第11話 北の果てへの割り付け
「――それでは、フロナ・ドレイクハルト公爵令嬢の処遇については?」
老侯爵のしわがれた声が響いた瞬間、
帝国大広間の空気が、すっと一段冷たくなった。
燃え尽きた紙束の灰が、
床の上をさらさらと転がり、どこかへ流れていく。
(ですよね)
フロナは、心の中で小さく息を吐く。
(婚約破棄と“鎖”の焼却だけで終わるほど、
この人たち、優しくないもんね)
皇太子の婚約者だった“混ざり物”を、
そのまま帝都のど真ん中に置いておくはずがない。
構成魔導アーキテクトの頭が、
すでにいくつものパターンを並べていた。
――修道院送り。
――辺境貴族への政略再婚。
――形式だけ整えた屋敷幽閉。
――もしくは、もっとわかりやすい「追放」。
◆
高座には、セドリックのさらに一段上に
王と王妃が並んで座っていた。
王は濃い帝国の青髪に、
長年の治世で刻まれた皺をまとった男。
王妃は、柔らかな雰囲気を纏った青髪の女性で、
さきほどからずっと、扇を閉じたままフロナの様子を見ている。
「フロナの処遇については、どうお考えか、殿下」
老侯爵は、チラと王の方を伺う。
王はすぐには答えず、
隣のセドリックを横目に見た。
「セドリック。お前の考えを聞こう」
静かな声。
だが、その一言で「最終判断は皇太子に任せた」と
大広間に示されたのがわかる。
「……はい、父上」
セドリックは一礼し、
改めて大広間へ向き直った。
「それも、すでに考えてある」
彼の声が、ざわめきを断ち切る。
「帝国の安定を乱さぬためにも、
中途半端な混ざり物を、
いつまでも帝都の中心に置いておくわけにはいかない」
(中途半端な混ざり物に支えてもらっていたのは誰よ)
内心だけで突っ込む。
そのたびに、胸の奥で何かがすり減っていくのを感じながら。
◆
「フロナ・ドレイクハルト」
名を呼ばれ、フロナは一歩前に出る。
「はい、殿下」
声はまだ、静かに出せた。
炎が消えた大広間には、
旗と白い柱の影が長く伸びている。
(ついでに、人生の立ち位置まで陰に移動しそうだな)
そんなことを考えるあたり、
まだ完全には折れていないらしい。
「お前に、いま一つ問おう」
セドリックは、わずかに顎を上げて言った。
「帝都に留まり、陰で不吉な予測を囁き続けるつもりはあるか」
「……いいえ」
フロナは即答した。
そこだけは、はっきりしている。
「殿下のご判断に反してまで、
帝都の構成を弄ろうとは思いません」
構成魔導の視点から見れば、
帝都のあちこちに“危険な綻び”はある。
だが、それを本気で直すには――
この国の頂点に立つ人物の同意が必須だ。
その同意は、もう二度と降りない。
(だったら、一度壊れてから考えた方が早い)
冷静で、ひどく非情な結論が頭の中で出ていた。
◆
「ならば、話は早い」
セドリックは片手を振る。
侍従が一歩進み出て、巻物を広げた。
「帝国皇太子として命じる」
ぴん、と大広間の空気が張りつめる。
「フロナ・ドレイクハルト――
お前を、北の最果てにあるヴァルシュタイン領へ送る」
(……来た)
フロナが並べていた“ありそうな案”の中でも、
かなり上位にあった選択肢だ。
北方。最前線。魔物。寒冷地。過疎。
帝都貴族なら誰もが顔をしかめるワードが、全部詰め合わせになっている領地。
「ヴァルシュタイン領は、魔物の脅威に晒されている辺境だ」
セドリックは、周囲の貴族に説明するように続ける。
「そこなら、お前のような不気味な水色の髪でも――」
言葉を一度区切り、
わざとゆっくりと言い放った。
「魔物に怯えながら、静かに暮らせるだろう」
嘲りと、追放と、見せしめ。
その三つが、一文の中にきれいに詰め込まれていた。
王妃の指先が、わずかに膝の上で強く握られる。
けれど、王妃は何も言わなかった。
◆
(不気味、ね)
フロナは、視線を下げて自分の髪を見る。
淡い水色の髪が、
さっきまでの炎の残り火を受けて、ところどころ金色に反射していた。
(少なくとも、
魔物より人間の方がずっと怖いと思うけどな)
心の中でぼそっと呟く。
北方の魔物は、霊素の流れが乱れた果てに生まれる存在だ。
確かに怖い。
噛まれれば、普通に死ぬ。
だけど彼らは、
“そういう性質のもの”としてそこにいるだけだ。
(人間みたいに、
自分を飾るために誰かを燃やしたりしない分、
話はわかりやすいかもしれない)
◆
「殿下、そのような――!」
最前列から、甲高い女の声が上がる。
エリセだ。
銀髪の元王女は、扇子をかたかたと震わせながら叫んだ。
「フロナは、公爵家の娘ですのよ!?
