14話 竜の本質③
数年振りに顔を合わせたエリノア王女は、すっかり大人の色気を纏う女性へと成長していた。
夫のカール子爵と、弟である第二王子のヘクトル王子。
後はまあ、なんか三人くらい。
大所帯を引き連れ、突然我が国を訪れた彼女。
私に対して、とてもいい話があると切り出してきた。
少し前にスタリオン卿にやり込められてしまった手前、どうしても身構えはする。
でも──この大陸の政治情勢は、長い間停滞していた。
だから、単純に興味もあった。
次世代の国を担う若き才女が、このアドラー帝国に対しどう立ち回ろうとしているのか。
なので、ひとまず私は大国の主として、彼女と一対一で話し合いの場を設けることにした。
お粗末な話なら、そんなのは話にならないと蹴ってしまえば良いし、そうでないのなら──為政者として、実利を取ればいい。
貴賓室で二人きりになった私達は、昔会った頃を思い出すように、世間話をしつつ前哨戦を始めた。
まあ、すぐに本題に入る事もない。
「そういえば、結婚おめでとう。軽く話は聞いてるけど、夫婦仲は良いようね。普段、カール子爵とはどんな話をしてるの?」
「ありがとうございます、陛下。そうですね……彼は私と結婚する前、商いをする為に様々な場所を訪れていたらしいので。その辺りの事を話したり、子供の将来についてとか」
「へえ、いいわね。うちは旦那が死んじゃったけど、子供はいるの。最近は忙しくて、あまり会えてないけど」
「確か……ノエル王子殿下、でしたよね? うちの子供達がもう少し大きくなったら、是非遊んで頂けたらと思っています」
『エリノア王女の実子は、カール子爵と血は繋がっていない』
二人の結婚が公になった直後から、そんな類いの噂が静かに広がっていったのを覚えている。
それじゃあ本当の父親は誰なのか──結局、それ以上の話は聞こえてこなかった。
それが事実だとしたら、恐ろしい話だ。
逆に、まったくのでたらめで、噂の出処が明らかになった場合──。
当然その者は、只では済まない。
彼女自身も、その噂を意識しているのだろう。
国内では、夫と連れ立って公の場に姿を見せることが多いそうだ。
それに……下世話な話ではあるが、夜の生活の方もしっかりとあるらしい。
(私はそんな話に興味は無い。でもまあ、軽くつついてみてもいいかしら)
「ええ、機会があればそれも楽しそうね。……ところで、あなたはスタリオン卿と面識があるのよね? 彼がこの世界に来たばかりの頃、保護していたとか」
あからさまな話の流れだが、これくらいはやられても文句は言えないだろう。
エリノア王女は少なくとも、表面上は変わることなくその話題に乗ってみせた。
「はい、そうですね。スタリオン卿と彼の友人を、マール連邦にある私の別荘で保護していました。彼らの世界の事を色々教えてもらったりと、勉強になる事が多かったです」
「へえー。私の国にも一人、スタリオン卿のお友達がいるの。その辺りの話を、もう少し聞いてみるのもいいわね。……ねえ、スタリオン卿がどんな感じだったか、聞きたい?」
「はい。よろしければ聞かせてもらえますか? 彼の事を」
私はマールで過ごす間、スタリオン卿とどんな会話をしたのか、彼の友人達はどうだったか、グラーネ子爵との間に生まれた三人の子供について話した。
「……そうでしたか。ふふっ。良かった、元気そうで……」
(……なるほど。そういう関係なのね、彼とは)
彼女がスタリオン卿の話を聞いて、浮かべた表情。
気心が知れた友人に対する友愛や、年の近い弟を気遣うような愛情が感じられた。
そういえば、スタリオン卿の年齢は21歳、エリノア王女は今年で22歳になっていたはず。
噂の真偽はともかく、肉欲や恋愛感情のようなものは二人の間にはない。
私にはそれが分かった。
(まあ、もし私の周りで、そういうくだらない噂を話している人間がいたなら。……窘めるぐらいは、してやってもいいわ)
帝国の女王として、沢山の貴族と接してきたから分かる。
人間はちょっとした事で、あっという間に堕落してしまう。
私は為政者としても、一人の人間としても、そんな人間ばかりが暮らす世の中で生きたくは無い。
だから、敵であれ味方であれ、清らかで好ましい所を持つ人間がいたなら。
私はその人物のそういう部分を、守りたいと思っている。
「……さて。世間話はこのくらいでいいわよね。それで? あなたが私に持ってきた、美味しい話って何かしら?」
紅茶を一口飲み、相手の出方を窺う。
やはりというか──相当に大胆な内容なのだろう。
彼女は暫く口を閉ざしたままだった。
そして覚悟が決まったのか、ようやく口を開く。
「私の提案は、グウィネス女王陛下と我が弟、ジークベルトとの婚姻についての提案です」
「……はあああ?」
意味は、分かる。彼女が何を差し出したいのかも分かる。
だけど──彼女が私の亡き夫への思いを知らないはずがない。
そのうえで、よくもそんな話を持ち出せたものだ。
これは怒りではない。
つまりそんな私の気持ちを説き伏せ、ねじ伏せるつもりなのだ。
……目の前の、こんな小娘が。
「驚いたわ。暫く見ないうちにあなた──とんでもない化け物になっていたのね。……ええ、もちろん褒め言葉のつもりよ?」
私はソファーに背を預け、溜息をつく。
フィオナ族長のそれとは違う、別種の恐ろしさ。
かつて病弱だった王女は、もはやどこにもいない。
「グウィネス女王陛下。この話は、父であるルガール国王を通じて届けに参りました。ですが、これは私が女王になる前にあなたに対して出来る、最後の贈り物になるかと思います」
「あなたが女王になる前に承服しなかったら、ご破算ってわけね」
どこまでも強気!
