6話 懐胎③
そしてその日の夜、俺はエリノア王女が待つ応接室へ向かった。
既にマモルも王女に呼ばれ、話し終わった後のようだ。
応接室に着くと、ドアの横でアルマが待機していた。
「なあ、アルマ。エリノア王女のことだけど……」
「ソウマくん、それは駄目。ちゃんと、姫様に直接聞いて? 姫様も、話したいって思ってるから」
「……そう、だよな」
その事について、話すだけなら夕食の時にでも話せば良かったはず。
俺自身はそう思っていた。
だが夕食の際に、その事について触れられる事は無かった。
所詮俺は、一般人の感覚しか持ち合わせていなかったのだ。
王族の女性が身籠るという事の重大さを、理解し切れていなかった。
ならば、これからは理解していく必要がある。
今後、他の王族や貴族から種馬としての仕事を依頼された場合。
依頼相手の政治的な事情を、十分に汲む事が出来なかったとしたら。
その時は強大な力が、俺や友人達に襲いかかる事になるだろう。
「じゃあソウマくん、心の準備はいい?」
「ああ、通してくれ」
「よし! 行ってこい、男の子。……姫様、ソウマくんをお通しして宜しいですか?」
「……ええ、お願い」
アルマによりドアが開かれ、俺は応接室に入った。
侍女が誰かしら控えているかと思っていたが、部屋の中はエリノア王女一人だけだった。
「さあ、座って下さい。少し冷めてしまいましたが、紅茶があります。必要なら新しいのを用意させますが、どうしますか?」
「じゃあ、その紅茶を。……って、エリノア王女。いや、俺が自分で……」
「ふふ、貴方は客人なのですから。……さあ、どうぞ」
王女自ら淹れてくれた紅茶を一口飲む。
確かに少し冷めてはいるが、個人的には許容範囲内だ。
反対側のソファーに座る王女と、目が合った。
──意を決し、俺から切り出すことにする。
「それで話というのは、エリノア王女の体に関する事でいいのかな」
「……はい。単刀直入に言います。貴方のおかげで、無事に身籠る事が出来ました。国王陛下から、貴方に対して褒美が授与されるでしょう。勿論、私からも」
やはり、どこか現実感のない言葉に聞こえた。
その理由に関して、しっかりと疑問を解消する必要がある。
「後はリヒトブリックの問題だと言われればそれまでだが、どうしても気になる事があるんだ。父親について、周りにはどう説明するんだ? それと、生まれた子供はちゃんと育てられるのかが知りたい」
王女は小さく頷いてから、俺の質問に答えた。
「リヒトブリック王国に、貴方と同じ髪と目の色をした貴族の男性が存在します。幸い、その男性は商いを営んでおり、定期的にマール連邦を訪れているようです。その方と逢瀬を重ね、婚約をした。そういう事になっています。生まれた子供に関しても、王族の子供としてきちんと育てます。安心して下さい」
なら、問題はない。
子供が大きくなった姿を俺が見るのは難しいだろうが、それは俺が割り切ればいいだけの事。
「そうか、後は……マモルについてだけど、あいつにも何か理由を付けて褒美をやったり出来ないかな。別に俺が分けるのでも問題ないけど、金はある分には困らないだろう?」
「その点も問題ありません。私が褒美を出すと、既にマモルに伝えてあります。あなた達の世界について色々、面白い話を聞かせてもらいましたから」
「良かった。ありがとう、エリノア王女。俺が気になっていたのはそれくらいかな。エリノア王女から俺に対して、何かあれば聞かせて欲しい」
金銭欲に関しては、別に俺自身は普通の感覚だと思っている。
ただ、この世界で十分に安全を確保して生きていくとなると、事情が変わる。
何か商売を始めて、国内だけでなく他国にも、味方を作る必要があるかもしれない。
味方とまで言えなくても、利害が一致する人間が増えるだけで、大分立ち回りやすくなるはずだ。
「……私から一つお願いがあるのですが、聞いて貰えますか?」
「ああ、構わない。言ってみてくれ」
「私とこうして二人きりの時は、私の事をエリノアと呼んで欲しいのです」
実利的な話かと思ったが、拍子抜けするようなお願い。
それでも、俺にとっては難題だった。
「それは……何というか、下手なお願いをされるより難しいな」
