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落語【声劇台本書き起こし】

古典落語「鼻捩じ(となりの桜)」【江戸落語版】

作者: 霧夜シオン


古典落語「鼻捩はなねじ(となりの桜)」【江戸落語版】


台本化:霧夜シオン


所要時間:約25分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (3:1:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


定吉:商家しょうか丁稚でっち

   口は達者たっしゃだが、教えられた口上こうじょうを覚えられなかったりと、

   物覚えの良くない部分も。


大旦那:商家しょうか旦那だんな様。

    自分の庭の桜の枝が、隣の家の学者に折られているのに腹を立て

    、丁稚でっち定吉さだきちに文句を言いにやらせる。


学者:商家しょうかの隣にきょを構えて、漢学を教えている。

   頭はいいようだが、それにありがちな態度をとる。


番頭:商家しょうか番頭ばんとう忠義者ちゅうぎもので旦那のかたきを討つべく策を巡らせる。


芸者:番頭ばんとう商家しょうかに招いた行きつけの店の芸者。


生徒:学者の生徒。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


定吉・生徒:

大旦那・学者:

番頭:

枕・語り・芸者:




枕:皆さんは花見は好きでしょうか。

  桜の木の下で敷物しきものを広げ、弁当を広げ、話の輪を広げる。

  昭和の昔からコロナが訪れるまでの間、毎年当たり前のように

  見られた光景でした。

  企業ともなると、良い場所を確保するために新人社員を派遣して

  場所取り…なんて光景もよく見られたものでございます。

  しかし、桜の周りに座れる人数というものは当然ながら限界がある

  わけで、なんとしても良い場所を確保するべく、二週間も前から

  大きなブルーシートを二枚も敷いて公共の迷惑になったという、

  そんな問題も起こったものです。

  対して自宅に咲いてる桜だったら、誰に遠慮する事もなく、

  堂々と花見が楽しめるわけですが、

  まあこれも、全ての家に桜が咲いてるわけでは無し、

  ましてや庭すらない家も多々あるわけで。

  そもそも花見なんか興味ない…ともなったら、これは花も実も、

  ついでに言うとふたもないなんて事になる。

  とまあ、そんなわけで自宅に桜があるなら場所取りの必要は

  なくなるわけですが、これが家と家の境界線上に桜がわってると

  、新たな問題が生じて来るようで。


大旦那:これ定吉さだきち…。

    定吉さだきちはおらんか?

    定吉さだきちっ!


定吉:まただよ、また呼んでるよ…。

   ここのうちほど人使いの荒いうちはないよ。

   朝から晩まで定吉さだきち定吉さだきちってさ…。

   丁稚でっちは使わないと損するとでも思ってるんだな。

   これ人間だからもってるんだよ。

   すりこぎだったらもうだいぶすり減って、

   雑巾だったらとうにボロボロだよ。


大旦那:定吉さだきちはおらんのか?


定吉:まぁだ呼んでるよ…あ、そうだ。

   今日はいっぺん、何べん呼ぶか勘定かんじょうしてみよ。


大旦那:定吉さだきち…!


定吉:これで五へん目だ…。


大旦那:定吉さだきちィッッ!!


