5話 獣人の女、グラーネ①
「ソウマ。今日はこの後、予定はありますか? 行きたいところがあるのですが」
種馬として最初の仕事を終えた、次の朝。
朝食を食べている最中、エリノア王女からのお誘いがあった。
ちなみに、朝食の席に着いているのは俺とエリノア王女の二人のみ。
他には侍女のイライザとエメリンが、俺達の世話をするために控えている。
いつもいるはずのライエルとマモルは、なんと娼館からの朝帰り。
散々飲んで遊んで、帰ってくるとそのまま眠ってしまったらしい。
まさか同じ日にマモルも大人になっていたとは。
からかってやりたかったが、俺の立場を考えると何も言えない。心の中でおめでとうと言っておく。
「いや。特に予定は無いよ、エリノア王女。俺もついて行って大丈夫なのか? その、俺は密入国したようなものだしさ。あまり人に見られない方がいいような……」
「その辺りも、近いうちに解決させるので安心して下さい。今日向かう場所についてですが、ウェヌスの神殿です。殆ど人が訪れない場所なので、問題ないかと」
ウェヌス。確か俺達の世界だと、ヴィーナスのラテン語読みだったはず。
偶然、という事はないだろう。
前に召喚された人間が、神として広めたのかもしれない。
「ウェヌスの神殿は、私の友人が管理しているの。ちょっと変わり者だけど、面白い女性よ。きっと、貴方も彼女の事を気に入ると思うわ」
「なるほど。一緒にお祈りに行こうってことか」
「……失念していました。もし貴方に信じる神がいたとして、教義に反するのであれば無理強いはしません」
「そういうのは特に無いよ。気晴らしになるし、連れて行ってくれ」
「それは良かったです。では朝食の後に少し休んでから、私とソウマ、ライエルの三人で行きましょうか」
朝帰りのライエルが護衛として使えるか疑問だが、まあいないよりはマシだろう。
馬車くらいは扱えるはずだ。
「姫様。差し出がましいことを申しますが、どうか護衛の一人として是非私を。その……今のライエル隊長はいざという時、満足に戦えないかと」
俺の不安はイライザの提案により和らいだ。
「ふふっ、そうね。お願いするわ、イライザ。それと、もう少ししたらライエルを起こしに行ってもらえるかしら」
「かしこまりました」
恭しく頭をさげるイライザ。とても洗練された動作で、見ていて気持ちがいい。
「姫様、ソウマ様。食後のコーヒーをどうぞ~」
あらかた食事を終えた所で、エメリンがコーヒーを淹れてくれた。
厨房での仕事が主な仕事のせいか、彼女の所作はどこかたどたどしかった。
例えるなら、小さい子供が母親の手伝いをしているのを見ているかのよう。
そんな、微笑ましい気持ちを抱いてしまった。
(……いや。成人している女性に対して、こういう気持ちを持つのは失礼じゃ無いか?)
ちらりと、エリノア王女の様子を窺う。
俺と同じ気持ちで見ているのが、ばればれだった。
朝食を食べてから二時間程経った後。
馬車で出発して30分ほどの距離にウェヌスの神殿はあった。
今現在、神殿内にいるのは俺とエリノア王女、ライエル、イライザの四人だけ。
「へえ、なかなかいい場所だな」
少し埃っぽさはあるが、神殿内の装飾も派手過ぎず落ち着いた雰囲気。
ウェヌスの像らしきものが奥に鎮座しているが、やはり教科書で見たヴィーナスとどこか似ていた。
「そうでしょう? この神殿が作られた経緯としては、こんな由来があるらしく……」
この国で療養している間に、マールの歴史に関係する本を読み漁ったのだろう。
神殿が作られた理由、ウェヌスの像を造った人物、その流れからマールで信仰されている神に関して。
エリノア王女のそれはもう、止まらなかった。
蓄えられた知識が愛らしい口から溢れ、俺達を圧倒する。
ライエルとイライザはいつもの事と慣れているのか、涼しい顔で聞き流していた。
(これは俗に言う、歴史オタクってやつなのか)
ここに来たことを少し後悔しつつも、二人に倣い心を無にして耐え凌ぐ。
「……姫様。そろそろ、お祈りをされては如何でしょうか?」
「えっ? あっ、そうね、ごめんなさい。私ったら、つい長話をしてしまったわ。さあ、ソウマ。こっちよ」
(イライザ、いい仕事だ!)
