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第11話 北の果てへの割り付け

「――それでは、フロナ・ドレイクハルト公爵令嬢の処遇については?」


 老侯爵のしわがれた声が響いた瞬間、

 帝国大広間の空気が、すっと一段冷たくなった。


 燃え尽きた紙束の灰が、

 床の上をさらさらと転がり、どこかへ流れていく。


(ですよね)


 フロナは、心の中で小さく息を吐く。


(婚約破棄と“鎖”の焼却だけで終わるほど、

 この人たち、優しくないもんね)


 皇太子の婚約者だった“混ざり物”を、

 そのまま帝都のど真ん中に置いておくはずがない。


 構成魔導アーキテクトの頭が、

 すでにいくつものパターンを並べていた。


 ――修道院送り。

 ――辺境貴族への政略再婚。

 ――形式だけ整えた屋敷幽閉。

 ――もしくは、もっとわかりやすい「追放」。



 高座には、セドリックのさらに一段上に

 王と王妃が並んで座っていた。


 王は濃い帝国の青髪に、

 長年の治世で刻まれた皺をまとった男。


 王妃は、柔らかな雰囲気を纏った青髪の女性で、

 さきほどからずっと、扇を閉じたままフロナの様子を見ている。


「フロナの処遇については、どうお考えか、殿下」


 老侯爵は、チラと王の方を伺う。


 王はすぐには答えず、

 隣のセドリックを横目に見た。


「セドリック。お前の考えを聞こう」


 静かな声。

 だが、その一言で「最終判断は皇太子に任せた」と

 大広間に示されたのがわかる。


「……はい、父上」


 セドリックは一礼し、

 改めて大広間へ向き直った。


「それも、すでに考えてある」


 彼の声が、ざわめきを断ち切る。


「帝国の安定を乱さぬためにも、

 中途半端な混ざり物を、

 いつまでも帝都の中心に置いておくわけにはいかない」


(中途半端な混ざり物に支えてもらっていたのは誰よ)


 内心だけで突っ込む。


 そのたびに、胸の奥で何かがすり減っていくのを感じながら。



「フロナ・ドレイクハルト」


 名を呼ばれ、フロナは一歩前に出る。


「はい、殿下」


 声はまだ、静かに出せた。


 炎が消えた大広間には、

 旗と白い柱の影が長く伸びている。


(ついでに、人生の立ち位置まで陰に移動しそうだな)


 そんなことを考えるあたり、

 まだ完全には折れていないらしい。


「お前に、いま一つ問おう」


 セドリックは、わずかに顎を上げて言った。


「帝都に留まり、陰で不吉な予測を囁き続けるつもりはあるか」


「……いいえ」


 フロナは即答した。


 そこだけは、はっきりしている。


「殿下のご判断に反してまで、

 帝都の構成を弄ろうとは思いません」


 構成魔導の視点から見れば、

 帝都のあちこちに“危険な綻び”はある。


 だが、それを本気で直すには――

 この国の頂点に立つ人物の同意が必須だ。


 その同意は、もう二度と降りない。


(だったら、一度壊れてから考えた方が早い)


 冷静で、ひどく非情な結論が頭の中で出ていた。



「ならば、話は早い」


 セドリックは片手を振る。


 侍従が一歩進み出て、巻物を広げた。


「帝国皇太子として命じる」


 ぴん、と大広間の空気が張りつめる。


「フロナ・ドレイクハルト――

 お前を、北の最果てにあるヴァルシュタイン領へ送る」


(……来た)


 フロナが並べていた“ありそうな案”の中でも、

 かなり上位にあった選択肢だ。


 北方。最前線。魔物。寒冷地。過疎。

 帝都貴族なら誰もが顔をしかめるワードが、全部詰め合わせになっている領地。


「ヴァルシュタイン領は、魔物の脅威に晒されている辺境だ」


 セドリックは、周囲の貴族に説明するように続ける。


「そこなら、お前のような不気味な水色の髪でも――」


 言葉を一度区切り、

 わざとゆっくりと言い放った。


「魔物に怯えながら、静かに暮らせるだろう」


 嘲りと、追放と、見せしめ。

 その三つが、一文の中にきれいに詰め込まれていた。


 王妃の指先が、わずかに膝の上で強く握られる。

 けれど、王妃は何も言わなかった。



(不気味、ね)


 フロナは、視線を下げて自分の髪を見る。


 淡い水色の髪が、

 さっきまでの炎の残り火を受けて、ところどころ金色に反射していた。


(少なくとも、

 魔物より人間の方がずっと怖いと思うけどな)


 心の中でぼそっと呟く。


 北方の魔物は、霊素フェアリーの流れが乱れた果てに生まれる存在だ。


 確かに怖い。

 噛まれれば、普通に死ぬ。


 だけど彼らは、

 “そういう性質のもの”としてそこにいるだけだ。


(人間みたいに、

 自分を飾るために誰かを燃やしたりしない分、

 話はわかりやすいかもしれない)



「殿下、そのような――!」


 最前列から、甲高い女の声が上がる。


 エリセだ。


 銀髪の元王女は、扇子をかたかたと震わせながら叫んだ。


「フロナは、公爵家の娘ですのよ!?