定吉:【走りながら返事】

   ひぇぇぇぇいッッ、ぺぃっ。


大旦那:なんという返事をするんだ。

    最前から人が声を枯らして百ぺんも呼んでるというのに、

    なんですぐに返事をしないんだ。


定吉:へへ、旦那だんな様、

   噓つきは盗人ぬすっとの始まりですな。


大旦那:そうだ、噓つきは盗人ぬすっとの始まりだ。

    それがどうしたんだ。


定吉:なら旦那だんな様も、ちょいと盗人ぬすっとがありますな。


大旦那:なに言ってるんだ。

    わしのどこが盗人ぬすっとだというんだ。


定吉:旦那だんな様さっき、最前から声枯らして百ぺんも呼んでるって

   言ってましたよね。

   まだ六ぺんしか呼んでません。


大旦那:数を勘定かんじょうしてるのかこいつは。

    本当にしかたの無い奴だ。

    だんだんだんだん体ばっかり大きくなりおって。


定吉:なにおっしゃってるんですか。

   だんだんだんだん大きくなるから、大人になるんです。

   だんだんだんだん小さくなったら、しまいにはなくなってしまいま

   すよ。

   それともだんだん小さくなるのがお好きだったら、

   ろうそくに火をともしてご覧になったら、だんだん小さくなりますか

   らーー


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    ~~本当に理屈だけは一人前だな!


定吉:めしは二人前です!


大旦那:殴るぞ!


定吉:逃げるぞ!


大旦那:~~まるで掛け合いだな本当に…。

    あーこれからな、隣に使いに行ってきてくれ。


定吉:お使い…またですか?


大旦那:また?

    またなどと言うやつがあるか。

    丁稚でっちと言うものはな、使われて大きくなるんだ。


定吉:そうそう、丁稚でっちは使われて大きくなります。

   お金は使ったら減りますな。

   旦那だんな様は経済家けいざいかですから、使ったら減るお金はちょいとも

   使わずに、丁稚でっちばかり使いやがる。


大旦那:使いやがるとはどういうことだ、まったく…。

    これからな、東隣ひがしどなりへ行ってきなさい。


定吉:東隣ひがしどなりと言うと、漢学かんがくの学問の先生のとこですか?


大旦那:何が先生だ、あんなの。

    わたしはね、もうムカムカ腹が立って腹が立ってしょうがない。


定吉:それはまた、なんでです?


大旦那:今朝がたな、裏庭へ出てみると、昨日今日きのうきょう咲きめた桜がな

    パラパラ散り始めてるんだ。

    これはおかしい、散るにはまだ早いはずだと思ってよく見るとな

    、あの隣の学者、裏の高塀たかべい梯子はしごを掛けて、うちの大事な桜の枝

    をボキボキボキボキ折ってるんだ。

    

    ひと言文句を言ってやろうと思って行きかけるとな、

    スーッと降りていってしまったんだ。

    だからお前が今から談判に行くんだ。

    ところが相手は学者だからな、げ足を取られないように、

    じゅうぶん言葉に気をつけて言うんだぞ。


定吉:はぁ、どう言えばいいんです?


大旦那:「こんにちわ、結構なお天気でございますな。

    わたくしは隣家りんか大橋おおはしから参りました。

    罪咎(つみとが)のない桜、なぜお折りになりました?

    ご入用いりようなれば隣家りんか様のことゆえ、根引ねびきにでもして差し上げます

    。

    無沙汰ぶさたで折るとはそのを得ません。

    言語道断ごんごどうだん落花狼藉らっかろうぜきでございます。

    あなた様も「のたまわく」の一つもお学びになった方に似合わぬ

    仕儀しぎでございます。

    ご返事を頂戴ちょうだいして参ります。」

    …と、これだけ言ってきなさい。


定吉:それ、誰が言いますので?


大旦那:誰が言いますのでって、お前が言うんだ。


定吉:今日じゅうに?


大旦那:当たり前だ、こんなの何日もかけて言ってどうするんだ。


定吉:いやぁとてもじゃないけど無理です。


大旦那:他人事ひとごとみたいに言ってるな、本当に…。

    しょうがないな…分かった。

    なら、口移ししようか。


定吉:な、何でございます?


大旦那:お前とわしとで、口移しするんだ。


定吉:へ?旦那だんな様と、あたいが、今ここで、口移し……?

   す、助平すけべいだなぁ…!

   け、けどしょうがないや。

   【両手を広げて目を閉じて】

   …どうぞ。


大旦那:なにを考えてるんだ。

    わしの言うとおり真似まねをして、そのあいだに覚える。

    それが口移しだ。


定吉:あぁ、そうだったんですかぁ。

   あたいもいよいよみさおが守れないのかと、

   一時はどうなるかと思って、ドキドキしちゃった。

   なら、旦那だんな様のおっしゃるとおりに言えばいいんですね?


