11話 暗殺者④
「おや、エマは甘いものを好まないと思っていたのだが。実は結構好きだったりするのかい? なんだか、とても幸せそうな顔をしているね」
普段屋敷で生活している際は、甘いものを可能な限り食べないようにしていた。
久しぶりに砂糖の塊を摂取出来たことに、心が喜びを隠しきれなかったのだろう。
「ええと……こちらの世界では虫歯になりたくないと思い、ずっと我慢していました」
「へえ、偉いのね……。私なんか、我慢出来ずについ食べちゃうもの。そういえば、あなた達の世界では虫歯になった時に、どういう治療が行われるの? それに虫歯以外で、何らかの理由で歯を失った人とか」
「そうですね、一般的には……」
私は基本的な虫歯の治療法と入れ歯や差し歯、インプラント等のやり方を知っている限り話した。
「うええ……虫歯の治療に関してはまだ分かるわよ? でも顎の骨に穴を開けて、そこに金属の棒を突き刺すって……。そもそも、痛みに耐えられるものなの?」
陛下の表情にくすりと笑いながら、追加で説明を行った。
「はい。そこは痛みを感じなくなる処置を行ってから、手術をしますので」
私たちにとっては当たり前になっているけど、よく考えると凄いことだ。
「そのような治療がこの世界でも行えるようになればいいのだが、やはり技術的に難しいのだろうね」
「難しいと思います。数世紀ほど時代が進めば、色々と変わってくるかもしれませんが……」
麻酔を使った手術は17世紀くらいから記録があるようで、それ以前にも植物等を使って手術が行われたりしていたようだ。
私もいつかこの世界で手術が必要になったら、やはり麻酔は欲しいと思う。
「そうねえ、難しそうだわ……って、さっきまでマール連邦について話してたわよね? なんで虫歯の話になってるわけ?」
「その、陛下。虫歯の治療法についてエマに尋ねたのは、あなたです」
「あら、そうだった? それじゃ、話を戻しましょうか。竜の話については、単なるおとぎ話とも言えないのよ。だって、この世界には神柱石なんてものがあるでしょ? だったら、竜がいてもおかしくないわよね」
納得したくはないが、ここはそういう世界。
そう言われると、そんな気もする。
「それはまあ……確かに。召喚された私たちも、変わった力を持っていますからね」
「でしょう? それに……何故だが分からないけどね、あるのよ、うちに。うちの宝物庫にもの凄い大きな生き物の頭蓋骨と、何に対して使ったか分からない、大きな矢を打ち出す兵器が」
陛下のそれは、まるで子供に怖い話を聞かせるような態度。
「さて、話を戻そうか。……三百年前の大戦の際、マール王国に勝利した周辺国の振る舞いは、悪辣そのものだったそうだ。マールに住んでいた多くの亜人が、奴隷として扱われることになった。これに激怒したのが当時竜人の族長だったヴァルディンと、その妻フィオナ。フィオナは現在、竜人の族長として存命しているようだね」
ジェローム様は紅茶を一口飲み、話を続けた。
「二頭の巨大な竜が矛先を向けたのは、旧パルティーヤ共和国であるシャールダン公国。民は勿論のこと、貴族や王族も悉く殺された。焼き払われ、踏み潰され、引き裂かれ、彼らの腹の中に収まることとなった。そして破壊と殺戮の限りを尽くした二頭は、最後にシャールダン公国の神柱石を破壊した」
後は頼みますというそぶりを陛下に示すと、ジェローム様はソファーの背もたれに寄りかかった。
「そんな有様を見せられた周りの国は、そりゃ団結するわよね。二頭が眠っているところに大規模な討伐軍が襲いかかり、ヴァルディンは打ち倒された。そういう事になっているわね。……どう? エマちゃん。理解出来たかしら?」
「はい。ありがとうございます、女王陛下、ジェローム様」
私は紅茶で唇を湿らし、竜という存在を受け入れた。
確かに、300年前の生き証人が存在しているのだ。
それならば、そういうことがあったんだろうと思うしかない。
──だとしても、気になることがある。
「……でも、300年前の話ですよね? 今のフィオナ族長は、昔と同じように戦えるんでしょうか?」
「おっと。エマちゃんもやっぱり、そこは気になるわよね。……どう思う? ジェローム」
「……どうなのでしょうね? 彼女はマールに帰った後、殆ど表に出なくなったそうですから。怪我や病気なのかもしれないし、今のフィオナは別人だと主張する者達もいるようです」
陛下は暫くの間腕を組み、目を閉じ考えていた。
そして突然立ち上がり、腰に手を当てて言い放った。
「……よし、決めたわ。あなた達、二人でマール連邦に行くのよね? 私も一緒に行くわ」
「ええっ!? あの、ジェローム様!? 陛下がとんでもないこと言い始めてますけど……」
「……はあ。無駄さ、エマ。こうなったら、陛下の思うままにさせるしかない。そんな時間を与えたのは、他でもない──陛下を貶めた評議会の連中なのだから」
