6話 懐胎①
エリノア王女の屋敷に帰った後、グラーネと婚約した事をエリノア王女に伝えた。
独断専行ではあったが、特に反対意見を言われることもなく、グラーネの家臣達も喜んでいた。
それから三週間程経ったある日の事。
俺とマモルは屋敷の中庭で、いつものようにライエルとグラーネから剣術を習っていた。
エリノアの屋敷は四角い造形で真ん中が空洞になっており、そこに庭園が作られている。
ここなら間者のような人間に、外部から覗かれる心配も無い。
散々しごかれた俺とマモルは、現在休憩中。
一度沸かしてから冷やした水を飲みながら、ライエルとグラーネの打ち合いを日陰で見物していた。
二人の腕前は、どうやらグラーネの方が上らしい。
……上、ではあるのだが。
ライエルの名誉の為にも言っておくが、どうしても剣の腕前以外の所で、彼が遅れを取っているのが大きい。
「……だああああっ! 終わり、終わりだ! ったく……テメエら獣人は身体能力が高過ぎだっつうの! はあ……水でも飲むか」
「ふっ。久し振りに手合わせをしたが、お前もちゃんと強くなっている。安心しろ」
「くそっ……俺よりずっと年下の小娘に圧倒された挙げ句、慰められるなんてな……」
ライエルの様子を見るに、今日の稽古は終わりだ。
午後は書庫に行って本でも読もう。
俺が最近読んでいるのは、神能と人能に関係する本だ。
いや、記録と言った方が正しいのか。
特に、人能に関しては念入りに調べている。
神能を所持する人間の行動により、最大三つまで獲得出来るようだ。
例えば、《農耕》という人能。
これは身体能力向上、疲労回復に掛かる時間の減少、そして病気になりにくくなる効果があるらしい。
習得する条件は、ある程度の期間農作業に従事する事。
注目する点は、この人能を持つ者とそうでない者で前者の方が口内の病気、つまり虫歯にかかった人間が圧倒的に少ないという記述。
この世界で医学を学ぶ人間にとって、召喚された人間の体の構造が気にならない訳がない。
場合によっては、死後に解剖され色々と調べられていたのだろう。
そして召喚された人間の中には、医学に通じる人間もいたはず。
俺が読んでいる手記も、そんな彼らが召喚された人間の為に書き残してくれたもの。
本当に、有り難い事だ。
(虫歯になりにくいだけでなく、他にもメリットがある。農耕の人能は、習得する価値が高いな)
マモルは本をあまり読まないので、後で色々教えてやろう。
「そういえば、ライエルさんは何歳なんですか? 僕、ライエルさんの事殆ど知らないからなあ。ね、ソウマ」
「あー。まあ、そうかもな」
グラーネとライエルの為にグラスに水を注いで渡しながら、マモルはライエルに話題を振った。
確かに、ライエルについて俺達が知っているのは名前くらいだ。後は、護衛の仕事をやっている事。
「あん? 俺は今年で二十九だ。ちなみに確かこいつは、今年で十九。……だよな?」
「女の年齢を言いふらすような真似は、関心しないな。くくっ。まあ、十九で合っているが」
グラーネに聞いた話だが、獣人は体の成長が非常に早いそうだ。
獣人の子供が5歳の時、体の方は人間の年齢換算で10歳の大きさまで育つ。
そして獣人の子が10歳になると、人間なら20歳の大きさ。
それなら老化も早いのかというと、そうではないというのだから不思議な話だ。
体の成長はそこで一旦収まり、20代半ばから人間と同じように老化が始まる。
最終的な寿命は人間と変わらないらしい。
「それだけ年の離れた女にボコられたら、腹も立つよな」
「ソウマ、てめえは黙っとけ。……しかしまあ、ソウマはともかくマモルには驚かされたな。勿論、盾の神能が影響してるんだろうが」
「あはは、僕はこういうの全くやってこなかったので……。体が剣と盾に動かされてる感じです。神能の力って凄いんですね」
《盾》の神能の力は、凄まじかった。
俺やエリノア王女が背後にいる状態でマモルが打ち合いをすると、かなりの確率で攻撃を防ぎ、時には反撃さえしてみせた。
中学の時に三年間剣道をやっていた俺など、グラーネとライエルに対して何も出来なかったというのに。
「うむ。マモルはこのまま打ち合いを続けていれば、体の方が神能の力に馴染んでいくだろうな。……ソウマも棒きれのようなものは一応振っていたようだが……まあ、まずは実践的な動きに慣れる事だな」
