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第10話 燃える紙束と、冷めていく恋

 大広間の中央に、紙の山が築かれていく。


 厚く綴じられた予測書類。

 見慣れすぎた装丁。紙の端に見える、自分の字。


(……全部、私が書いたやつ)


 兵站再編の提案。

 税率と暴動リスクのシミュレーション。

 帝国全土の穀物流通を「構成魔導アーキテクト」で組み替えた未来図。


 徹夜で数字を並べ、

 霊素のささやきと照合して、

 何度も何度も書き直した紙束たち。


 本来ならそれは、セドリックの治世を支える“土台”になるはずのものだった。


(なのに今日は、“焚き火の材料”扱い)


 心の中でだけ、乾いた冗談をつぶやく。


 指先はかすかに震えている。

 でも、顔は笑っていないし、泣いてもいない。


 ――感情を乗せたら、きっと壊れるから。



「殿下、この書類は?」


 貴族の一人が、おずおずと尋ねた。


 セドリックは、軽く顎で紙束を示す。


「構成魔導による“予測”だそうだ」


 “だそうだ”と、見事な他人事口調。


「諸君の中には、耳にした者もいるだろう。

 私の婚約者だったフロナ・ドレイクハルトが、

 夜な夜な作っていたという数字の山だ」


(あ、紹介が雑)


 心の中で、ついツッコミが出る。


(夜な夜な“作っていた”って……

 回数で言うなら“朝も昼も夜も”なんだけどなあ)


 思ったところで、何も変わらないけれど。


「彼女はこれを“帝国の未来を安定させる最適解”と呼んで提出してきた」


 セドリックは紙束を冷たく見下ろした。


「だが、私には――」


 一瞬だけ、青い瞳がフロナを掠める。


「この羅列が、帝国を縛りつける鎖にしか見えなかった」


(鎖、ね)


 フロナは心の中で言葉を反芻する。


(私から見れば、むしろ“足場”なんだけど)


 鎖に見えるか、足場に見えるか。

 視点が変われば、意味は簡単にひっくり返る。


 構成魔導アーキテクトは、いつだってそうだ。



「数字で未来を縛り、不吉な予言をまき散らす」


 セドリックの声が、大広間に冷たく響く。


「そんなものは、帝国に必要ない」


 ざわめきが広がる。


 フロナは静かに息を吸った。


(予言じゃない。ただの“条件付きの結果予測”)


 心の中でだけ、いつもの講義めいた説明が浮かぶ。


 ――税率をこのまま維持し、

 穀物の輸入も増やさず、

 軍事費だけを増やした場合。


 ――三ヶ月以内に、まずパンの値段が跳ね上がる。


 ――それを埋めようとして、

 路地裏から小さな暴動が始まる。


 ――それが帝都の経済構造にどう波及するか。


 全部、数字と霊素が教えてくれたことだ。


(何も、呪ってるわけじゃないのに)



「フロナ」


 名を呼ばれ、フロナは一歩前に出る。


「はい、殿下」


 声はまだちゃんと出た。

 偉い、私。


「お前は先ほど、“構成的な予測”と称して、

 私に“責任が刻まれる”などと口にしたな」


(あ、根に持ってる)


 心の中でだけ肩をすくめる。


「はい。判断の結果は、常に実際の事象として表に出ますので」


「その“予測”とやらを、私は好まない」


 セドリックは高座から降りた。


 大広間の中央――紙束のすぐそばまで歩み寄る。


 フロナとの距離が、ぐんと近くなった。


 懐かしい距離。


 昔は、この距離から

 何度も優しい声をかけてもらった。


『フロナ、君がいてくれて助かる』


『君の見ている未来を、もっと聞かせてくれ』


 今、その距離から向けられている青い瞳は――

 冷たい拒絶の色をしている。



「顔を上げろ」


 命令口調。


 フロナは従順に、ゆっくりと顔を上げた。


 青と水色の視線が、真正面からぶつかる。


 セドリックは、まるで商品を値踏みするような目で

 フロナの顔をじろりと眺めた。


「……相変わらず、美しい顔だな」


 一瞬だけ、昔を思い出させるような言葉が零れる。


 胸が、ぴくりと反応した。


(そんなふうに言うの、ずるい)


 次の瞬間、その甘さは容赦なく切り落とされる。


「人形のような面構えで、中身は空っぽ」


 セドリックは、氷のような声で続けた。


「魔法も放てぬ欠陥品に、

 私の隣に立つ資格はない」


 大広間の空気が、もう一段冷え込む。


 ――欠陥品。


(そう来たか)