やる気を漲らせた陛下と、いつものことだと呆れ顔のジェローム様。
私に出来ることは、ただ二人に着いていくだけ。
執務室を後にした私とジェローム様は、帰りの馬車で今後について話し合った。
それは馬車の中だけでは収まらず、夕食後の書斎でも続いた。
◇◇◇
リヒトブリック王宮の中庭。
私は中庭のバルコニーで読書をしながら、子供が遊んでいるのを見守っていた。
「ほら、ラファエル様! もう少しでお花の冠が出来ますよ? 冠が出来たら、お母様にプレゼントしましょうねえ」
「うん。おかあさまに、あげるの」
「えめりん、おうまさんやって」
「ええっ! マリアンヌ様、またですかあ〜!? うう……ひひーん!」
アルマとエメリンと共に中庭で遊んでいる、私の可愛い子供達。
黒い髪に茶色の目の男の子がラファエルで、金髪に青い目の女の子がマリアンヌ。
今のところ二人は大きな病気にかかることもなく、元気に育ってくれている。
「ぷっ……くくっ。エメリンはすっかり馬としての自覚が出てきたみたいですね、姫様」
「……あら、ウルスラ。あなただってもう少しくらい、子供達と遊んでくれてもいいのよ?」
「いえっ、私は、その。……時々、二人の前で曲芸のようなものを見せているので」
「ふふふっ。まあまあ、姫様。ウルスラも最近は頑張っていますので、どうか許してあげてください」
「そうね、イライザ。最近は勤務態度も、多少はまともになってきたもの」
確かに、最近ウルスラは雰囲気が少し柔らかくなったと思う。
空いた時間を見つけては、おもちゃを使った曲芸の練習をしているという報告も聞いている。
「……しかしまあ、最近は暇ですね。いや勿論、平和なのはいい事なんですが」
側に控えていたライエルが、壁にもたれかかりながらぼやいている。
彼の仕事は護衛なのだから、張り合いがないのは理解しているつもり。
でも、この時間は私にとっても、子供達にとっても、必要な時間。
この時間が、ずっと続いてくれたらいいのに。
「はあ? ほんっと、男ってやつは……。そんなに争いが好きなら、そこらの路地裏にいるごろつきと喧嘩でもしてくれば?」
「おいおい、なんだよウルスラ。ちょっと愚痴を言っただけだろ? なあ、イライザ」
「うーん……今のはちょっと、ライエルさんが軽率だったかと。どうしてだか分かりますか?」
「……分からん。教えてくれ、イライザ」
「姫様は、庭で子供が遊ぶ姿を見て幸せを感じていたのです。こんな時間がずっと続けばいいのに、みたいな事を思ってみたり。そんな、かけがえのない時間が、あなたの発言で台無しになってしまった。……そうですよね? 姫様」
「私って、そんなに思った事が顔に出ているかしら」
もしそうなら、政治家としては致命的だ。
それでも子供の前で表情を見せないというのは情操教育に悪そうだし、母親と政治家の両立は思った以上に大変なのかもしれない。
「……ねえ、ライエル。そんなに退屈なら、暫く誰かに護衛を変わってもらう? あなたは優秀だし、退屈な思いをさせているのだとしたら私も心苦しいわ」
そんな私の発言に、ライエルは姿勢を正し頭を深く下げた。
「お許し下さい、王女殿下。私が護衛から外れ、もし王女殿下に何かあれば、国王陛下に申し訳が立ちません。気が緩んでいた事を深く謝罪します。どうか、お側で仕えさせて下さい」
ライエルの騎士としての姿を見て、私と侍女二人は、思わず言葉を失った。
普段は飄々としているが、やはり彼の本分はそこなのだ。
「もういいわ、ライエル。頭を上げなさい。あなたの忠義を疑ったことは一度もないし、これからもよろしくお願いね」
「はっ。気を引き締め、今まで以上に励むことを誓います。……つうか、さっきからそこのお前! 見せもんじゃねえぞ、さっさと失せろ!」
いつもの調子に戻ったライエルの視線の先に、彼はいた。
彼は確か、ソウマのお友達の──
「ねえ、私に何か言いたいことがあるの? もしそうなら、話を聞くくらいは出来るわ」
「……その、宜しいのでしょうか」
「はあ? 姫様がいいっつってんだろ。ほら、さっさと来やがれ!」
ユヅル・ハセガワ。
弟のジークベルトに神能を評価され、側で色々とやっているそうだ。
彼の神能は《医術》であり、弟が手放したくないのも理解できる。
「さあ、座って。ごめんなさいね、もう紅茶が冷めてしまっているの。もしよければ、新しいものを用意させましょうか?」
「ご厚意、有難う御座います。ですが、ここにいる事をジークベルト王子に見られたくないので。手短に、要件だけお話させて下さい」
確かに、私としてもそれは良くない。
弟を刺激して、もし子供達に何かあれば。
……私は絶対に、ジークベルトを許さない。
「それで、要件は何かしら?」
「僕の要件は、一つだけです。どうか……僕を、マール連邦まで逃がして頂けませんか?」
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