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11話 暗殺者①

 春から夏へと季節が移り変わる、そんな時期のある日の夜。

 いつものように、屋敷の主が用意してくれた部屋の中で本を読んでいた。

 私の唯一の癒やしの時間だ。


 本当は食事すら一人で摂りたい。でも、それは許されない。


「まあ、私が何不自由なく暮らせているのは、彼のおかげだものね……」


《娼婦》。


 それが、私に与えられた神能だった。

 神官からそれを告げられた時、最初は何を言われているか分からなかった。

 分かりたくなかった。


 娼婦という言葉で最初に思い浮かべたのは、私の母親。

 この世界にいるかどうか分からない神様とやらに、蛙の子は蛙なんだと言われているような気分だった。


 現在、私がいるのはアドラー帝国。

 リヒトブリック王国の隣にある国で、覇権主義の色合いが濃い国。


 リヒトブリックの神殿の中で神能の鑑定を見守っていた貴族たちの中に、野次馬で見物していたアドラー帝国の人間がいたというわけだ。


 その人に話を聞いた彼は、私を買い取ってくれた。

 そして幸いなことに、娼婦としての役割を彼から求められたことは一度もない。


「この世界に来て、三年くらいかな? 意外と、慣れるものなのね」


 みんな、元気だろうか。

 心にも無い事を思ってしまい、苦笑してしまう。


 向こうの世界では勉強を頑張ったり、クラスの学級委員をしていた。

 母親のようにはなるまい、その思いで生きてきた。


 毎日仕事に励む父に対し、恩返しがしたい、楽をさせてあげたい。

 私の生きる理由は、ただそれだけだった。

 

 でも、私はそれすら奪われてしまった。

 あの日、クラスメイトとこの世界に来てから、全てが壊れた。


 私はすぐに拾われて、アドラーでの生活を始めることが出来た。

 残念ながら、そうじゃない人たちもいることは伝え聞いている。


 自ら命を絶った人。

 野盗に身を落とし、争いの中で命を落とした人。


 奴隷として、厳しい生活を強いられている人。

 剣奴として、戦いに身を費やす人。


 私に出来ることは何もないし、特に何かをしようともしなかった。

 だって、もう私は学級委員じゃないから。


 先生に対しておべっかを使う必要もないし、内申点を気にする必要もない。

 ただ、その日を生きているだけ。


「今の私って、俗に言う真面目系クズってやつなのかしら。……いえ。もはや真面目ですらないのだから、ただのクズよね」


 死にたい。でも、死ぬのは怖い。なんて醜く、なんて惨めなんだろう。


 いつものように自己嫌悪に浸り始めたとき、私はふと異変に気づいた。

 ……静かすぎるのだ。


 この時間に定期的に聞こえる、廊下を歩く侍女の足音。

 それが今日は、聞こえてこない。


 体が、嫌な汗をかき始めた。


 そういえば近頃、周辺国で物騒な事件が起きているのを聞いた。

 あまりいい噂を聞かない貴族や商人が、殺されているという。

 

 でも、この屋敷の主は違う。殺される理由などない。

 少なくとも、私にとっては。


 自分を奮い立たせ、私は椅子から立ち上がる。


 足音を立てずに部屋のドアまで歩き、ゆっくりとドアノブを回した。

 そして、慎重にドアを開ける。


 屋敷全体は定期的に点検されているため、軋む音は出ない。

 廊下を確認するが、特におかしな所はなさそうだ。


「……考えすぎかしら」


 私と違い、侍女たちは忙しいのだ。

 きっと仕事か何かで、作業をしているだけなのかもしれない。

 そう思い直し、ドアを締めて振り返った。

 