大旦那:そういうことだ。


定吉:それなら、おっしゃってください。


大旦那:「こんにちわ、結構なお天気でございますな」と。


定吉:ここ、こんにちわ、結構なお天気でございますなぁ、と。


大旦那:いやいや、そんなとこに「と」はらんぞ。


定吉:いやいや、そんなとこに「と」はらんぞ。


大旦那:いや、違うぞ。


定吉:いや、違うぞ。


大旦那:わしはな、お前に口上こうじょうを教えてるんだぞ。


定吉:わしはな、お前に口上こうじょうを教えてるんだぞ。


大旦那:教えてるのはわしだぞ。


定吉:教えてるのはわしだぞ。


大旦那:ははぁ、さては主人をなぶる気だな?


定吉:ははぁ、さては主人をなぶる気だな?


大旦那:なぶってるのはお前だ。


定吉:なぶってるのはお前だ。


大旦那:しまいには殴るぞ。


定吉:しまいには殴るぞ。


大旦那:主人に向かって殴るぞとは何事だ。


定吉:主人に向かって殴るぞとは何事だ。


大旦那:えぇい、本当に腹が立つな、このガキ!【叩くSEあれば】


定吉:えぇい、本当に腹が立つな、このガキ!【叩くSEあれば】


大旦那:痛ッ!

    なっ何をするんだ!


定吉:旦那だんな様、口移しって面白いですねえ。

   しまいには頭の殴り合いをするんですか?


大旦那:そんなバカな事があるか!痛たた…。

    お前、いったい何で殴ったんだ?


定吉:いや、旦那だんな様キセルで殴ったでしょ。

   あたいはキセル持ってないですから、

   ここにあった火箸ひばし使いました。


大旦那:火箸ひばし!?

    なんてものを使うんだ、まったく。

    もう一ぺん初めからやり直しだ、いいか?

    「こんにちわ、結構なお天気でございますな。」


定吉:こ、こんにちわ、結構なお天気でございますな。


大旦那:そうだ、それでいいんだ。


定吉:そうだ、それでいいんだ。


大旦那:それを言うからややこしくなるんだ。

    口上こうじょうだけ言いなさい。

    「わたくしは、隣家りんか大橋おおはしから参りました。」


定吉:わたくしは悋気(りんき)のーー


大旦那:いや、悋気りんきじゃない、隣家りんかだ。


定吉:隣家りんかって、何です?


大旦那:隣りのうちだから隣家りんかだな。


定吉:それなら初めから、隣りのうちでいいじゃないですか。


大旦那:ところが相手は学者だからな、

    ちょいとひねってやるんだ。


定吉:ひねったら痛がりますか?


大旦那:本当にひねるわけじゃない、言葉の上でひねるんだ。

    「わたくしは、隣家りんか大橋おおはしから参りました。」


定吉:わたくしは、隣家りんか大橋おおはしさんから参りました。


大旦那:違う違う。

    「大橋おおはしから、参りました。」


定吉:大橋おおはしさんから、参りました。


大旦那:バカだねお前は。

    何で「さん」を付けるんだ。

    隣へ行って、先様さきさまの前で自分の主人にさんを付けて言ったら

    失礼だぞ。

    大橋おおはしと、呼び捨てにしなさい。


定吉:だけど、奉公してる店のご主人を「大橋おおはし」だなんて

   呼び捨てにしたら、ばちが当たって口がゆがんじゃいますよ。


大旦那:そんなこと、今まで言ったことないだろ。

    今日はかまわない。


定吉:え、だったら今日は、大橋おおはしで、よろしいんですか?


