1話 召喚、そして牢獄へ②
監獄生活、五日目。朝食を平らげ、ベッドに腰掛け一息つく。それなりに、この生活に慣れてきてしまった。慣れというものは凄い。
(まあ、アレ以外は)
視線の先にはバケツと木の蓋、そして薄汚れた布。毎朝回収されるだけマシではあるが、俺達がこの世界の排泄事情に適応するには時間が掛かりそうだ。
「…よし、やるか」
声に出し、やる気を出すんだと自らを鼓舞した。立ち上がって、外壁側の鉄格子の内側にある窓を開ける。何をやるか。そう、筋トレである。海外のドラマなんかを見ていると、囚人達が体を鍛えているのをよく見るので真似してみた。これは実際にやってみて、身体的には勿論、精神的にもいい効果をもたらすと実感した。三日ほど食べて寝るだけの生活をしていたが、気持ちが落ち込んでいくばかりでこれは良くないと思ったからだ。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
自分なりにフォームを意識しつつ、腕立て伏せをする。トレーニングのメニューは腕立て、腹筋、背筋、その場駆け足だ。回数はあまり決めていない。キツくなったら次の部位を鍛え、その日の気分で終わりを決める。本当はスクワットもやりたかったが、姿勢が良くないと膝を壊しそうなのでやめておいた。
ひたすら無心で、筋肉を追い込んでいく。
「はーっ、はーっ、はーっ……ふーっ」
程よい筋肉の痛みと疲労感も貯まり、今日のトレーニングはおしまいとする。軽く体をほぐし、ベッドに身を投げる。狭い空間に閉じ込められた自分にとっては、今感じている気怠さと筋肉の痛み、自らに課した課題をやり通したという達成感。これは手放してはいけない大切なものだと思う。とにかく何かをし、何かを思い、何かを感じる。これがないと、あっという間に心が死んでしまうだろう。
だが、同時にこうも思う。その方が楽なんじゃないか。早く正気を手放してしまえと思う自分もいるのは確かだ。
(……まだクラスメイトも頑張ってるよな? 別に、焦る必要もないさ)
ベッドから立ち上がり、窓を閉める。この環境で体を冷やすのは良くない。今はまだ比較的暖かいが、これが秋、冬となるとどうなるか。
(……いやいや。馬鹿か、俺は)
すぐに思い直し、苦笑する。邪魔な存在として牢屋にぶち込まれた俺を、長く生かしておく必要があるだろうか。リヒトブリック王国というコミュニティにとって、俺は害ある存在。ならば、排除すればいいだけ。国家、町、村。コミュニティの規模は関係ない。必要ならば仕方のない犠牲として、殺されるのだろう。それがまかり通る世界に来てしまった。
そして、日本に生まれ日本で育った俺が普段考える事すらしなかった、ある疑問。
「神柱石、神能、人能、召喚。こんなものがあるってことは……まさか、いるのか?」
再びベッドに仰向けになり、いるかどうかもわからないそいつに問いかける。
「なあ、神様。俺がここに来た意味ってなんだよ? ただ殺されるために呼んだってのか?」
静寂。別にお告げがもらえるなどとは思っていなかったが、自分の中に生じた変化に気づいた。
「……子供の時以来かもな。このぐつぐつとした、怒りの感情は」
だがその怒りですら、あっという間に薄れていってしまう。意味がないと思ったからだ。仮に、怒りの感情に身を任せたとする。ここは異世界。太古の邪神、或いはその辺の小悪魔に魅入られ、大いなる力やちょっとした便利な力が手に入るかといえば、そんなことはないのだろうなという気はする。
存在するのは神柱石や神能など、舞台装置としての不可思議な力くらいか。勿論その時点で十分不可思議であるから、やはり感覚が麻痺してしまっている。結論。壁を殴って痛い思いをするくらいなら、大人しくしているに限る。不幸と不条理のあしらい方は、それなりに身につけているつもりだ。
監獄生活、八日目。夕飯が運ばれた時の事だった。いつも通り、看守が出て行く。そう思っていた。
「おい、お前」
「……あ?」
ベッドに寝転んでいた俺の背中に話しかけてきたそいつは、俺が振り向くと何かを牢の中に投げ込んだ。薄暗かったが、それが何かはすぐに分かった。先端を刃物で削った、15センチほどの木の枝だ。