予想外の言葉に、思わず苦笑してしまう。
言葉遣いはともかく、俺は今までずっと彼女の事をエリノア王女、または王女と呼んでいた。
思考する時でさえも。
決定的な身分の差は勿論、種馬としての役割も終われば離ればなれになるのだ。
今から彼女に親しみを持ち接しろと言われても、なかなか難しい。
「……嫌、でしょうか? 私は貴方と友人に……いえ、盟友のような関係になりたいのです」
『あなたと友達になりたい』
思い返してみると、誰かにそう言ってもらえたのは初めての経験だ。
マモルとは、お互いに友人として認識しているとは思う。
それは共通の話題が多い中、一緒に行動する機会が増えた結果の先に今の関係があるからだ。
友達になろうとか、友達だよねなんて言葉は言った事も聞いた事もない。
勿論それも、ごく一般的な友人関係の一つだ。
(この世界で初めて出来た友人がお姫様か。贅沢というか、なんというか……)
エリノア王女とはあの日の夜、共にこの時代を生き抜くと誓った。
それは、盟友といっていい関係かもしれない。
距離は離れていても、お互いの存在が支えになる。
俺が自覚していなかっただけで、彼女は既に特別な存在になっていたのだ。
「盟友、か……。分かったよ、エリノア。君がそう思ってくれるなら嬉しい。末永く、良い関係でいられるといいな」
「……ええ。よろしくね、ソウマ」
お互いに手を差し出し、握手を交わす。
そういえば、あの日の夜もこうして手を握っていた。
結局、ただ俺が野暮な男だったという訳だ。
翌日、俺とマモルは拠点をグラーネの屋敷へと移した。
目的を達成したエリノアは、リヒトブリックへの帰り支度を始めた。
ライエルは昨晩、少数の鉄人を護衛に雇い一足先にリヒトブリックへと向かった。
理由は勿論、王女が身籠ったと国王陛下へ伝える為。
俺達がグラーネの屋敷に移り住んだ事への簡単な歓迎会を終え、今は夕方。
現在俺とマモルは談話室で、グラーネと今後の方針について話し合っている所だ。
「分かっているとは思うが、これからの行動は非常に重要だ。用心してくれ」
「はい、グラーネさん。僕たちを匿って下さり、本当に有り難うございます」
「気にするな、マモルよ。お前は我が夫の友人なのだからな」
「あはは……こっちの世界に来て、色々と大変だね。ソウマ」
「まあ、しょうがないさ。……ところでグラーネ、俺達はこれからどう行動すべきだ? 意見を聞かせて欲しい」
グラーネは腕を組むと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「そうだな……まあ、要するに……既成事実としてしまえばいいのだ。お前をこの国から追い出す事が出来ない、難しい状況を作る。私が考えているのはそういうやり方だな」
「なるほど。具体的には?」
「明後日、私とお前で簡単な結婚式を挙げる。そこに族長の何人かを出席させる。どうだ?」
「うわあ……」
あんぐりと口を開けているマモルをちらりと見た後、俺はグラーネと詳細を詰めていく。
「俺の世界だと確か、神父の言葉の中に『この結婚に意義がある者はこの場で申し出よ』、みたいな言い回しがあるんだ。こっちの世界の結婚式でも、そういうのはあるのか?」
「その通りだ。まあ、あの時お前達は何も言わなかったではないかと言えるな」
「……でも、それだとちょっと強引かも」
マモルの言う事はごもっともだ。
「この国の古い法律だが、こんなものがある。王族や貴族の配偶者は余程の事がない限り、国から追い出してはならぬという法律だ。これも利用していこう。落ちぶれたとはいえ、私は一応貴族だからな」
「その余程の事、というのに俺が含まれそうではあるな……。でもまあ、時間稼ぎにはなるか。ところで今日はもう日も暮れたが、明日は何をするつもりだ?」
グラーネはニヤリと笑みを浮かべた。
「さしあたって必要なのは仲間だ。ソウマ、お前はエリノアが盟友となったのだろう? 私にも盟友がいる。彼女を──オーレリアを屋敷に迎え入れる。さあ、明日は忙しくなるぞ!」
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