いくらなんでも、辺境などという――」
「ドレイクハルト公爵夫人」
セドリックは、さらりと遮る。
その声に、情はほとんど乗っていない。
「これは、家門に対する処罰ではない。
一人の“混ざり物”の処遇だ」
大広間が、再びざわめいた。
王は小さく息を吐き、
手にしていた笏を軽く床に打つ。
「静粛に」
低く通る声が、空気を一度締め直した。
「ドレイクハルト公爵夫人。
この件については、すでに余と皇太子の間で協議済みだ」
王の視線が、エリセ、ヴァルター、そしてフロナを順に撫でる。
「帝都の均衡を保つためにも、
これ以上の混乱は許されぬ。……よろしいな、公爵」
問われたヴァルターは、腕を組んだまま答えた。
「構成上、妥当な割り付けだ」
短く、それだけ。
「帝都には青髪のような純血が溢れている。
混ざり物を中心に置く意義は薄い」
(さすが我が父上。
娘の感情より“効率の良さ”が優先)
――ただ、そのロジックは、
どこかで致命的に間違っている。
構成魔導の回路が、父の言葉に
赤いバツ印をつけていた。
王妃は、ほんの一瞬だけフロナと目を合わせる。
その瞳の奥に、ごく薄い痛みのようなものが揺れたが――
やはり何も言わなかった。
(……了承、取れてるんだね)
(“王家公認の追放”ってわけだ)
◆
「フロナ」
セドリックの青い瞳が、再びフロナをとらえる。
「北の最果て――ヴァルシュタイン領への行き渡りを命じる」
さっきまで“婚約者”として呼ばれていた名が、
今はただの“問題個体”に貼られたラベルのようだ。
「そこでお前は、帝都の政治にも魔導にも関わることなく――」
言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「静かに、目立たず、生涯を終えればいい」
(……つまり)
構成魔導の頭が、一瞬で要約を弾き出す。
(“二度と帝都に戻るな。二度と構成に口を出すな”ってことね)
やたら遠回しで劇的な言い回しだけれど、
中身はそれだ。
フロナは、胸の奥で何かがすっと冷めていくのを感じた。
恋慕。期待。未練。
そういったものが、
最終確認もなく一斉に削除されていく、冷たい感覚。
◆
「……承知しました」
フロナは静かに頭を垂れた。
その声には、震えがなかった。
「ヴァルシュタイン領への行き渡り――
フロナ・ドレイクハルト、確かに拝命いたします」
形式だけ見れば、
皇太子と王の名のもとに下された“任地辞令”のようにも聞こえる。
中身は追放命令でも。
「ただ、一つだけ」
顔を上げて、
水色の瞳でまっすぐセドリックを見る。
大広間の空気が、かすかに揺れた。
「はい、殿下。
最後に、お顔を見せていただけますか」
一瞬、セドリックはきょとんとした。
次いで、ゆっくりと高座から下りてくる。
炎の跡を迂回し、
フロナのすぐ目の前まで歩み寄った。
青と水色が、至近距離で重なり合う。
かつて、何度も見上げた距離。
フロナは、ごく短く息を吸った。
「……今まで、本当にありがとうございました、殿下」
それは、嘘ではない。
恋をして、信じて、隣に立とうと足掻いて――
その全部が、フロナの中では“経験値”になっている。
「殿下の隣に立つことを夢見ていた私にとって、
今日までの毎日は、確かに大切な日々でした」
セドリックの瞳が、わずかに揺れた。
高座の上で、その様子を見ていた王妃の扇が、
かすかに震える。
(……あ)
フロナは内心で苦笑する。
(最後の最後に、
未練の残し方をちょっと間違えたかもしれない)
でも、もう止められない。
◆
「だからこそ――」
フロナは、ほんの少しだけ笑った。
きちんと淑女の微笑みの形を保ちながら。
「ここから先は、殿下ご自身で歩いてください」
水色の瞳が、真っ直ぐに青を見据える。
「……後のことは、ご自分で」
その一言に、大広間の空気がきゅっと引き締まった。
表向きは穏やかな言葉。
けれど裏側には、
――構成魔導の警告を捨てた結果も。
――霊素の声を無視した結果も。
全部まとめて“あなたと、その決断を認めた王家の責任ですよ”という、
静かな線引きが含まれている。
高座の上で王が目を閉じ、
ほんの一瞬だけ、深く息を吐いた。
それが何に対する溜息なのかは、
フロナにはわからない。
◆
「脅しのつもりか?」
セドリックが低く問う。
「いいえ」
フロナは即座に首を振る。
「ただの“割り切り”です」
これ以上、説明はいらない。
説明したところで、おそらく届かない。
構成のグラフも、霊素の流れも、
彼にとっては“鎖”にしか見えないのだから。
◆
「フロナ」
横から、別の声がかかった。
ヴァルターだ。
フロナはそちらに向き直る。
「……はい、お父様」
