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「どうも、王国直轄査察局です。ーその勇者の剣、申告漏れ…ありますよね?」

作者: まめ。





 王都のギルド街に、朝から異様な熱気が満ちていた。


 王国最大の冒険者ギルド《グラディスの角》。その本部前広場には、見物人と報道精霊が押し寄せている。

 群衆の誰もが息を弾ませながら、その時を待っていた。勇者リオンの凱旋――その報告式が間もなく始まるのだ。


「リオン様、お帰りなさい!」「魔王の右腕を斬ったんですって!?」「やだ見て、あれが噂の……!」


 歓声が上がる中、壇上に現れた一人の青年が、ゆっくりと剣を抜き放った。

 陽光を受けて輝くのは、赤金色の魔導剣。その名を知らぬ者はいない。


「これが《聖焔剣ヴァルクレスト》。――俺の“相棒”だ!」


 冒険者たちがどよめき、子どもたちは目を輝かせる。

 だが、その興奮の渦の中に、一人だけ場違いな空気を纏った男がいた。


 黒の長衣。高めの立ち襟。金属留めの魔導ブリーフケース。

 その出で立ちは、見る者にある種の寒気を呼び起こす。


「……査察官だ。王国マルサ」


 誰かが小さく呟いたその声が、まるで伝染するように周囲の空気を凍らせていく。


 男――ユウト・ミカゲは、まっすぐに壇上へと歩を進めた。

 周囲の騎士が慌てて制止に入るが、彼は無言で魔導証票を掲げる。

 そこに刻まれていたのは、王国直轄査察局・魔導資産監査課の公印だった。


「……どうも。王国直轄査察局です」


 そして、淡々と顔を上げたまま、壇上の勇者に向けて言い放つ。


「その《聖焔剣ヴァルクレスト》、通称“勇者の剣”ですが……申告漏れ、ありますよね?」


 ざわ……と群衆が揺れた。


「……は?」


 リオンは剣を持つ手をわずかに引き、顔をしかめる。

 まさかこの晴れ舞台で、査察の通告を受けるとは夢にも思っていなかったのだろう。


「"勇者"ことリオン=ブレナーさん。

 当該武具、《聖焔剣ヴァルクレスト》は王国より“魔導資産”として貸与された高位王級の装備品ですが、正式な装備登録がなされていないことが、スキル庁台帳との照合により判明しております」


 ユウトは手元の魔導帳票を操作し、空中に半透明の証明画面を浮かび上がらせる。

 その中には“登録なし”の赤い魔印と、発動実績付きのスキルログが明示されていた。


「加えて、同剣に内蔵されているスキル《焔王斬》の未登録使用。

 さらに、本日の討伐報告書において、当スキルによる魔物討伐成果が“個人功績”として報告されています」


 ユウトは一歩、リオンに近づいた。


「申告も登録もなしに使っておいて、報酬だけは受け取る。……これは、三重の義務違反です」


 

 ◇


 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺は国のために戦ったんだぞ!? 魔王の右腕だって斬った! それがなんだっていうんだよ!」