ようやく本来の目的を果たすことが出来る。
ウェヌスの像の前にエリノア王女が立ち、手を握り祈りを捧げる。
俺も王女と同じように、祈りを捧げた。
高校の授業の一環で美術館に行った時のことを思い出す。
ウェヌス、つまりヴィーナスは愛と美を司る女神として有名だ。
豊穣や多産の女神として信仰される事もある。確か、そんな説明を受けた記憶がある。
ここに祈りを捧げに来たというのは、そういうことなのだろう。
身籠り、無事に生まれてきてくれるのを祈るばかりだ。
恐らく、父親と名乗ることは出来ないとしても。
「……さて、ウェヌス様に祈りを捧げることも出来ました。それでは帰りましょうか」
「ああ。それに、なかなか興味深い話を聞く事が出来たよ」
「ソウマはマールの歴史に興味があるのですか? 良かったら、今度色々聞かせてあげましょうか」
社交辞令のつもりだったが、やぶ蛇だった。
しかし今後、俺とマモルはマール連邦で生活する事になると思う。
ならばこの国について、ある程度の知識はあった方がいい。
それに、肝心な事柄についての知識があまり得られていないのだ。
エリノア王女なら、それが可能かもしれない。
「エリノア王女。君は神柱石や神能、人能に関する書物を所蔵しているかな? この世界で生き抜く為に、その辺りの情報が欲しい」
「……確かに貴方達にとって、必要な情報ですね。中にはかなり貴重な蔵書もあるので、本の扱い方を覚えて貰えれば構いませんよ」
「ありがとう。よし、それじゃ今度こそ帰ろう……ライエル、どうした?」
まだ酒が抜けきっていなかったライエルが、険しい表情で神殿の入り口を見据えていた。
「……イライザ、聞こえたか?」
「……はい。何者かが神殿に入ってきたようです」
二人のやりとりを聞いた途端、神殿内の温度が下がったような感覚を覚えた。
だがそれは俺の脂汗によるものだと思い直し、気を引き締める。
「……すみません。私が長話をしたせいですね」
「いえ、エリノア王女。むしろ開けた場所よりは、ここの方が戦いやすいってもんです。外の場合、四方から矢で狙われたらどうしようもないので」
「ライエルさん、入り口近くに陣取りますか?」
剣を抜き、盾を構えるライエル。
イライザも盾を構え、腰に下げていたメイスを持って身構える。
荒事に慣れている二人と違い、俺に出来る事は何も無い。
そこらにある長椅子を使って、バリケードを作るのを手伝うくらいか。
だが、刺客と思わしき相手について気になる事がある。
「……なあ、ライエル。相手は本当に俺達を殺すつもりなのか?」
「はあ? おいソウマ、てめえ寝ぼけたこといってんじゃ……」
「いや、俺は寝ぼけてなんかない。お前の言ったとおりさ。俺達を殺すつもりなら、外で待ち伏せして殺せばいい。わざわざライエルやイライザみたいな手練れに気取られるリスクを冒して、神殿内に入りこちらの様子を窺う。刺客としては間抜けもいいところじゃないか?」
「……確かに、一理ありますね。ですが、刺客では無く間者の可能性もあります」
イライザの考えも十分にあり得る。どちらの可能性も考えて行動すべきだ。
「なら、ソウマ。相手が刺客じゃなく間者か何かだった場合、お前はどうする?」
ライエルは試すような目で俺を見ている。
ある種の実地訓練のようなものと考え、答える事にした。
「こういう事態は初めてだが、とりあえず大声で相手に呼びかけてみていいか?」
「……いいぞ、試しにやってみろ」
ライエルの許可も貰ったので、大声で侵入者に呼びかける。
「なあ、そこのあんた! あんたに俺達をどうこうするつもりがないなら、顔を見せてくれないか! 俺達の情報が欲しいなら、ここには祈りに来ただけだ! またの機会と思って、どうかこのまま帰って欲しい! 帰る場合は石を投げるなりして、合図をしてくれ!」
頼む、このまま無事に帰らせてくれ。
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