1話 召喚、そして牢獄へ①
それは自分に起こっていることが現実なのか、ぼんやりした頭で思いを巡らせている最中の事だった。目の前の男の息を呑む音が聞こえた気がして、不思議に思った俺は顔を上げた。
「た、た、種馬!! こやつの神能は種馬です!!!」
「……はあ?」
神殿の中に響き渡る神官の声。今までの厳かな雰囲気は、一瞬にして霧散した。呆然とするクラスメイト。俺に対して驚愕や侮蔑の視線を向ける他の神官、貴族達、俺を取り囲む僧兵達。
この流れは良くない。いや、俺が何を言おうが何をやろうが、もう遅いのか。
僧兵に拘束されながら、俺は自分とクラスメイト達に起きたことを思い返す。ただの現実逃避にしかならないと分かっていても、出来るのはそれくらいしかないのだから。
――高校三年の昼下がり。昼食を食べ終え、午後の授業が始まるのをクラスメイト達と談笑しながら待っていた時だった。
突然、教室の床が淡く発光し始め、魔法陣のようなものが浮かび上がってきたのだ。急いで教室から出るべきか、そう考えた時にはもう遅かった。
辺りは草原、目の前には巨大なクリスタルの柱。俺とクラスメイト、総勢36名はそれを囲むように尻餅をついていた。そして、俺達を包囲するように配置された鎧に身を包んだ兵士達。暫くの間中世を舞台にした映画の世界のようだと呆けていた。
兵の隊列の間から高そうな服に身を纏った、40代くらいの男が二人の護衛を従えて俺達に近づいてきた。
その男が言葉を話し始めた時の驚きは、他のクラスメイト達も同様だっただろう。初めて聞いた言語であるにも関わらず、言葉が正確に理解できたからだ。
試しに頭の中で簡単な例文を作ってみたが、容易かった。だが初めて触れた言語なので、発音しようとすると途端に拙いものになってしまう。
話をまとめると、こういうことらしい。まず一つ目は現在、俺たちがいる場所はリヒトブリック王国という国であるということ。
二つ目は、俺たちはこの近くにそびえたつ巨大なクリスタル、神柱石によって召喚されたということ。
三つ目は、神柱石によって召喚された人間は神能しんのうという特別な能力を一つ与えられ、人能という能力を三つ、本人の行動によって獲得する事が出来るということ。
四つ目は、それらの能力を使ってこの国、この世界の発展に協力してほしい、との事だった。
俺は勿論、クラスメイト達もあまりに現実離れした話を聞かされ困惑するしかない。せめてもう少し現状の把握をと、幾人かが辿々しい言葉で質問をした。
しかし男は聞き流すばかりで、肝心な質問には答えてくれなかった。元の世界には帰れるのか。全員不自由なく暮らして行けるのか。
不安と苛立ちを抱えたまま俺達は五台の荷馬車に詰め込まれ、移動させられた。
そして着いた先は大きな神殿。俺達は神殿の奥に安置してあった水晶玉で、どんな神能を持っているのか調べられていた――
(……で、こうして牢屋にぶち込まれたというわけか)
胡座をかき、目を閉じて思考する。拘束され、荷馬車に揺られ行き着いた先は高さ30メートル程の塔。兵達の会話を盗み聞きしていたが、どうやらここは罪を犯した貴族や王族、政治犯等を収容する牢獄塔らしい。
何故だ? なんでこうなる。種馬の神能とやらのせいなのか。でも、それなら。
(……盗賊とか詐欺師もいたよな? あいつらはOKで、俺が駄目な理由は?)
誤解しないで欲しい。別にあいつらだけズルいとか、そういう事が言いたいんじゃない。クラスメイト全員と仲が良かった訳じゃないが、こんな理不尽な目に合うのは俺だけで十分だ。
いや、俺も聖人君子というわけではないので、こんな役目は勘弁してもらいたい所ではあるのだが。
(はあ。この格好……完全に囚人じゃないか。制服よりゆったりしてて過ごしやすいとはいえ、気が滅入るな。手枷も足枷もないだけマシだと思うべきか?)
