18話 ボズウェルの最期①
朝靄が薄く漂う平野に、幾重もの陣幕が張り巡らされていた。
その中心、マール大要塞の前方に位置する平原に、俺たちは布陣している。
──まず、現在の我が軍の内訳はこうだ。
俺とグラーネのスタリオン、ジンバール陣営は後方に控え、総大将を務める。
兵力、千五百。
ダレル率いる鉄人と、オズワルド率いる獣人は、歩兵として前衛を担う。
兵力、五千。
クロエ率いる森人は、弓騎兵として遊撃、攪乱。
兵力、五百。
ヴァネッサ率いる弓部隊と、ロスヴィータを始め少数の竜人。
併せて、一千ほど。
これが、我が軍の全てだ。
対するボズウェル子爵の兵数は一万。こちらは、およそ八千。
数では劣るが、戦力的にはこちらが有利だった。
身体能力に秀でた亜人が多数いる以上、二千の兵力差は許容範囲内。
「……出てきましたね」
アルゴルが唸るように呟いた。
視線の先には、主戦場の中央を悠然と歩む、一人の騎士の姿があった。
赤いマントを翻し、金属の擦れる音を響かせながら、どこまでも堂々とした態度。
「……あいつが、ボズウェル子爵か」
マリカ同様、俺に、俺達にとんでもない迷惑を掛けた男。
あんな態度で生きられたら、どれほど気が楽になるだろうか。
「行こう、グラーネ」
俺とグラーネは、歩調を合わせ彼の元へと向かっていく。
やがて相対した所で、両者は互いを見据えた。
「……貴公がスタリオン卿か。そしてそちらが、その妻であるグラーネ殿。早速だが、私の願いを聞き入れて欲しい。妻と娘と、この戦で生き残った者達の保護を頼みたい」
「……何だと?」
謝罪の言葉は無かった。
それどころか、頼み事をしてきやがった。
俺はグラーネと顔を見合わせ、互いに困惑の表情を浮かべるしかなかった。
元いた世界どころか、こちらの世界で学んだ常識が通用しない。
改めて、ボズウェル子爵を観察する。
良く磨かれ、朝露が僅かに滴る頭は、別にいい。
こういう状況だし、起きてから顔を洗っていないのだろう。脂ぎった顔も許そう。
だが──なんだ、その目は。その、子供のように純粋な目は。
自らの行いでこうなった事を、ちゃんと理解しているのか?
なぜこんな男が貴族になって、こうして兵を率いているんだ?
俺は腹が立ってきた自分を宥めるように、深く息を吐いた。
不快な人物から、速やかに離れたい。
「ボズウェル、貴様はここで死ぬ。残念ながら、我々が貴様の願いを聞き入れねばならん理由は無いな」
グラーネは、呆れた表情でそう告げた。
俺も同意見だが、こういう人間はここで引き下がったりはしないだろう。
この男が次に何を言い出すか、注意しながら適当にやり過ごす必要がある。
「確かに、その通りだ。……それでも、聞き入れて欲しい。私が愚かだったばかりに、家は滅び、兵は死んでしまう。……頼む。どうか、慈悲をくれないだろうか!」
ボズウェルはそこまで言った後、俺達の前で跪いた。
戦の前に総大将のこんな姿を見てしまっては、兵の士気は下がるだろう。
……いや、それは間違いか。
最初から負ける事が──死ぬ事が決まっているのに、士気を上げられる訳がない。
だから。
せめて、全ての兵は無理だとしても、付き従ってくれた者に希望を与えたい。
そう、考えているんだろうな。
(まあ、こいつの事情など、俺にはどうでもいいが)
俺達が黙っていると、ボズウェルは更に言葉を続けた。
「私なりに、必死に考えたのだ。スタリオン卿が、我が妻と娘、兵とその家族を保護した場合。マール連邦はアドラー帝国に対し、打撃を与える事が出来る」
「あんたが言いたい事は分かる。つまり、アレだろ? アドラー帝国内の、反乱分子の勢いを増やす切っ掛けになる。そんなところか?」
そういうメリットもあるにはあるだろうが、アドラー帝国から俺に対する敵意を煽りかねない。
だから、こいつの話には乗るべきではない。
「貴公としては要するに、アドラー帝国からの逆恨みが嫌だというのであろう? だから、私はグウィネス女王陛下に謁見した。我が兵と、その家族。安心して、スタリオン卿の領民にして頂きたい」
確かに、アドラー帝国は超大国であり、人口は多い。
些末な貴族の兵と、その家族が国外に流出しようと、それほど痛手にならないのかもしれない。
(それでも受け入れるとなると、色々と面倒だ。……ん? 何故俺は、こいつの話に乗る前提で考え始めているんだ?)
思考を誘導された事に、思わず鳥肌が立った。
それを誤魔化すように、平静を装いながら腕を組む。
……なるほど。
この様子だと、アドラー内部でもこいつのやり方に調子を狂わされた奴らが、かなりいるんだろうな。
「……ソウマ、こいつのあしらい方はお前に任せた」
グラーネの声にも、わずかに迷いが滲んでいた。
俺と同じく、こいつと正面から言葉を交わすことに、妙な不安を感じているのだろう。
まあ詳細は後で、グウィネス女王と決める事になるはず。
いつまでもこいつと話していたくはないので、適当に切り上げよう。
「ああ、そうだな。……ではボズウェル子爵、戦場で」
俺はグラーネと共に、その場を立ち去ろうとした。
「スタリオン卿、言い忘れた事がある! ……ある程度こちらの数が減ったら、戦を切り上げ、貴公に一騎打ちを申し込むつもりだ。受けて貰えるだろうか?」
「一騎打ちだと!? 馬鹿な!!」
俺より早く、グラーネが反応した。
理屈で考えれば、こちらが応じる理由は一切ない。
じゃあ、こいつがそれを提案する理由はなんだ?
「……あんたの事が全く理解出来ないよ、ボズウェル。一応、理由を聞かせてくれ」
「貴公に、私が出来うる限りの最大限の贈り物をしようと思ったからだ。……自慢ではないが、私は国内では年齢の割に、それなりに腕が立つ」
彼の年齢としては、恐らく50歳前後だろう。
確かに、首周りもしっかりしていて、背筋もぴんと伸びている。
「だが私も、もう若くはない。それに、貴公のように神柱石で召喚された者は強いのだろう? それなら、私を討ち取る事は十分に可能なはずだ」
『喧嘩をふっかけられた若き種馬が、軍事大国の貴族との一騎打ちに勝利した』
その事実が広まれば、俺の名声は確かに上がるだろう。
マールの種馬に勢いありと、他国の商人は勿論、どこかに移住を考えている者達も、この国に興味を示すかもしれない。
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