 フロナは、心の奥で小さく笑った。


(だったらさ、“どの仕様が欠陥か”くらい

 ちゃんと分析してほしかったな)


 構成魔導アーキテクト霊素フェアリー

 二つを同時に走らせると干渉する、術式構造が欠陥なのか。


 そういう組み合わせを娘に施した、設計者側の判断が欠陥なのか。


 あるいは、それを理解も検証もせず

「努力不足」で片づけ続けた教育者側が欠陥なのか。


(殿下のロジック、途中で止まってるよ)


 口には出さない。

 出したらきっと、今度こそ泣いてしまうから。



 ざわ……と、周囲がざわめく。


「欠陥品とまで……」


「しかし、魔法を放てない皇太子妃候補というのは確かに……」


「水色の髪に構成と霊素の混ざり……やはり不吉だったのでは」


 ひそひそ声が、背中から刺さる。


 フロナは、それでもまっすぐセドリックを見つめた。


「……承知いたしました、殿下」


 声は静かで、よく通った。


「私が“欠陥品”として殿下の隣にふさわしくないというご判断も」


 一度、短く息を吸う。


「その“評価基準”も含めて、すべて――

 今後は殿下のお名前と共に歴史に残ることでしょう」


 皮肉で言ったつもりはない。

 ただの事実の確認だ。


 フロナの頭の中では、すでに多くの未来パターンが枝分かれしていた。


 ――食糧危機を無視した場合。

 ――構成魔導を放り捨てた場合。

 ――霊素フェアリーの警告を「不吉」として切り捨て続けた場合。


 そのすべてに、「セドリック・ハーグレイヴ」という名が

 必ずセットで刻まれる。



「もう良い」


 セドリックは、フロナから興味を切り捨てるように視線を外した。


 そして、隣のリリアーヌに向き直る。


「リリアーヌ」


「はい、殿下」


 リリアーヌの指先に、小さな炎が灯る。

 赤い霊素が、嬉しそうに踊っていた。


「この“鎖”を焼き払え」


 セドリックは、紙束を顎で示す。


「これらの数字に縛られず、

 私たちは新しい帝国の象徴として進む」


「……かしこまりました」


 リリアーヌは一瞬だけ、フロナを見た。


 勝ち誇ったような、

 それでいてどこか怯えたような、揺れる目。


(怖いのは、どっちなんだろうね)


 フロナは、自分の心が案外冷静なままでいることに驚いた。


 たぶんもう、恋が燃え尽きているからだ。



 炎が、紙束に触れる。


 ぱち、と小さな音。


 次の瞬間、紙はあっさりと火を吸い上げた。


 乾いた紙ほど、よく燃える。

 構成魔導アーキテクトの計算も、霊素フェアリーの警告も、

 炎にとってはただの燃料だ。


(……綺麗)


 思わず、そう思ってしまう。


 炎に照らされて、

 自分の作った図表や数字が一瞬だけ浮かび上がる。


 帝国の街並み。

 流通路。

 税率の推移。

 暴動リスクのグラフ。


 フロナが見ていた“未来の地図”が、

 炎の中に立ち上がっては、すぐに崩れていく。


(さよなら、徹夜の日々)


(さよなら、“殿下のため”って自分に言い聞かせてた私)


 紙が崩れ落ちるたびに、

 胸のどこかから何かが静かにはがれていく。



 周囲からは、感嘆とも安堵ともつかない声が上がっていた。


「見事な炎だ……」


「これぞ帝国の象徴にふさわしい火」


「あの水色の娘の数字遊びより、よほど頼もしい」


(数字遊び、ね)


 フロナは、自分の指先をそっと握りしめる。


 炎に照らされた自分の手は、少しも燃えていない。


(だったら、その“数字遊び”がなくなった世界が

 どんな顔をするのか、ちゃんと見ててね)


 胸の内側で、小さな決意が芽を出す。


 ――これは復讐じゃない。


 ――ただの“観察”だ。


 構成魔導アーキテクト霊素フェアリー、二つを叩き込まれた存在のいない、

 この先の帝国をどう見ていくのか。


 それを、一番よく知りたいのはほかでもない、自分自身だ。



 炎は勢いを増し、

 紙束は半分以上、黒い灰に変わっていた。


 燃え残った端に、見覚えのある一文がちらりと見える。


 ――三ヶ月以内に、小麦価格の急騰が始まる。


(あ)


 フロナは心の奥で、静かに言葉を重ねる。


(セドリック様。あなたが燃やしたのは紙束じゃない)


 灰になっていく紙から目を離さず、ひっそりと続ける。


(この国の“安定そのもの”よ)