大旦那:おかしな念を押したな…。

    そうだ、今日は大橋おおはしでいい。


定吉:へへへそうかぁ、大橋おおはし


大旦那:何が大橋おおはしだ。


定吉:だからあたいが大橋おおはしって呼んだらいけないって言ってるのに、

   大橋おおはし大橋おおはしって言ってもいいって言ったから、

   大橋おおはしって呼んだんじゃないですか。

   それを大橋おおはしが怒ったらダメじゃないですか大橋おおはし

   そうでしょう?なぁ大橋おおはし

   大橋おおはしもこのごろ頭がうすくなってきましたなぁ。

   大橋おおはし、ちょいと喉がかわいたから、お茶煎れてくれ。

   おい、大橋おおはし


大旦那:うるさいな、大橋おおはし大橋おおはしって何べん言うんだ。

    しかも主人をあごで使おうとはとんでもない奴だ。

    ここで言うんじゃなくて、向こうへ行って言いなさい。

    「わたくしは隣家りんか大橋おおはしから参りました。」


定吉:わたくしは隣家りんか大橋おおはしから参りました。


大旦那:「罪咎つみとがのない桜、なぜお折りになりました?」


定吉:罪咎つみとがのない桜、なぜお折りになりました?


大旦那:「ご入用いりようなれば隣家りんか様のことゆえ、根引ねびきにでもして差し上げま

    す。」


定吉:ご入用いりようなれば隣家りんか様のことゆえ、根引ねびきにでもして差し上げます。


大旦那:「無沙汰ぶさたで折るとはそのを得ません。

    言語道断ごんごどうだん落花狼藉らっかろうぜきでございます。」


定吉:無沙汰ぶさたで折るとはそのを得ません。

   今後どうなん?やっぱ同人でございます。


大旦那:何だその、やっぱ同人てのは。

    まぁ、同人ものは企業ものには無い強味つよみがーー

    って何を言わせるんだ。

    言語道断ごんごどうだん落花狼藉らっかろうぜきだ。


定吉:ら、らら、ら…らっかろうぜき、て何です?


大旦那:まぁ早い話が

    「桜の枝折りやがって、この盗人ぬすっとめ!」

    と言う所だ。


定吉:なら初めから、桜の枝を折りやがって、この盗人ぬすっとめ!

   て言ったらいいじゃないですか。


大旦那:ところが相手が学者だからな、ちょいとひねってやるんだ。


定吉:ずいぶんとひねりますなぁ。


大旦那:「あなた様も「のたまわく」のひとつもお学びになっ

    た方に似合わぬ仕儀しぎにございます。」


定吉:あなた様も、火の玉転がしたお方に似合わぬーー


大旦那:そんな危ない人がどこにいるんだ。

    火の玉なんか転がしてどうする。

    「しのたまわく」だ。


定吉:し、しし、のたまわく、って何です、それ?


大旦那:これはな、漢学かんがくの学問だ。


定吉:それなら初めから「漢学かんがくの学問」て言ったら

   よろしいじゃないですか。


大旦那:ところが相手が学者だからなーー


定吉:ちょいとひねってやるんですか?


大旦那:お前が言ってどうするんだ、まったく…。

    早く先方せんぽう行って、返事もらってきなさい。


定吉:へ~~いっ。


   【二拍】


   とうとう怒りやがったよ…。

   あたいが物覚えが悪いところへ、

   旦那だんな様んが気が短いときてるからなぁ。

   しまいに頭から湯気ゆげを出して怒ってたし。

   それだから皆が、かげでヤカンヤカン言うんだ。

   ……着いた、ここだな。


   えぇこんちわぁ~っ。


学者:どぉ~れ……。

   おぉ、誰かと思ったら、隣家りんか丁稚でっちではないか!


定吉:え~こんちわぁ、結構なお天気でございますな。


学者:あぁいかにも、誠に良い天気だな!


定吉:え~、え~…、この分だと明日もいい天気でしょうな。


学者:うむ、天気は何日続いてもいいものだ!


