7話 盟友オーレリア②
「なあ、グラーネ。もしオーレリアに恩赦が与えられるとしたら、お前はヴォルック家に更なる忠義を尽くす事を誓えるか?」
複雑な事情があるのは分かる。
だがここは、無理矢理にでもこちらの主張を通したい。
オズワルドには悪いが、この場で既成事実を作らせてもらう。
「当然だ。我がジンバール家は全ての獣人が豊かに暮らす為に、ヴォルック家に協力を惜しまない。……だがオズワルドよ、覚えておけ。再び双方の家が争うことになった時、私はお前の妻フェリシアを必ず殺す。あいつが私の祖父母を殺したのと同じやり方でな」
それは脅しなどと呼ばれるものでは無く、明確な宣告。
これが獣人の価値観なのか、グラーネの行動理念によるものなのか。
ただ少なくとも、俺はその血生臭い空気に、彼女自身の《決まり》があるようにも見えた。
敵に容赦せず、奪われたものは必ず奪い返す。
グラーネの目には、確固たる意志が宿っていた。
オズワルドは言葉を発する事無く、ただ族長としてその言葉を受け入れた。
沈黙が辺りを包み、全身に泥をかけられたような気分にさせられた。
空気はねっとりとしていて、息苦しさを感じる。
その空気から逃れるため、俺自身が口を開いた。
「だ、そうだ。オズワルド、あんたの答えは?」
「……確かに、双方に利がある話だ。だが私としては、もう少しヴォルック家に何か目に見える利益が欲しい。そうでなければ、ヴォルックの者達を宥める事が難しくなる」
それでもオズワルドは、なかなか首を縦に振ってはくれなかった。
「……俺の生まれた国に、こんな言葉がある。『損して得取れ』。目先の利益や損失ばかりに囚われてはいけない、初めは損をしてもそれを元に大きな利益を確保しろ。そういう意味の言葉だ」
オズワルドの表情に、わずかな困惑が浮かんだ。
おそらく聞き慣れない価値観なのだろう。それでも、だからこそ伝えたい。
異邦人である俺と交わる事で、何かが良い方向に変わる者が現れたとしたら──。
俺達がこの世界に来た意味が、少しはあったと思えるから。
「オズワルド、長く族長を務めていたジンバール家から提言しよう。結局の所、そこなのだ。ヴォルック家は些か利己的に過ぎる。お前達が治める者達に対し還元するものが少なすぎるのが、全ての原因と言っていいだろう。そんな為政者は碌な事にならん」
グラーネの声は変わらず厳しいが、それはひたむきな警鐘と忠告。
いたずらに争いを起こしたくはないし、ましてやただの私欲や復讐心で、族長の座を奪い返すつもりもない。
彼女の誠意は、誰の目にも疑いようがなかった。
「……かつて儂も、一族の反発に背いて決断を下したことがある。だがその決断こそが、今の信頼を築いたと思っている。オズワルドよ、今こそ一人前の族長として決断すべきじゃ。お前の決意をここにいる皆に聞かせてくれ」
年老いたダレルの言葉は、静かで、ただ重かった。
若き族長を導くため、自らの背中と生き様でもって道を示そうとしている。
やがて覚悟が決まったのか、オズワルドは姿勢を正し皆の前で高らかに宣言した。
「ヴォルック家当主、オズワルド・ヴォルックはここに宣言しよう! オーレリア・エリオットに恩赦を与え、自由の身とする! 獣人の為、マールの為により一層の活躍を期待する! これは我ら獣人が過去の因縁を乗り越え、新たな未来へと歩むための第一歩となるだろう!」
これに対し、グラーネも宣誓する。
「我はジンバール家当主、グラーネ・ジンバールである! ヴォルック家の寛大なる沙汰に感謝の意を示す! エリオット家と共に、ヴォルック家に更なる忠節を尽くすとここに宣言しよう!」
周囲から大きな拍手が湧き起こる。
ダレルも拍手をしているので、鉄人の族長からも同意が得られたと判断していいだろう。
やがてダレルが周囲に話は終わりだと号令をかけ、街は日常へと戻っていった。
「ダレル、オズワルド。手間を取らせたな。だがまあ、オーレリアの恩赦はマール全体にとって良い方向に進むはずだ」
グラーネは二人に対し、重ねて感謝の意を伝えた。
友人であるオーレリアの事を、ずっと気にかけていたのだろう。
とても晴れやかな顔をしていた。
「そうじゃな。皆、彼女の事は気にかけていたからのう。これからオーレリアを迎えに行くつもりか?」