移動中は拘束されていたが、牢屋の中で解放され、囚人服に着替えさせられた。制服もスマホも没収されてしまった。だがまあ、制服も当然だが、電波も届かない場所でスマホなど役に立たない。
(いやいや、待てよ。俺のスマホには音楽は勿論、秘蔵の画像や動画が沢山あったんだ。はあ、節約して三日くらいか。スマホがあれば、バッテリーが切れるまでは楽しめたのかな。いや、もしかしたら使い道が分からないから後で返してくれるって可能性も……)
過ぎたこと、起こりうる可能性がない事さえも、うだうだと考えてしまう。いつもの自分なら考えられないことだ。
嫌なことがあったら忘れる、切り替える。そうやって生きてきたのが俺なりの処世術のつもりだった。
「……それしか出来ないんだから、しょうがないじゃないか」
そう呟き、目を開く。鉄格子が現実を押し付けてくる。俺を見ろ、俺を受け入れろと言っているかのように。
――ああ。なるほど。
(これが挫折感ってやつか。流され続けて、逃げ続けてきた俺にはなかなか辛い感情だな)
就職、恋愛、学校生活。なんでもいいが、挫折の果てに自ら命を絶つ人をニュースで目にするのは特に珍しい事ではない。時には、まだ若いのに何故という気持ちを抱いたりもしていた。
(本当に逃げ場がないと感じると、そういう気持ちになるものなんだな)
逃げられない。終わりにしたい。じゃあ、終わりにしよう。
なら、どうやって?
自分の中に今まで経験したことの無い負の念が渦巻いているのが分かる。彼らの手招きに、誘惑に乗ってしまいそうになる後ほんの少しところで、俺は。
(駄目だ。このままじゃ確実に頭がおかしくなる。……とりあえず休もう)
出来の悪そうなベッドに倒れ込み、目を閉じた。
いつの間にか眠っていたらしく、辺りは暗くなり始めていた。食べ物の匂いがする。俺が寝ている間に、鉄格子の下の隙間から夕食が配給されていたようだ。
トレイの上にあるのはパンと冷めたスープと、ほんの少しの水。当たり前だが、いくら食が細い俺でも量が全然足りない。
確か、よく噛んで食べると満腹感が持続すると何かのテレビで見たような気がする。定期的に食事が運ばれてくるとは限らないので、なるべく丁寧に食べたほうが良さそうか。
(……あっという間に無くなったな)
腹も一応膨れた。特にやることも無いので、スプーンの柄の部分で壁にカレンダー代わりに印を付けておいた。
牢屋の隅にあるトイレのようなものはなるべく見ないようにしつつ、ベッドに横になり毛布の中で丸くなる。
食事をしてすぐに横になると体に良くないと聞いたことがあるが、既にこの状況そのものが体にも心にも良くない。なので、気にしないことにする。
これからどうなる?
ある程度は脳に栄養も供給できたので、今後の自分について考えを巡らせる。
まず、簡単に思いつくのは二つ。一つ目はまあ、無難に処刑。絞首刑、ギロチン、火炙り、引き裂き等。最悪でもあり、そしてある意味救いともなりうる終わり方。
正直、この世界で俺達がまともに生きられるかは疑問だ。彼らが関心を持っているのは、あくまで俺達の神能でしかない。
進学、就職、恋愛、結婚。多感な高校生の人生設計など知るはずもないのだ。使えないのであれば廃棄され、邪魔になれば俺のような目に遭う。
それなら、早いうちにこの世界から退場するのもそんなに悪くないのかもしれない。他のみんなはともかく、俺は予め覚悟を決めておくべきだろう。
その時になって泣き喚いたところで結果は変わらないし、俺の無様な姿を見て愉快な気持ちになる奴がいると思うと、なんとなく腹が立つ。せめてなるべく痛くない処刑方法であることを祈るばかりだ。
二つ目の可能性としては、拘束されているのは一時的なものであるという事。
このリヒトブリック王国を動かしている人間達の中で、俺の処遇に関して今現在も話し合いが行われているという可能性。
余りに楽観的過ぎるために正直考えるのも馬鹿馬鹿しいが、そもそも拘束されたのも何かの間違い、誤解という可能性もゼロではない。
(いや、まあ、ね。だって種馬だぜ? どんな悪さが出来るっていうんだよ)
苦笑いするしかない。不可解この上ないが、実際に俺は種馬の神能を持っているというだけで捕まってしまった。少なくとも、現時点で俺はこの世界にとって悪になりうる存在だと認識されているのだろう。
「……はあ」
もうそろそろこの時間も非生産的だなと思い始めたところで、ぷつりと思考するのをやめた。
毛布から顔を出すと、辺りはもう完全な闇だった。一応部屋には鉄格子付きではあるが窓があり、木製の引き戸が内側に付いている。自由に開け締め出来るので、月明かりなら拝める。
しかし、牢屋の中の気温も下がってしまうので開けない方がいいだろう。この環境で風邪を引いてしまったら命に関わる。俺は瞼を閉じ、眠りに落ちた。ただの疲労から来る眠りは、人生で始めての経験だった。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
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