定吉:けど明後日あたりは危ない。


学者:何の話だ、天気をしらせに来たのか!?


定吉:ち、違いますよ。

   そちらが大きな声でわーっと言うもんだから、

   あたいはドキンとして言う事を忘れてしまうんです。

   ちょいと黙っててもらえますか?


   え~、わ、わたくしは隣家りんか大橋おおはしから参りました。


学者:そんなことは分かっておる!


定吉:い、いや、だから、もぉ~、ちょっと静かにしてくださいって。

   間違っちゃいますから。


   【たどたどしく】

   ぇ~つ、つ、つ、罪咎つみとがのない桜、なぜお折りになりました?

   ご入用いりようなれば隣家りんか様のことゆえ、根引ねびきにでもして差し上げます。

   無沙汰ぶさたで折るとはそのを得ません。

   今後どうなん?やっぱ同人でございます。

   あなた様も火の玉転がして、熱い熱い。


学者:何のことだ、お前の言ってる事さっぱり分からんな。


定吉:分からない?分かりませんよね?やっぱり?

   そりゃ分かりませんよ、そちら、だいぶひねられてますから。

   じゃあ分かりやすく言いますよ。

   つまりね、「桜の枝折りやがって、この盗人ぬすっとめ!」と、

   こう言うことなんです。


学者:何かと思ったらそんなことか。

   帰ってお前の分からず屋のあるじにこう申せ。

   「裏の高塀たかべい隣家りんか拙宅せったくとの境界線である。

   その境界線を無断で突破いたしたる桜の枝の処分については、

   当方とうほう心任こころまかせ。」

   帰ってそう申せ!


定吉:…あの、ご、ご返事を頂戴ちょうだいして参ります。


学者:今のが返事だ。


定吉:えぇ?今のが返事?

   こっちがちょいとひねったら、またずいぶんとひねり返して

   きましたなぁ。しかも長いし。

   もうちょっとこう、短いのありません?


学者:ひもでも買うように申すな。

   あるじあるじなら家来けらい家来けらいだ…。

   よし分かった、書いてやる。

   手数てすうのかかる奴め……。


   【二拍】


   さ、これを持って帰れ。


定吉:これが受取…領収書ですか?


学者:受取などと言う奴があるか!

   とっとと持って帰れッ!


定吉:へぇぇぇいっ!


   …だんだん々面白くなってきたぞ。

   こっちがちょいとひねったら、ずいぶんとひねり返してきたなあ。

   こりゃ向こうのほうがだいぶ上手(うわて)だよ。


   【二拍】


   旦那だんな様、ただ今戻りました!


大旦那:おぉ定吉さだきちか、ご苦労ご苦労。

    こっちへ来なさい。


    どうだった?

    向こうも自分に落ち度があるもんだから、

    両手をついて、平謝ひらあやまりに謝っただろ?


定吉:いやいやなかなか…、

   謝るどころかえらい剣幕けんまくでした。


大旦那:えらい剣幕けんまくって…怒ってたのか?


定吉:怒ってましたよぉ…。

   こう言ってました。


   このごろの丁稚でっち使いが荒すぎる。

   何でそんなに定吉さだきちばっかり使うんだ。

   ほかに亀吉かめきちとか留吉とめきちとかいるだろうが。

   他の丁稚でっちも使ったらどうなんだ!て。


大旦那:そんなに言ってたのか?


定吉:えぇ言ってました。

   それだけじゃなくて、まだ言ってましたよ。


   このごろオカズが悪すぎる。

   もうボチボチ竹の子も出てるんだから、

   ワカメと煮て食べさせたらいいじゃないか!て。


大旦那:あの学者、うちのおかずにまで文句を言ってるのか?


定吉:そりゃああたいの分です。


大旦那:お前のことはどうでもいいんだよ。

    それで、むこうはどう言ってたんだ?