 そして、また異変。窓が開いていて、外からの風でカーテンがなびいている。

 流石におかしい。

 私は窓を閉め、侍女の誰かを呼びに行こうと部屋を出ようとした。


「!! ……ひっ!」


 部屋の中に、誰かがいる。


 あまりの驚きに、すっかり腰が抜けた私は尻餅をついてしまった。

 外套を羽織っていて、顔を伺うことはできない。


 その人物は人差し指を口元に当て、静かにしろと私にジェスチャーで伝えてきた。 

 私は無言で頷き、機嫌を損ねないように、小声で相手の意図を測ろうとした。


「わ、私を殺すの……?」


 その人物は両手を広げ、おどけるような態度を見せた。


「私じゃないなら、他の人を殺しに来たってこと?」


 侵入者は外套の頭巾を後ろにずらし、私に顔をみせた。


「!! ……あなた、だったのね」


 見覚えがあるその顔。トレードマークの金髪は三年の歳月で真っ黒になっていた。

 顔つきも、クラスでよく見せていた表情とは違っていた。


 笑ってはいるが、笑顔の質がまるで違う。

 自分の事を棚に上げている自覚はある。

 それでも、人は数年でここまで変わるものなのか。


 彼女は断わりもせずベッドに座ると、私に手招きをした。


 どうやら話をしたいようだ。素直に従い、彼女から少し離れた場所に座った。

 何故か不満そうな顔をしていたが、自分が他人からどう見えているか分かっていないらしい。


 それから、この世界にきてからお互いにどうしていたかを話した。

 私はあまり話せることは無かったが、彼女は会話に飢えていたのだろう。


 ──いや。正確には、同郷の人間が恋しかったのだと思う。

 ニコニコしながら今までどのようにしていたか楽しそうに話しているけど、そんな世間話のように聞かせるような内容ではなかった。


 まさに凄絶。

 ときどき相槌を打って聞く努力はしているものの、血生臭い話ばかりで反応に困るというのが本音だった。


 そんな話を聞いてしまうと、ここ最近周りの国で起きている事件について、彼女の関与を疑いたくなるのも当然だ。


 怒らせたくない。刺激したくない。

 それでも私は委員長だった頃の自分を思い起こし、意を決し問いただした。

 あなたがやってるの? と。


 そして彼女は事もなげに答えた。そうだよ、と。

 もはや、私が知っている彼女ではなかった。


「……ねえ。そんな事、いつまでも続けられないわ。……そうだ、マール連邦には行ってみた? あの国には私たちの仲間が沢山いるのよね? そこで平和に暮らしたらいいじゃない」


 いい感じに話題を変えることができた。

 彼女もマール連邦には何度か行ったことがあるようで、クラスメイトの近況を教えてくれた。


「へえ。みんな、元気そうにしてるのね」


 彼女に聞くまでもなく、私のところにも噂は届いている。


 特に驚いたのは、武田壮馬君についてだ。

 教室で見かけていた彼と同一人物なのかと思うほど、精力的に活動しているらしい。


 彼が牢屋に連れて行かれたときの光景は、今も鮮明に覚えている。

 ところが彼は何らかの手段で脱獄し、マール連邦まで逃亡。


 現地で結婚し、今は三人の子供までいるという。

 数年前に彼が何か手柄を立て、貴族になった話を聞いたときは驚いた。

 でも、スタリオンという姓に関しては正直どうなんだろう。


(だって、名前も馬、名字も馬ってさ)

 

 クラスで見かけていた彼は無気力で、どこかシニカルな雰囲気を漂わせていた。


 この世界の人間には分からないだろうから、問題無いということなのかな?

 ……多分、あえてそう名乗っているんだと思う。


「あなたはマールで暮らさないの? 一番のお友だちもいるんでしょ?」


 彼女は首を横に振った。


 マールにいるクラスメイトにも接触せず、一人で行動しているそうだ。

 こんな薄汚れた自分は、みんなの側にいる資格なんてない。

 きっと、そう考えているんだろう。

 

 実際、彼女が合流すると武田君たちは、大きなリスクを抱える事になってしまう。

 その判断が自分で出来るなら、まともな部分もちゃんと残っている。


 今度は彼女に質問された。

 あなたはマール連邦に行かないの、と。


「……私はいいの。あまり、私たちが集まり過ぎるのも良くない気がするわ。その、警戒されるっていうか。私の言いたいこと、分かる?」


 素直に頷く彼女を見て、少し安心した。


 おそらく、彼女は自らの神能を扱いきれていない。

 神能に関する本はそれなりに読んでいるが、こういう記述がある本をいくつか読んだことがある。


『強力な神能は、持つ人間を狂わせる』。


 そしてまた、彼女にこう質問された。

 あなたは誰か殺して欲しい人間はいる? と。


「……いいえ。ねえ、今のあなたに言っても難しいでしょうけど、言わせてちょうだい。このままじゃ、あなたは戻れなくなる。ずっとひとりぼっちよ」


 そうだね、と。

 彼女は寂しそうに笑った。


 ここにきたのは、話を聞いて欲しかったから?

 それとも、委員長だった私に助けて欲しいから? 

 それは多分、その両方なんだと思う。


(ああ、駄目よ)


 そう自分に言い聞かせたけど、どうしようもなかった。

 かつてのように、委員長としての血が疼き始める。


 心の中に、私を頼る誰かの気持ちが流れ込んでくる、この懐かしい感覚。

 結局、私は誰かに必要とされたかっただけで──ただ、いじけていただけだった。


「……とりあえず、今日は帰りなさい。私なりに何とかしてみるから。いい? 私と会ったことは、誰にも言わないで」


 彼女は頷き、立ち上がった。

 そういえば、この子はどこから部屋に入ってきたのだろう。

 そう思っていると、彼女はおもむろに窓を開けて、ひょいと飛び降りた。


「はあ!?」


 ここは三階。

 私は慌てて窓から下を覗き込むと、彼女は音も無く着地し、音も無く走り去っていった。


 神能か人能の効果か、またはその両方の相乗効果なのか。

 彼女にあんな芸当が出来るなら、最近の騒ぎも理解出来る。


「全く……。でも、良い機会なのかも」


 そう呟いてから、窓を閉めてベッドに寝転んだ。

 元の世界では、私は真面目で優秀な委員長として見られていたと思う。


 でも私は、自分の中にある歪な部分を認識していた。

 私がそう振る舞うのは、誰かに頼られることで自分の中が満たされるから。


 そして、改めてこうも思った。

 それならそれでいいんじゃない?


 いつまでも部屋の中でうじうじしていたって、何も変わらない。

 私に出来ることがあるのなら、もう一度立ち上がってみよう。


 そんなわけで不肖ながらこの私、篠崎しのざき 瑛麻えまは。

 本日より、活動を再開したいと思います。

 ここまで読んでいただき、有り難うございます。


 もし宜しければ、ブックマークや星評価などして頂けたら小躍りして喜びます。

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