父は、いつもの無表情のまま娘を見た。
「ヴァルシュタイン領は、
魔物が多く、環境的な生存条件が厳しい」
淡々とした説明口調。
「だが、その分、観測できるデータは多い」
(……やっぱりそういう視点なんだ)
フロナは、わずかに眉を上げた。
「構成魔導の観点からすれば、
帝都より“面白い場”である可能性は高い」
それは、父なりの励ましなのかもしれない。
あまりにも歪んだ、研究者としての視点からの。
「生存しつつ、観測を続けろ」
短く、それだけ。
親としての情は見当たらない。
けれど――構成魔導の師としての期待だけは、そこにあった。
(うん、知ってた)
フロナは、小さく笑う。
「努力してみます」
“生き延びることも、観測することも”という意味を込めて。
◆
エリセは、扇子で口元を隠したまま震えていた。
「フロナ……そんな荒れ地に行ったら、
あなたの肌が……髪が……」
心配しているポイントが、ひどく表面的だ。
「お母様」
フロナはそちらを向き、
淑女らしい笑みを浮かべた。
「大丈夫です。
水色の髪は、北の雪にもきっと映えますから」
ほんの少し皮肉を混ぜたつもりだったが、
エリセは本気でほっとしたように見えた。
「そ、そう……なら、いいのだけれど……」
(……よくはないと思うよ、お母様)
心の中でだけ、そっと付け足す。
そのやり取りを見ていた王妃は、
誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「……どうか、ご無事で」
その祈りは、誰の耳にも届かなかったが、
霊素だけは静かに震えて受け取った。
◆
「これで、処遇は決まった」
セドリックが、場を締めくくるように宣言した。
「フロナ・ドレイクハルトは、
一ヶ月以内に帝都を発ち、ヴァルシュタイン領へ向かうものとする」
一ヶ月。
(構成的には――
荷物整理、引き継ぎ、最低限の情報収集をするには、ぎりぎり)
フロナの頭の中で、新しい工程表が組まれていく。
――帝都でしか手に入らない書物。
――辺境の地図。
――北方の霊素の流れの概略。
――そして、噂話レベルの“現地情報”。
必要な項目が、ずらりと箇条書きで並んだ。
(忙しくなるな)
燃やされた予測書の代わりに、
今度は“自分のためだけ”の未来図を描くことになる。
◆
大広間の空気が、ゆっくりと緩み始める。
誰かが、ほう、と小さく息を吐いた。
それを合図にしたように、ざわめきが戻ってくる。
「辺境送りとは……」
「しかし、王と皇太子が決められたことだ」
「ヴァルシュタイン領か。あそこはあそこで重要な防衛線だが……」
好き勝手に評価され、
好き勝手に納得されていく。
フロナは、そのすべてから一歩だけ距離を取った場所に立っていた。
足元では、燃え尽きた紙の灰が、
さらさらと小さく音を立てている。
(……行ってみようか)
心の中で、自分に問いかける。
(帝都では“失敗作”扱いの、この構成と霊素の混ざりものが――)
北の果てで、どこまで通用するのか。
それを確かめるチャンスだと思えば、
この追放も、完全なマイナスではない。
◆
霊素の風が、ふっと北の方角から吹いた気がした。
冷たい。
けれどさっきまでの大広間の冷気より、
ずっと正直な冷たさだ。
(うん。行くなら、とことん見てこよう)
帝都の構成。
北方の構成。
魔物の発生条件。
人々の生活。
全部を、自分の目と頭と霊素で見て、組み立ててみたい。
“殿下のため”ではなく、
“自分のため”に。
◆
「フロナ」
最後にもう一度、セドリックが名を呼んだ。
「……はい、殿下」
「お前の今後について――
帝都に戻ることは、二度と許されない」
釘を刺すような言葉。
「帝都の構成にも霊素の流れにも、
二度と口を挟むな」
その言い方が、
どこか拗ねた子どもの宣言のようにも聞こえて――
フロナは、ほんの少しだけ目を細めた。
「安心してください、殿下」
穏やかに、しかしはっきりと答える。
「帝都のことは、もう殿下と、陛下のものですから」
私の“担当領域”からは外れたのだと。
構成魔導の観点から、きっぱり切り離したのだと。
高座の上で、王は静かに頷いた。
それは「聞き届けた」という印であり――
同時に、この決定が国としての公式な意思であることの証明だった。
◆
水色の髪が、静かに揺れた。
それはもう、帝都の装飾としての揺れではない。
北の風を受けるための、
新しい始まりの揺れだ。
――このあと帝都を去るまでのわずかな時間で、
フロナは“失敗作”としての自分ではなく、
“構成と霊素を両方見通せる異端”としての自分を、
少しずつ組み立て直していくことになる。
その最初の一歩を、
彼女は今、静かに踏み出そうとしていた。