 いくらなんでも、辺境などという――」


「ドレイクハルト公爵夫人」


 セドリックは、さらりと遮る。


 その声に、情はほとんど乗っていない。


「これは、家門に対する処罰ではない。

 一人の“混ざり物”の処遇だ」


 大広間が、再びざわめいた。


 王は小さく息を吐き、

 手にしていた笏を軽く床に打つ。


「静粛に」


 低く通る声が、空気を一度締め直した。


「ドレイクハルト公爵夫人。

 この件については、すでに余と皇太子の間で協議済みだ」


 王の視線が、エリセ、ヴァルター、そしてフロナを順に撫でる。


「帝都の均衡を保つためにも、

 これ以上の混乱は許されぬ。……よろしいな、公爵」


 問われたヴァルターは、腕を組んだまま答えた。


「構成上、妥当な割り付けだ」


 短く、それだけ。


「帝都には青髪のような純血が溢れている。

 混ざり物を中心に置く意義は薄い」


(さすが我が父上。

 娘の感情より“効率の良さ”が優先)


 ――ただ、そのロジックは、

 どこかで致命的に間違っている。


 構成魔導の回路が、父の言葉に

 赤いバツ印をつけていた。


 王妃は、ほんの一瞬だけフロナと目を合わせる。

 その瞳の奥に、ごく薄い痛みのようなものが揺れたが――

 やはり何も言わなかった。


(……了承、取れてるんだね)


(“王家公認の追放”ってわけだ)



「フロナ」


 セドリックの青い瞳が、再びフロナをとらえる。


「北の最果て――ヴァルシュタイン領への行き渡りを命じる」


 さっきまで“婚約者”として呼ばれていた名が、

 今はただの“問題個体”に貼られたラベルのようだ。


「そこでお前は、帝都の政治にも魔導にも関わることなく――」


 言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を継ぐ。


「静かに、目立たず、生涯を終えればいい」


(……つまり)


 構成魔導の頭が、一瞬で要約を弾き出す。


(“二度と帝都に戻るな。二度と構成に口を出すな”ってことね)


 やたら遠回しで劇的な言い回しだけれど、

 中身はそれだ。


 フロナは、胸の奥で何かがすっと冷めていくのを感じた。


 恋慕。期待。未練。


 そういったものが、

 最終確認もなく一斉に削除されていく、冷たい感覚。



「……承知しました」


 フロナは静かに頭を垂れた。


 その声には、震えがなかった。


「ヴァルシュタイン領への行き渡り――

 フロナ・ドレイクハルト、確かに拝命いたします」


 形式だけ見れば、

 皇太子と王の名のもとに下された“任地辞令”のようにも聞こえる。


 中身は追放命令でも。


「ただ、一つだけ」


 顔を上げて、

 水色の瞳でまっすぐセドリックを見る。


 大広間の空気が、かすかに揺れた。


「はい、殿下。

 最後に、お顔を見せていただけますか」


 一瞬、セドリックはきょとんとした。


 次いで、ゆっくりと高座から下りてくる。


 炎の跡を迂回し、

 フロナのすぐ目の前まで歩み寄った。


 青と水色が、至近距離で重なり合う。


 かつて、何度も見上げた距離。


 フロナは、ごく短く息を吸った。


「……今まで、本当にありがとうございました、殿下」


 それは、嘘ではない。


 恋をして、信じて、隣に立とうと足掻いて――

 その全部が、フロナの中では“経験値”になっている。


「殿下の隣に立つことを夢見ていた私にとって、

 今日までの毎日は、確かに大切な日々でした」


 セドリックの瞳が、わずかに揺れた。


 高座の上で、その様子を見ていた王妃の扇が、

 かすかに震える。


(……あ)


 フロナは内心で苦笑する。


(最後の最後に、

 未練の残し方をちょっと間違えたかもしれない)


 でも、もう止められない。



「だからこそ――」


 フロナは、ほんの少しだけ笑った。


 きちんと淑女の微笑みの形を保ちながら。


「ここから先は、殿下ご自身で歩いてください」


 水色の瞳が、真っ直ぐに青を見据える。


「……後のことは、ご自分で」


 その一言に、大広間の空気がきゅっと引き締まった。


 表向きは穏やかな言葉。

 けれど裏側には、


 ――構成魔導の警告を捨てた結果も。

 ――霊素の声を無視した結果も。


 全部まとめて“あなたと、その決断を認めた王家の責任ですよ”という、

 静かな線引きが含まれている。


 高座の上で王が目を閉じ、

 ほんの一瞬だけ、深く息を吐いた。


 それが何に対する溜息なのかは、

 フロナにはわからない。



「脅しのつもりか?」


 セドリックが低く問う。


「いいえ」


 フロナは即座に首を振る。


「ただの“割り切り”です」


 これ以上、説明はいらない。

 説明したところで、おそらく届かない。


 構成のグラフも、霊素の流れも、

 彼にとっては“鎖”にしか見えないのだから。



「フロナ」


 横から、別の声がかかった。


 ヴァルターだ。


 フロナはそちらに向き直る。


「……はい、お父様」


 父は、いつもの無表情のまま娘を見た。


「ヴァルシュタイン領は、

 魔物が多く、環境的な生存条件が厳しい」


 淡々とした説明口調。


「だが、その分、観測できるデータは多い」


(……やっぱりそういう視点なんだ)


