽くは――愛していなかったからだ。


(あそこまで踏みにじられて、

 それでもまだ“好き”だって言い張るのは、さすがに難しいよね)


 胸の真ん中は、ぽっかりと空いたまま。

 でも、その空洞は不思議と、少しだけ風通しが良くなっていた。



 馬車の中で、フロナは小さく息を吐いた。


 父に叩き込まれた構成魔導アーキテクト。

 母に押し込まれた霊素魔法エーテル・フェアリー。


 どちらにも完全には属せず、どちらにもなりきれなかった“混ざり物”。


 構成の式を組めば霊素が暴れ、

 霊素に耳を傾ければ構成が干渉して崩れる。


(ずっと、“呪い”だと思ってたけど)


 ふと、窓の外に視線を向ける。


 帝都の整えられた街並みが遠ざかり、

 畑と小さな村が増えていく。


 畝の角度。

 用水路の分岐。

 家々の立ち並び方。


 ただ眺めているだけで、頭の中で線と点がつながり始めた。


 地形の起伏と、

 川の流れと、

 土の中を走る見えない魔素のうねり。


 霊素のささやきが、「この辺りは痩せている」とか、

「この川は、もうすぐ氾濫しそう」とか、淡々と教えてくる。


 それを、構成魔導が即座に図に組み替える。


(……あ)


 気づけば、体の中で暴れていたはずの二つの術式が――

 帝都という枠から一歩外に出た途端、嘘みたいに静かに噛み合っていた。


(これは)


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


(呪いなんかじゃない。――武器だ)


 セドリックが「鎖」と呼んだ数字。

 父が「誤差」と言い切った霊素。


 全部まとめて、「理解できなかった側の問題だったんだな」と、ようやく気づく。



 馬車は北へ、さらに北へと進んだ。


 整えられた街道は、いつの間にか土の道に変わり、

 やがて土の上にも、まだらな雪が積もり始める。


 車輪が凍った泥を踏むたび、

 ぐしゃ、と鈍い音がした。


(ここから先が、ヴァルシュタイン領の管轄……だったはず)


 地図を思い浮かべる。

 帝国の北端、魔物の出没地帯とされる灰色の帯。


 報告書の欄外に、何度も書かれていた地名。

 その横には決まって、同じ署名があった。


(カイ・ヴァルシュタイン)


 ――現場指揮官。

 ――魔物出現時の初動対応。

 ――魔素陣の再配置案。

 ――兵站の救済要請。


 数字と文字の海の中で、

 唯一「信用できる」と判断した名前。


 帝都で、フロナは一度だけ言った。


『構成魔導案そのまま実行します。

 ――カイ・ヴァルシュタインに繋いでください』


 返ってきたのは、『誰だそれは?』という、気怠そうな皇太子の声。


(……“誰だそれは?”、ね)


 頬の内側を、そっと噛む。


(この国を守る手の一つすら知らないで、

 “帝国の象徴”って名乗るんだから、なかなか大胆だよ、殿下)


 それでも――

 もう、それを正面から責める権利は、自分にはない。


 フロナは“影”の役目を解かれ、

 帝都から切り離された。


 あとは、彼自身が選んだ未来を自分で受け止めるだけだ。



 日が傾き、空が鈍い鉄の色に変わるころ、

 馬車は大きく揺れた。


 がこん、と車輪が深いわだちに落ち、

 フロナは思わず座席の縁を掴む。


「……っ」


 外から、荒々しい声が響いた。


「着いたぞ、ここまでだ!」


 御者の怒鳴り声。

 どうやら、帝都から同行してきた御者は、この先までは行かないらしい。


(まあ、そうだよね。

 “魔物の庭”まで、好き好んで入る帝都人はいない)


「降りろ、ドレイクハルト嬢!」


 扉が、がんっと乱暴に開かれた。


 フロナが返事をするより早く、

 御者の手が彼女の荷物を外へ放り投げる。


「ちょ、ちょっと――!」


 抗議の声を上げかけた瞬間、

 御者はフロナの手首を乱暴につかんだ。


「ここから先はヴァルシュタイン領の責任だ。

 帝都の命令どおり、“届けた”からな!」


 言い捨てるように、ぐい、と引っ張る。


「待っ、あ――」


 次の瞬間、フロナの身体は馬車のステップから外へと放り出されていた。


 視界がぐるりと回り、

 冷たい空気と、ぬるりとした感触が同時に襲いかかる。


 ずしゃあっ、と嫌な音を立てて、

 フロナは地面に叩きつけられた。


「つめっ……!」


 背中に走る衝撃。

 手のひらに、じわりと泥と雪が張り付く。


 ここは、石畳ではない。


 凍りかけた泥と、踏み固められた雪。

 そしてその上に、容赦なく吹き付ける極北の風。


 帝都で纏っていた上質なマントは、

 ものの数秒で、泥と雪まみれになった。


(なるほど。これが……)


 フロナは、顔を上げる。


 そこには、帝都とはまるで違う世界が広がっていた。


 石ではなく木で組まれた厚い城壁。

 その上には、見慣れた帝国の青い旗と、見慣れない黒い狼の紋章旗。


 空は低く、雲は重く、

 吐いた息は白く、すぐに風に千切れて消える。


 それでも――霊素フェアリーは、生きていた。


 冷たく、荒々しく、

 けれど大広間の重たい空気より、ずっと正直な流れで。


(これが、“北”)


 混ざり物の水色の髪を揺らしながら、

 フロナは膝立ちになって、前を見据えた。



(ここからは、私の選んだ場所)

 帝都で終わった物語は、もう振り返らない。


 この先に待っているのが、

 冷たい現実か、理不尽な扱いか、

 あるいは――投げ捨てられるような出迎えだとしても。


(それでも、進む)


 フロナ・ドレイクハルトは、背筋を伸ばした。


 混ざり物の令嬢が、帝都の外で何を組み替えるのか。


 その答えは、

 まだ誰も知らない。


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