「はは、言われてやんの」
「ああ。これからどんどん鍛えてくれ、グラーネ」
ライエルにお返しとばかり煽られたが、特に悔しくも無いので適当に流す。
俺は、戦闘に関連する人能も習得する予定なのだ。
今は好きに言わせておけばいい。
「皆さん。稽古が終わりでしたら、あちらで姫様とご歓談なされては如何でしょうか?」
四人で世間話をしていると、エリノア王女の世話をしていたイライザがやってきた。
王女は中庭にある屋根付きのバルコニーで、読書の傍らに俺達の稽古を見物するのが日課のようになっていた。
イライザと同じように王女の世話をしていたアルマが、こっちにおいでよと手招きをしている。
「ま、今日の稽古は終わりだな。姫様とお喋りでもするか」
俺達四人はバルコニーに設置されている長椅子に座った。
汗をかいたまま座っていいものかと少し迷ったが、後で侍女の誰かが清めるだろう。
「皆、ご苦労様です。……二人とも、剣を構える姿が少しずつ様になってきましたね」
席に着くなり、本を閉じた王女様からお褒めの言葉を頂く。マモルは照れくさそうにぺこりとお辞儀をした。
そういえば、マモルはエリノア王女と接する時はいつもどこかぎこちない。
別に恋愛感情という訳ではないのだろうが、他の人間とはスムーズにコミュニケーションを取れている。
どういう感情からくるものなのか聞きたかったが、そこはお互いに多感なお年頃。
そんなのは王族との接し方は他と態度が違って当たり前だ、と言われて話は終わるかも知れない。
まあ、この世界で無事に生き延び、何年か経った後に聞いてみるくらいはいいかもしれない。
「ありがとう、エリノア王女。一応俺もあっちの世界で、三年くらい剣術のようなものを習ってたんだけどな。まあ、それは一旦忘れる事にするよ」
勿論、剣道を馬鹿にしている訳ではない。
この世界での打ち合いは蹴りや盾を用いた攻撃等なんでもあり、殺し合いを想定したものだ。
スポーツ精神やフェアプレーのようなものをいつまでも持っていると、自らの命を危険に晒す事になる。
「ソウマ、そう自虐する事もないぞ。マモルと違い、お前の剣の振りには鋭さがある。お前がやっていた剣は身体的、精神的な修養の為のものなのだろう? なら後は簡単だ。こちらの世界に適応すればいいだけの事」
「……それはまあ、確かに思ったな。こいつ、剣を振るのだけは悪くない」
グラーネとライエル、二人の師匠に褒められてしまった。
だが、褒められるのはあまり慣れていない。さくっと話題を変えさせてもらう。
「折角みんなで集まってるんだ、剣の話はいいだろ。ところで気になっていた事があったんだが、アルマやイライザみたいな侍女の皆は貴族出身だったりするのか? やっぱり」
その辺りの事情を紹介している本を読んだことがあるが、王族に使える侍女は特にそういうケースが多かったらしい。
「おや、ソウマくんはあまり褒められるのは慣れてないのかな? ま、優しいお姉さんが話題に乗ってあげよう。そうだね、私とイライザとエメリンの家は貴族だよ」
「へえ。って事は、ウルスラの家は貴族ではないのか」
「うーん……。まあ、あの子は事情が複雑だから。ウルスラとソウマ君が仲良くなったら、教えてくれるかも」
「俺とウルスラが仲良く? 有り得ないだろ……」
「あの子については、私も時々手を焼くことがあります。悪い子ではないのですけどね……」
雇い主の王女ですら、この口ぶりなのだ。
もはや、俺が無理に歩み寄る必要はない。
「……そういえば、マモルさん。この前、ウルスラと剣の稽古をしていらっしゃいましたね」
イライザから、衝撃の事実を聞かされる。
それを聞いたエリノア王女も、そんなまさかというような表情を見せていた。
「えっ!? イライザ、それ本当? ちょっと想像つかないなー……」
「私も驚いたので、仕事をしつつ様子を見ていたの。なんだか楽しそうにしていたわ」
同僚のアルマですら、そんなの信じられないという様子。
どこまで人たらしなんだ、マモル。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
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