10話 ソウマ・スタリオン②
俺達は屋敷の中に戻ると、侍女達とライエルと共に、衣服や貴重品が詰まった大量の鞄を荷馬車に詰め込んだ。
やがて荷馬車が一杯になり、イライザが玄関に鍵を掛けた。
エリノアはイライザから鍵束を受け取ると、俺の手を取り、鍵束を掌の上に乗せた。
「ソウマ、あなたにこの屋敷の管理を任せます。その代わり、書庫にある本は好きに読んで構いません。貴方には本の扱い方も教えましたし、その価値も分かっているでしょうから」
「ああ、分かった。まだまだ読みたい本もあったし、助かるよ。……また会おう、エリノア王女」
「……ええ、貴方も。元気でいてね」
エリノアの抱擁を受ける。
それは親しい友人に向けての、気遣いと優しさ。
(元気でな、エリノア)
心の中で盟友への別れの挨拶をする。
エリノアは俺から離れると、マモルの手を握った。
「マモル、あなたも元気でね。あなたとソウマは、私の数少ない友人なのだから」
「ひょわっ! は、はい! エリノア王女も、どうかお元気で!」
マモルはエリノアからの抱擁に驚きつつも、なんとか別れの挨拶を済ませる。
「エリノア、元気でな」
「ええ、お互いにね。元気な子を産みましょう」
グラーネの方からエリノアを抱き締め、握手を交わす。
「娘は良い友人に恵まれたようだ。三人とも、どうか息災でな。……ああ、大事のことを忘れていた。ソウマよ。そなたは貴族となったが、名と姓はなんとする? 名はそのままでも構わないだろうが、君達のように召喚された者は姓を変える場合が多いそうだ。まあ、別に急かすような事柄では無いがな」
俺は決意表明のように、胸を張って答えた。
「国王陛下、それについては考えていました。私は今この時より、ソウマ・スタリオンとして生きていこうと思います」
「ほう! ソウマ・スタリオンか……。通りの良い名だと思うが、何か意味があるのかね?」
「えっと……ソウマ、本当にその名前でいいの?」
「なんだ? マモル。スタリオンという姓は何か都合が悪いのか? お前達の世界の言葉なのだろうが」
俺はルガール国王陛下とグラーネの質問に、自嘲気味に笑いながら答えた。
「国王陛下。スタリオンには、種馬や雄馬という意味があります。……まあ、ソウマという名前にも馬という意味が込められているのですが。どうせなら開き直ろうかな、と」
「くくっ、なるほどな。相分かった! リヒトブリックでもそのように広く知らせておこう。……ではまたな、スタリオン卿」
国王陛下はそう言って俺の肩を叩くと、馬車に乗り込んだ。
エリノアも俺達に小さく手を振り、馬車に乗った。
「みんな、またね!」
「……」
「皆さん、またお会いしましょう~」
アルマ、ウルスラ、エメリンも馬車に乗り込んだ。
ライエルはエリノア達の馬車、イライザは荷馬車を任されたようだ。
それぞれが御者台に乗り、いよいよ別れの時が来た。
「んじゃ、またな。せいぜい頑張れ」
「皆さん、どうかお元気で!」
馬車が走り始め、俺達との距離はどんどん離れていく。
「エリノア! いつかお前に、子供の顔を見せられる日が来るよう願っている! また会おう!」
グラーネは大きな声でエリノアに呼びかけた。
馬車の中で振り返った彼女が、手を振っている。
俺はマモルと一緒に大きく手を振り、旅の安全をただただ願った。
◇◇◇
「父上! 父上はこのまま、姉上を次期国王とするつもりなのですか!?」
私の悲痛な叫びは、執務室の中で虚しく響き渡った。
父であるルガール国王陛下は机にそびえ立つ大量の書類に囲まれ、王としての職務を全うしている最中だった。
そもそも、父上にとって今の私に何の価値があるというのか。
離れた地で療養していた姉が、まさか本当に身籠った体で帰って来るとは。
密かに結婚を済ませていて、その相手はリヒトブリックの貴族という事になっているが──よくもまあ、そんな白々しいことを。
「……ジークベルト、私は今忙しいのだ。暫くリヒトブリックを離れていたせいで、仕事が溜まっている。そのように大声で喚くのであれば、今すぐ出ていけ」
「……失礼しました、国王陛下。ですが、王宮内で噂が広がっております。次期国王は姉上に決まっており、私や弟のヘクトルは国外の貴族や王族の婿として送り出されると」