 炎が、最後の一枚を飲み込んだ。


 ぱち、と音がして、数字の列が光になって消える。


(……三ヶ月後。まずはパンの値段から、

 あなたの世界は崩れていく)


 それは呪いではなく、

 ただの“結果の確認”だった。


 構成魔導の計算。

 霊素のささやき。


 全部を総合した“最適解”の延長線上にある、

 ひとつの未来の断面。



 炎が収まり、紙束は跡形もなく灰になった。


 リリアーヌは満足げに微笑み、

 セドリックの隣へぴたりと寄り添う。


「見ろ、諸君!」


 セドリックが両手を広げる。


「帝国を鎖で縛る数字は、こうして炎で焼き払われた!」


 歓声が上がる。

 拍手が広がる。


 フロナは、その中心で静かに立っていた。


(本当に焼けたのは、“警告”の方なんだけどね)


 声に出す気はない。

 言ったところで、もう誰も聞かない。


 ――セドリックも。

 ――父も母も。

 ――この大広間にいる誰一人として。



 ふいに、霊素フェアリーの風が頬を撫でた。


 さっきまで冷たかった風が、

 ほんの少しだけ温度を変えている気がする。


(……大丈夫)


 フロナは心の中で、風にそっと答えた。


(私の中にある“世界の見え方”は、

 紙を燃やされたくらいじゃ消えない)


 構成魔導の回路は、今も頭の中で静かに動いている。


 霊素フェアリーの声は、まだフロナにだけ届いてくる。


 たとえ誰かに「欠陥品」と呼ばれても。



「フロナ・ドレイクハルト」


 セドリックの声が、再び名を呼ぶ。


 フロナは前を向いた。


「はい、殿下」


「お前は今この場で、数字の鎖から解き放たれた」


 きっと、彼なりの“慈悲”のつもりなのだろう。


(ううん。殿下から見れば、そうなんだろうね)


 フロナは、小さく笑みを浮かべた。


「……そうですね」


 静かに認める。


「殿下のおかげで、私は“殿下のため”という鎖からも

 解放された気がいたします」


 言ってから、

 あ、ちょっと刺があったかな、と心の中で反省する。


 でも、もう遅い。


 セドリックは、その言葉の意味をどこまで理解したのか――

 ほんの一瞬だけ眉をひそめ、すぐに視線をそらした。



 歓声と拍手の中で、

 フロナは自分の心の輪郭をなぞっていた。


 セドリックへの恋は、ほとんど燃え尽きている。


 灰の底に、小さな余熱くらいは残っているかもしれない。

 けれど、もう以前のように


(殿下のためなら何でも)


 とは、思えない。


(それでも――)


 胸の奥で、別の火が静かに灯っている。


(帝国そのものは、まだ嫌いになれない)


 街で笑う子どもたち。

 パン屋の匂い。

 市場で値切り合う声。


 その全部が、フロナにとっての“帝国”だ。


 セドリックの判断ひとつで、

 それを丸ごと嫌いになるほど、フロナは単純にはできていない。



(さて――)


 燃え尽きた紙の山を見下ろしながら、フロナは静かに考える。


(殿下が“鎖”と呼んだものを全部捨てた今、

 帝国はどんな未来に進んでいくのか)


 構成魔導の回路が、新しい計算を始める。


 今度は、“皇太子妃になるため”の義務ではなく。

 一人の魔導師として世界を見るための、自由な計算。



 そのとき、高座の上から別の声が響いた。


「皇太子殿下――

 それでは、フロナ・ドレイクハルト公爵令嬢の“処遇”については?」


 処遇。


 大広間の空気が、また一段冷える。


 婚約破棄と予測書の焼却。

 それだけで終わらせるほど、この国の貴族たちは甘くない。


(そうだよね)


 フロナは、自分の足元をそっと見つめた。


 燃えたのは紙。

 切られたのは婚約。


 ――まだ、“居場所”は残っている。


(次は、それを奪いに来る)


 構成魔導の頭が、自然と次の手を読む。


 家。

 肩書き。

 領地。


 どこへ追いやるのが一番“合理的”か。


 そして――

 どこへ追いやられたら、自分は一番、自由になれるのか。


(殿下の“最適解”と、

 私の“最適解”が、たぶん初めて大きくズレる)


 それが分かっていても、フロナは一歩も引かなかった。


 水色の髪が、炎の残り香の中で静かに揺れる。


 ――このあと告げられる追放の宣告は、

 彼女の世界を壊すのか。

 それとも、解き放つのか。


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