定吉:あ、それでしたら、これが領収書です。


大旦那:領収書などと言うやつがあるか。

    なるほど、相手は学者だな。

    自分に落ち度があって、子供に手をついて謝るのはくやしいと

    いうので、謝り証文しょうもんでも書いてよこしたんだろ。

    いやいや、それなら許してやらんこともないが……、

    そうかそうか、こういうものを書いてよこしたか。

    どれ、眼鏡めがねかけてじっくり読ましてもらおうかな。

    なになに…、


    塀越へいごしに、隣りの庭へ出た花は、じょと手折たおろとこちら任せ

    …?


    ッなんだこれは!

    謝り証文しょうもんどころかさかねじじゃないか!

    えぇい腹が立つ!

    すぐに番頭ばんとうさんを呼んでくれ!


定吉:ひぇぇいっ、ただいまぁ!


   【二拍】


番頭:旦那だんな様、お呼びですか?


大旦那:おぉ番頭ばんとうさん、こっち入ってくれ。

    まぁ聞いてくれ。

    実はな……かくかくしかじかとらとらうまうま…。


番頭:はい、はい……、左様さようでございますか。

   いや、旦那だんな様がお怒りになるのもご無理ございません。


大旦那:そうだろう?

    もう腹が立って腹が立って…すぐにこの仕返しをしてくれ。


番頭:承知しました。

   もう明日と言わず、今日じゅうに仕返ししてご覧に入れますが、

   しかしそれには、ちょっと…その、「こちら」のほうが……。


大旦那:あぁ、金ならかかってもかまわん。


番頭:左様さようでございますか。

   それではさっそく。


大旦那:で、どうするつもりだい?

    なんかいい方法があるのかい?


番頭:ええ、これから裏のお庭を拝借しまして、花見のえんを催します。

   ご親戚しんせきは申すに及ばず、ご近所の方、出入り先や得意先も、

   たくさんお客を呼びまして、ご馳走酒肴ちそうしゅこうもたくさん並べて、

   それから太鼓持ちや芸者衆げいしゃしゅうの五、六人も呼びましてな、

   もうにぎやかに派手はでにどんちゃん騒ぎを、

   パ~ッと散財していただきます。

   そのあとは全てわたくしにお任せを。


大旦那:いやまぁ、それはそれでいいんだが……弱ったなぁ。

    いや、わしはどういうわけか、若い時分じぶんから商売一途しょうばいいちず

    芸者げいしゃ遊びというのをしたことがないんだ。

    芸者げいしゃをどうやって呼んでいいものやら分からなくてな。


番頭:それでしたらご心配には及びません。

   わたくしがいつも行ってるとこへちょいちょいと、

   手紙を一本書いてやればもうすぐにやって……ゴホン、

   いえ、万事ばんじわたくしにお任せを。


大旦那:まあ番頭ばんとうさんの事だから大丈夫だろう。

    よろしく頼んだよ。


語り:もうすべて分かった番頭ばんとう、ぐっとみ込み胸をポンとひと叩き、

   すぐに準備に取り掛かる。

   「花見のえんを催すので、皆様がたお集まりを……」

   なにせご本家の言うことでございますから、

   親類縁者しんるいえんじゃや取引先にまで知らせると、皆がすぐにパ~ッと

   集まり、芸者衆げいしゃしゅう、太鼓持ちもやってきます。

   おさかずきがお席を一巡いちじゅんすると、だんだんなごやかになって、

   芸者衆げいしゃしゅうも腕によりをかけて座を盛り上げる。

   そのにぎやかなことにぎやかなこと。


【笛太鼓のお囃子などのBGMがあれば】


番頭:どうも皆様方、今日はご苦労様でございます。

   実は急遽きゅうきょ、花見をもよおすことになりましてな。

   なるべくにぎやかにやってもらえましたら、うちのあるじも喜びますので

   。

   ちょいと趣向しゅこうがございますので、なるべく派手はでにやってもらえまし

   たら結構けっこうでございます。

   【踊っている】

   あ、こりゃこりゃ、こりゃこりゃ…!