 フロナは、わずかに眉を上げた。


「構成魔導の観点からすれば、

 帝都より“面白い場”である可能性は高い」


 それは、父なりの励ましなのかもしれない。


 あまりにも歪んだ、研究者としての視点からの。


「生存しつつ、観測を続けろ」


 短く、それだけ。


 親としての情は見当たらない。

 けれど――構成魔導の師としての期待だけは、そこにあった。


(うん、知ってた)


 フロナは、小さく笑う。


「努力してみます」


 “生き延びることも、観測することも”という意味を込めて。



 エリセは、扇子で口元を隠したまま震えていた。


「フロナ……そんな荒れ地に行ったら、

 あなたの肌が……髪が……」


 心配しているポイントが、ひどく表面的だ。


「お母様」


 フロナはそちらを向き、

 淑女らしい笑みを浮かべた。


「大丈夫です。

 水色の髪は、北の雪にもきっと映えますから」


 ほんの少し皮肉を混ぜたつもりだったが、

 エリセは本気でほっとしたように見えた。


「そ、そう……なら、いいのだけれど……」


(……よくはないと思うよ、お母様)


 心の中でだけ、そっと付け足す。


 そのやり取りを見ていた王妃は、

 誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。


「……どうか、ご無事で」


 その祈りは、誰の耳にも届かなかったが、

 霊素だけは静かに震えて受け取った。



「これで、処遇は決まった」


 セドリックが、場を締めくくるように宣言した。


「フロナ・ドレイクハルトは、

 一ヶ月以内に帝都を発ち、ヴァルシュタイン領へ向かうものとする」


 一ヶ月。


(構成的には――

 荷物整理、引き継ぎ、最低限の情報収集をするには、ぎりぎり)


 フロナの頭の中で、新しい工程表が組まれていく。


 ――帝都でしか手に入らない書物。

 ――辺境の地図。

 ――北方の霊素の流れの概略。

 ――そして、噂話レベルの“現地情報”。


 必要な項目が、ずらりと箇条書きで並んだ。


(忙しくなるな)


 燃やされた予測書の代わりに、

 今度は“自分のためだけ”の未来図を描くことになる。



 大広間の空気が、ゆっくりと緩み始める。


 誰かが、ほう、と小さく息を吐いた。


 それを合図にしたように、ざわめきが戻ってくる。


「辺境送りとは……」


「しかし、王と皇太子が決められたことだ」


「ヴァルシュタイン領か。あそこはあそこで重要な防衛線だが……」


 好き勝手に評価され、

 好き勝手に納得されていく。


 フロナは、そのすべてから一歩だけ距離を取った場所に立っていた。


 足元では、燃え尽きた紙の灰が、

 さらさらと小さく音を立てている。


(……行ってみようか)


 心の中で、自分に問いかける。


(帝都では“失敗作”扱いの、この構成と霊素の混ざりものが――)


 北の果てで、どこまで通用するのか。


 それを確かめるチャンスだと思えば、

 この追放も、完全なマイナスではない。



 霊素の風が、ふっと北の方角から吹いた気がした。


 冷たい。

 けれどさっきまでの大広間の冷気より、

 ずっと正直な冷たさだ。


(うん。行くなら、とことん見てこよう)


 帝都の構成。

 北方の構成。

 魔物の発生条件。

 人々の生活。


 全部を、自分の目と頭と霊素で見て、組み立ててみたい。


 “殿下のため”ではなく、

 “自分のため”に。



「フロナ」


 最後にもう一度、セドリックが名を呼んだ。


「……はい、殿下」


「お前の今後について――

 帝都に戻ることは、二度と許されない」


 釘を刺すような言葉。


「帝都の構成にも霊素の流れにも、

 二度と口を挟むな」


 その言い方が、

 どこか拗ねた子どもの宣言のようにも聞こえて――


 フロナは、ほんの少しだけ目を細めた。


「安心してください、殿下」


 穏やかに、しかしはっきりと答える。


「帝都のことは、もう殿下と、陛下のものですから」


 私の“担当領域”からは外れたのだと。

 構成魔導の観点から、きっぱり切り離したのだと。


 高座の上で、王は静かに頷いた。

 それは「聞き届けた」という印であり――

 同時に、この決定が国としての公式な意思であることの証明だった。



 水色の髪が、静かに揺れた。


 それはもう、帝都の装飾としての揺れではない。


 北の風を受けるための、

 新しい始まりの揺れだ。


 ――このあと帝都を去るまでのわずかな時間で、

 フロナは“失敗作”としての自分ではなく、


 “構成と霊素を両方見通せる異端”としての自分を、

 少しずつ組み立て直していくことになる。


 その最初の一歩を、

 彼女は今、静かに踏み出そうとしていた。


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