ともすれば侮りと取られかねない態度だが、私には嬉しさと楽しさの方が勝った。
(私は今までずっと、張り合いのない相手と政治ごっこをしてきた。……これが、新時代の到来ってわけ?)
そんなの、認めない。
認めてやるもんですか。
「確かに、美味しい話ね。私の立場を守る事にも繋がるし、二国間の溝も解消するかもしれない。……でもねえ、あの子、さっぱりじゃない? 私としては、ハズレを掴まされるみたいで、なんだかなあって」
王女は私の態度を軽やかに受け流しながら、穏やかな表情を浮かべている。
まるで、もう話は決まっているかのように。
「ええ、確かに。ジークベルトには、まだまだ未熟な所が多い。だからこそ、陛下に託したいのです。あなたの元で帝王学を学ばせる事が出来れば──弟は立派な為政者となるでしょう」
「……そしてあなた達は政治が安定して、内政に専念出来る。やだやだ、怖い怖い」
もっとも、そのリスクについては理解しているはず。
彼女の弟──あの馬鹿王子が、ルガール国王やエリノア王女の望むような人格者に育つなど、決して有り得ないと。
つまり彼女は、二人まとめてかかってこいと言っているのだ。
私は心の中で、亡き夫に向かって静かに宣言した。
(あなたの事、これからもずっと愛してる。でも私は女王。だから、そろそろ前に進ませてもらうわね)
「……いいわ、乗ってあげる。その代わり、後悔しても知らないわよ?」
私の言葉に、エリノア王女はすっと頭を下げた。
深々と、王族としての礼を尽くして。
「有り難う御座います、グウィネス女王陛下。今後、我ら二国の関係が良きものとなるよう、互いに努力して参りましょう」
彼女の、心にも無い言葉に対して。
私は、紅茶の残ったカップを軽く掲げてみせた。
彼女も同じようにカップを上げ──こうして、婚姻の話はめでたくまとまった。
話がまとまり、エリノア王女達は帰国した。
そして──それからまた、しばらく経ったある日。
私はいつものように執務室の椅子に腰を下ろし、書類に目を通していた。
ふと思い出した事を、ソファーに座っていたジェロームに尋ねる。
「あっ。そういえば、あのユヅルっていう子。元気にしてる?」
「ええ、特に問題無さそうです。……なんというか、そこまでやらされてしまうと……やはり負けたという気持ちになりますね」
「ま、完敗よね。それでも一応、マールへの手土産にはなるでしょう? フィオナ族長の夫──ヴァルディンの頭骨と一緒にね」
王女との会談が終わった後、人を預かる事になった。
彼の名前はユヅルで、スタリオン卿の友人らしい。
私の結婚相手のジークベルトの元から離れ、マール連邦に亡命したいとの事。
「スタリオン卿とボズウェル卿の件が片付いた後、我々は戦後処理の為に再びマールを訪れる必要があります。その『ついで』になりますから、エリノア王女としては都合が良かったのでしょうね」
前回のマール訪問では、私達はフィオナ族長から逃げるように帰国してしまった。
このままでは、こちらの面子が立たない。
そこで、宝物庫に保管されていた──彼女の夫、ヴァルディンの頭骨を返還することにした。
大昔にこの大陸の人間達がやった事とはいえ、我が国の宝物庫にあったのだ。
ならば、返すのが筋というもの。
それに、スタリオン卿の友人であるユヅルという人物。
彼の亡命を手助けした事も加われば、マール側も態度を軟化させてくれるだろう。
「フィオナ族長のアレは演技だったんでしょうけど……それでもやっぱり、怖いわよねえ」
「ふふっ、確かに。……まあ、私が彼らの前で土下座でもしてみせましょう。それでも駄目なら、私が食べられているうちに、陛下は逃げて下さい」
私達は軽口を交わしながら、その日を穏やかに過ごした。
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