勿論、そんな噂は流れていない。
だが、姉の健康上の問題が解決したとなると、私にとっては致命的だ。
悔しいが、姉の為政者としての才覚は私を遥かに上回る。
それに、弟の存在だ。
姉が女王になる事に賛成する立場である事は、周知の事実。
今まで、それなりの数の貴族や役人に金を渡したり弱みを握って、私の派閥という物を拡大してきたつもりだ。
しかし、それらが全て水の泡になろうとしている。
こんな事があっていいのか。
「そんなものは只の噂だ。……だが、お前に提案がある。具体的な話は決まっていないが、一度どこかの国に留学する気はないか? お前もまだまだ勉強する必要があるだろう」
「……留、学……? 何の話ですか? それは……」
危うく倒れそうになるが、ソファーの背もたれを掴むことでどうにか堪えた。
「自覚はあるだろう。お前は野心ばかりで、王にするには未熟。……仮に、エリノアが女王になったとしよう。数年後、王として必要な資質を備えたお前が帰ってきたのなら……あやつはお前に王位を譲る。そういう姉だと、分かっているはずだ」
確かに、姉には権力欲というものが欠落している。
そんな人間が王としての資質を持っているのだから、腹立たしくてしょうがない。
そして、私が他国で学び王に相応しい人間になった場合。
父上の言う通り、姉上は喜んで王冠を手放すだろう。
『こんなものいらないから、あなたにあげるわ』
実際にそう口にはしないだろうが、姉にとっては王位などその程度のもの。
ああ、本当に憎らしい。
「リヒトブリックでも、勉強は出来ます! これまでの自分を猛省し、今まで以上に勉学に励みますので、どうか、それだけは……」
私は自分の事を、何一つ信じていない。
仮に他国で学んだとして、それを活かすことが出来るはずもない。
自分に王たる資格がないのは分かっているはずなのに、何故こうも権力というものを欲しがってしまうのか。
自分を突き動かす心の奥底にあるものについて、以前考えた事がある。
それは、王族としてはなんとも幼稚な理由。
結局、誰かに認めて欲しいだけなのだと思う。
いつも私のことを気にかけてくれていた母上は死んでしまったし、それ以来ずっと私の心は空っぽだ。
そんな空っぽな自分が、もし王になったら。
ほんの少しくらいは、自分の存在を自分で認める事が出来るのではないだろうか。
「……ひとまず、留学の件は保留にしよう。お前はもう少し、姉や弟との交流を増やすべきだ。エリノアは出産を控え離宮で暮らしているから、まずは弟のヘクトルからだな」
「父上のお言葉、しかと受け止めました。王事が忙しい中、私の為に時間を割いて頂き感謝します。……それでは陛下、失礼しました」
執務室を後にして、深く息を吐いた。留学の話はしばらく出てこないだろう。
問題はその間、私に何が出来るか。それを自室に戻る間、考えるとしよう。
今の姉に、何か手を出そうというのは絶対に有り得ない。
もし、姉の身に何か起きた場合。
例えそれが私の仕業でなくても、私はすぐに何らかの理由を付けられ他国に追い出される。
二度とリヒトブリックの地を踏むことは出来ないだろう。
姉が出産し落ち着くまで、派閥の者達にしっかり言い聞かせておく必要がある。
私の評価を上げる為に、何か国内外で事を成すというのはどうだろう。
具体的な案はすぐには思い付かないが、これは悪くない気がする。
……そう思ったものの、すぐに考えを改める。
立ち止まる私に、通りすがる侍女が不思議そうな視線を向けているのが分かった。
だが、そんな事はどうでもよかった。
「……そもそも私がこの国を追い出される事が、既に既定路線だったとしたら? もしそうなら、ただ人や金を無駄遣いして終わるだけではないか……」
再び歩き始めた私は、この国に対する愛着と呼ばれるべき感情が薄れていくのをまざまざと感じた。
「それならそれでいい。父も、姉も、弟も、この国も。私を蔑ろにするというのであれば──」
好きなように壊し、好きなように作ってしまえばいい。
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