「好きに使え」
看守はそう言うと出口に向かう。そうか。刑を執行する必要すらない存在という事なのか。これで喉を突いて自分で終わらせろ、と。つくづく、とんでもない世界に来てしまった。ここまでの扱いをされれば、いっそ清々しい。
「なあ、あんた!」
俺は鉄格子の間から顔を出せるだけ出して、看守に呼びかけた。
「……何か用か?」
看守は振り向く。兜を着用している為、表情は見えない。
「こんなもんを俺に渡して、あんたは処罰されたりしないのか?」
別に本当に看守の身を案じて、こんな言葉を投げかけたのではない。駄目で元々の賭けと実験。囚人の言葉など、基本的には無視されて終わりだろう。ならば、相手の感情を刺激すればどうか。
例えば、牢屋の中の人間から自分の進退について憂慮されるとどう反応するか。そして実験。見た目は同じ人間ではあるが、生まれた世界と時代が違う。俺が生まれ、育んだ価値観をある程度共有しているか。それをもって、この世界の人間と対話が可能なのか。
「……お前、マジか? その状況で俺の心配するのかよ」
賭けには勝ったらしい。看守はのろのろとした足取りで俺の元へ戻ってくると、兜を脱いだ。年齢は多分、30を過ぎたあたりか。さて、実験はここからだ。
「はは、笑えるだろ? 俺達はあんたらが想像もつかない程、平和な世界から来たからな。もうちょっと暴れた方がいいか?」
看守はその場に座り込むと、兜を腹に抱えた。渡された木の枝はベッドの下に放り込み、俺も男の前に座り込む。対話の意思はあるようだ。あまり収穫は見込めないだろうが、この男から何か情報を収集したい。
「……お前、いくつだ? 俺は今年で34になる」
「俺は18だよ。まあ、短い人生だったけどな……」
こいつは情に流されやすいタイプだと内心ほくそ笑みながら、男の反応を伺う。正直、読書量には自信がない。何冊か心理学の本を読んでいるが、この際だ。本から得たうろ覚えの知識が通用するか、試してみよう。誤解しないでもらいたい。別に普段からどうすれば人を操り、自らの利益に出来るのかなどと考えている訳ではない。事情が事情でもあるし、たまにはいいだろうと自分を許す。
「そうか……。だが俺はお前に何もしてやれない。すまねえな」
「別にあんたは自分の仕事をやってるだけだろ。気にするなよ」
「まあ……そうなんだろうけどよ」
この様子ならこっちが会話の主導権を握れるなと思い、まずは気になっている事について質問する。
「なあ、クラスメイト……いや、俺の仲間たちについて何か知っている事はあるか?」
「知ってることはあるが……今のお前に知らせるべきじゃないと思う」
看守の言葉に、嫌な汗が湧き出るのを感じた。それでも、聞くべきだと判断した。
「なんだよ。今より悪いことなんてあるのか? いいから教えてくれよ」
「本当か? 本当に後悔しないんだな?」
「ああ。さっさと教えてくれ」
気持ちの整理をし、看守の言葉を待つ。
「……三人、自殺したそうだ。一人は飛び降り、二人は首を吊ったらしい」
考え得る限り最悪の知らせであり、想定していた知らせでもあった。一度深いため息をし、会話を続けるよう自分を鼓舞した。
「……誰だ? 誰が死んだか分かるか?」
「すまん、名前は分からない。ただ、他の奴らの中には城で働いたり、職人の元で腕を磨いたり、他国に金で買われたりと色々あるようだ」
「なるほど。マシな生活が出来てる奴もいるってことか」
八日で三人。今後増えるのは確実として、何者かに殺害されるパターンも出てくるのだろう。最悪、クラスメイト同士で殺し合う展開も十分あり得る。もはや皆で団結というのは諦めるべきなのか。
「こんな話を聞かせといてなんだが……いや、だからか。お前も決断するんだったら、早い方がいいぞ」
看守はちらりと、俺の背後のベッドの下に視線を向ける。別に悪意などないのは分かる。善意からの提案なのだろう。それでもクラスメイトの無念や絶望を思うと、何かするべきではないかという気持ちもある。その役目は俺である必要は無いのかもしれないが。
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