 リオンが声を荒げる。剣を振りかざす手がわずかに震えていた。

 だが、ユウトは表情一つ変えずに返す。


「それと納税義務には、何の関係もありません」


 たった一言で、リオンの反論は打ち消された。

 その声は大声ではない。淡々と、冷静に、しかし一点の曇りもなく事実だけを突きつけてくる。


 ギルドの管理卓から慌てて現れた男――副本部長ガロスが、脂汗を浮かべて頭を下げる。


「査察官殿、大変申し訳ございません! その……報告書の処理が、若干遅れておりまして……! 今日中には、正式な登録書類を整えて――」


「“使用の事実”が“登録の完了”より先に確認された場合、後からの提出は無効扱いになります。規定第十二条、魔導資産管理法に基づき、追徴処分の対象です」


 ユウトは、手元の魔導帳票を操作して、赤印が刻まれた納付命令書を複写生成する。

 そこに記された額に、ガロスは思わず顔を引きつらせた。


「銀貨……二百六十枚……!? こ、高位貴族の年収と同じじゃないですか!」


「《聖焔剣ヴァルクレスト》は、王国資産の中でも最高等級の“特例貸与品”に該当します。

 本来は登録済の王族・軍事責任者にしか扱えない。今回のような“神託による臨時貸与”は例外中の例外であり、その分、事務手続きと課税義務はより厳重に規定されています」


「ぐ……!」


 ガロスが頭を抱え、リオンが呆然と立ち尽くす。

 周囲の冒険者たちは誰も口を開かない。ただ、あの“勇者の剣”に今や“赤の魔導印”が浮かんでいるという事実に震えていた。


「……査察官殿」


 静かに声をかけたのは、勇者パーティのもう一人。

 白衣に身を包んだ聖女、ミレリアである。


 長く流れる金髪。すっと通った声。

 神託を受ける巫女として、王都では勇者以上に崇められる存在でもある。


「この剣は、神より選ばれし者に授けられた《奇跡》です。

 王国の制度で測れるようなものではありません。

 神が“税”を課すとでも?」


 多くの市民がうなずくように頷いた。

 神託と奇跡。それは、この国の人々にとって“特別なもの”であり、“聖域”だった。


 だが、ユウトは一切の動揺もなく、ミレリアを正面から見つめ返した。


「あなたの右手に光るスキル――《聖なる恩寵(ルクス・ディア)》、通称“奇跡”ですが……」

「スキル庁の台帳には、登録記録が確認できません。未登録スキルの行使は、刑法第二十六条に基づく“闇スキル行使罪”の疑いが生じます」


 ざわり、と空気が変わった。


 ミレリアが軽く眉を寄せる。その反応に、ユウトはさらに一歩踏み込む。


「現時点での行使記録は一件のみ。症状軽度の負傷兵に対する癒しの光――回復魔法として分類されるものでした。

 が、今後も登録を行わず行使が続く場合、査察局としては保全措置を講じることになります。

 念のため、こちらに登録申請書を――」


「……その必要は、ありません」


 ミレリアの表情は崩れなかった。

 けれども、彼女の持つ魔導杖から、ほんのわずかに光の気配が引いていくのを、ユウトは見逃さなかった。


 

 ◇


 

 その場に居合わせた者たちは、皆、言葉を失っていた。


 勇者リオンはうなだれ、聖女ミレリアは無言で杖を握りしめている。

 ギルド副本部長ガロスは、何度も額の汗をぬぐいながら、ユウトに深々と頭を下げた。


「本件につきましては、速やかに処理を進めさせていただきます。登録申請の遅延および証明証の不備は、すべてギルド側の責任ですので……」


「お含みおきください。査察局としては“個人資産の未申告行使”という事実に対して、公的対応を取るのみです」


 ユウトはさらりと答え、魔導帳票をスッと仕舞い込んだ。

 周囲の視線を一身に浴びながらも、彼の歩みは変わらない。

 背筋はまっすぐに伸びており、まるで“正しさ”そのものが歩いているようだった。


 だが、そんな彼に駆け寄った者がひとりいた。


「……あんた、本当に査察官なのか?」


 少年だった。ギルドの研修生らしい。まだ十五、六といったところか。

 勇者に憧れていたのだろう。手には木製の剣。目は、少しだけ悔しげだった。


「せっかく、勇者様が帰ってきたのに……なんで、こんなことを……」


 ユウトは立ち止まる。そして、静かに答える。


「……剣が世界を救うなら、それでいい。だが、それを“誰が持つか”は、誰かがきちんと見ていなければならない」

「力に価値があるのなら、責任にも価値がある。

 スキルも装備も、その価値を正しく扱う義務があるんだ。誰であってもね」


 少年はしばらく黙っていたが、やがて目を伏せて小さくうなずいた。


「……はい」


 そのやり取りを最後に、ユウトはその場を後にした。

 黒衣の背が、王都の陽光の中に溶けていく。



 ◇

 


 ――その日の夜、レガーレ王国の情報板《浮報塔ふほうとう》には、一つの速報が流れた。


《勇者の剣に査察入る!》

《“マルサの黒衣”、凱旋式に現る》

《王国直轄査察局、三重申告漏れを確認》


 翌日には、広場の屋台でも、冒険者たちの間でも、噂は絶えなかった。


「なんか……勇者様、税金払ってなかったらしいぞ」

「ギルドの連中、顔真っ青だったわ」

「そりゃあな。あの黒服が動いたら、もう終わりだろ」




 そしていつしか、こんな言葉が生まれた。


 ──魔王は討てても、マルサからは逃げられない。


 

 ◇

 


 査察局本部の執務室。

 ユウトは静かに書類をまとめ、魔導スタンプを最後の一枚に押す。


 そこへ、若い女性職員がコーヒーを持って現れた。


「お疲れ様です、ユウト様。……噂になってますよ。“伝説のマルサ、勇者を斬る”って」


「……斬ってない。帳簿を照らしただけだ」


「そういうとこですよね、ほんと。好きです」


 彼女がにやりと笑い、ユウトは溜息をつく。

 デスクの上には、次の査察予定リストが光っていた。


 そこにはこう記されていた。


 《対象:聖女ミレリア スキル未登録疑義》


 

 ◇

 


 

 剣と魔法の世界において、

 そのどちらも使わずに戦う男がいた。


 最も地味で、最も恐れられた男。


 人は彼を、こう呼ぶ――

 

 “マルサの男”と。

 


 ──王国直轄査察局・ユウトの仕事は、まだ始まったばかりだ。

 




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