芸者:ちょっと番頭ばんとうさん、このごろどうなってるんだい?

   ちょっとも店に顔出してくれないじゃないのさ。

   たまには来ておくれよ。


番頭:【慌てて】

   分かってる、分かってる。

   今日は旦那だんな様がいるから、

   あんまりへばりついたらいかん…!


芸者:そうやって、いつも来る来る言って、

   ちょっとも来てくれないじゃないのさ。

   どっかにいいのができたんじゃないの?

   もう、腹の立つ……!


番頭:い、痛い痛い!

   何をするんだい…!

   【踊っている】

   あっ、こりゃこりゃ、こりゃこりゃ…!


語り:番頭ばんとうさん、青くなって一人で踊ってる。

   いっぽう、学者先生のほうはと申したら。


学者:のたまわく。

   学びて、時にこれを習う。

   また喜ばしからずや。

   友あり遠方より来たるあり、

   また楽しからずや。


【笛太鼓のお囃子のせいで講義ができない】


   し、しの、しのたま、わくま、ま……

   なんだこの騒ぎは。

   講義ができないではないか。

   これ、隣では何をやってるのだ?


生徒:あの、裏庭で宴会をやってるようでございます。


学者:なに、宴会?


生徒:ええ、花見の宴をやってるようで。

   酒やさかなやどんちゃん騒ぎ、

   芸者衆げいしゃしゅうり込んで参りまして、にぎやかにやってます。


学者:なんでお前にそんな事が分かる?


生徒:実はあの、裏の高塀たかべい節穴ふしあなからちょいとのぞきました。


学者:なにを考えてるんだ。

   学者の家に来て勉学にはげもうという者が、

   隣を高塀たかべい節穴ふしあなからのぞく!?

   そんなこと……面白そうだな。

   よし、わしものぞいてみよう……。


語り:とまあ面白い学者先生がいたもので、

   庭下駄にわげたを突っかけますというと裏へまわり、

   高塀たかべいのところへ来ると節穴ふしあなを見つけ、さっそく目をあてがいます。


学者:おぉ~っ、本当にやってるなぁ。

   こらぁにぎやかだ。

   楽しそうにやってるわ。こりゃ面白い。


番頭:【踊っている】

   あこりゃこりゃ、こりゃこりゃ…!

   おっ、釣られて来たな。

   定吉さだきち、手で穴をふさいでやれ。


定吉:へぇぇ~いっ。

   ほっ。


学者:ん?

   せっかく人が見てるのに何をするんだ?

   見せても減るものでもなし、けち臭いことをしおって。

   まあ別に節穴ふしあなはここだけじゃない、ほかにもある。

   おぉ、これは……


定吉:ほっ。


学者:ん?またふさぎおった!

   何をするんだ!


   えぇいこうなったら意地いじだ。

   梯子はしご掛けて上から見てやるわ!


   さあここならふたもできんだろ!

   おぉ~っ、派手はでにやってるなぁ。

   さあぁ皆、おおいにや~れやれやれ、やれ~ッ!


番頭:おい、こっちも梯子はしご掛けろ梯子はしご

   定吉さだきち釘抜くぎぬき持って来ないか。


定吉:番頭ばんとうさん、持って来ました!


番頭:おお、夢中になって見てるわ。

   あるじ仇討あだうちだ。

   学者先生の鼻先をこの釘抜くぎぬきで…


   ええぇいッ!


学者:【↑の語尾に喰い気味に】

   ッッ痛たたたたたッ!!

   なっ、なっ何するんだ!


番頭:へぇ先生、今朝がたのお返し、返歌へんかでございます。


学者:な、なに、返歌へんかだと?



番頭:へぇ、

   塀越へいごしに、隣りの庭へ出た鼻は、じょと手折たおろと、こちら任せ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


林家染左

笑福亭鶴二



※用語解説


悋気(りんき):やきもち。男女間の嫉妬。



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