「ああ、そのつもりだ。オズワルド、構わないだろう?」
「問題ない。後で正式な書類を用意しよう」
彼は一拍置いてから、声をより真剣なものに変えた。
「……グラーネ。この決定は、私一人の感情によるものではない。争いに終止符を打ち、ヴォルックの名にかけて未来を選んだ、族長としての決断だ。……それでは、失礼する」
オズワルドの後ろ姿を眺めていると、ダレルに背中を叩かれた。
力加減が下手なのか、じんじんする感触がしばらく残りそうだ。
「ジンバール家の事は気がかりであったが、お前のような男が夫なら心配なさそうじゃな。ソウマ、グラーネを頼むぞ」
「ああ。任せてくれ」
お互いにニヤリと笑った。
ダレルの年齢を考えると、グラーネが小さい頃から見守ってきたのだろう。
四年前の争いについては詳しく聞かされていないが、ジンバール家の生き残りは今やグラーネだけ。
そんなグラーネの家を再興する目処が立ったとなれば、嬉しい気持ちになるのは理解出来る。
「それでは儂も失礼するぞ。……ああ、結婚式の事じゃが、儂から森人と海人の方にも声を掛けておいてやろう。ま、森人の方はクロエが、海人の方はキヨマサとトモエが出席する事になるじゃろうな」
「感謝するぞ、ダレルよ。……竜人はともかく、他の族長もお前のように気を遣う事を覚えてほしいものだな」
「はっはっは! 全くその通りじゃな!」
ダレルを見送りながら、俺はグラーネに気になっていた事を問いかけた。
「グラーネ。オズワルドに対して怒鳴ったのは演技だよな? 話を持ち帰る事になったら、オーレリアの件は多分白紙になってた。いい仕事だったよ」
「ふふ、そうだろう? ……まあ、あれは演技でもあるが、本音でもある」
鋭い眼光でオズワルドを睨みつけたあの一幕。
確かに迫真だったが、それも彼女のしたたかな計算の内だった。
「そしてダレルも、我々の意図を察してくれた。ソウマ、あいつは族長の中だとかなり付き合いやすい奴だ。不義理はするなよ」
「勿論分かってるさ。鉄人はマール大要塞を管理してるんだろ? 不義理どころか、むしろ積極的に協力が必要だろ」
「……はあ。本当にその通りなのだがな。まあ、今はいい。さあ、我が盟友を迎えに行こうか」
ウェヌスの神殿の裏側にある森。
ここに建てられた小屋でオーレリアは暮らしているらしい。
馬から降り、ゆっくり歩きながら俺とグラーネは森の中を進んでいた。
「なんだか、不気味な雰囲気の森だな。熊や狼なんかも出てきそうだ」
俺は足元の落ち葉を踏みしめ、周囲を見回した。
木々の隙間から差す光もどこか頼りない。
「うん? まあ、ここには以前、この森の主とも呼ばれる大きな熊がいたのだがな。そいつはオーレリアに退治されたよ。小屋の軒先にそいつの毛皮を吊してからは、この森で熊や狼を見たという報告は無いな」
あまりに自然に告げられたその話に、俺は思わず目を見開いた。
確かに獣人は身体能力が高いので、可能ではあるのだろう。
「……なるほど。相当に腕が立つんだな」
「そうだな。だが、四年前のヴォルック家との争いで彼女は両目を蝋で焼かれた。視力が殆ど失われている彼女に、以前程の力は無い」
森の奥へと続く申し訳程度の道を歩いていた俺は、グラーネの言葉を聞き立ち止まってしまった。
「……ん? つまり両目が殆ど見えない状態で、大きな熊に勝ったって事か?」
あっけらかんとした口ぶりだったが、言っている内容はとんでもない。
「くくっ、私はその状態で熊を倒せと言われたら難しいだろうからな。とてつもない女だよ。……そら、あれがオーレリアが住んでいる小屋だ。彼女も丁度小屋の近くで鍛錬をしているようだな。……しかし、あれは……」
「何だ? 何か問題が……おっと」
遠目にオーレリアと思わしき人物が視界に入った途端、俺はグラーネの背後に身を隠した。
別に俺の存在を隠したかった訳ではない。
彼女の姿を、男の俺がまじまじと見てしまうのは失礼だと思ったからだ。
完全な裸ではないが、上半身は胸にサラシのみの格好で巨大な戦斧を振るっていた。
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