プロローグ 封印の後、裏切り
かつて魔王と呼ばれた者がいた魔王城の最奥、玉座の間は城の主人が不在になって二十年。
煌びやかに光を放っていたであろうシャンデリアは無惨な姿で床に転がり、見るものに感嘆と威圧を与えた赤いカーペットは茶色く変色し、所々で苔むしている。
主人が座っていたであろう玉座は背もたれが粉々に砕かれ、石で出来ているというのに黒焦げた様相だ。
「——準備は整った」
そんな玉座の間に一人の男がいた。
時刻は夜。明かりなどどこにもないのに不思議と男の周りは蛍の様な光が飛び交い、歩く程度には困らない明るさが保たれている。
男は腰につけていたポーチから禍々しい気配を放つ鉱石をそっと床に置く。
「こいつを手に入れるのに随分と苦労したもんだ。ま、それも報われるなら少しばかりは勇者に感謝しなくもないってな」
男が右手で魔力を鉱石に込める。
変化は音だった。
静かな玉座の間にパチパチと線香花火の火花が飛び散るような、小さな音が響く。
「ようし、いい子だ」
さらに魔力を込める。
音は大きくなり、鉱石から闇を上書きする漆黒の稲妻が溢れ出す。
その数は一本から二本、二本から四本と倍々で増え、太さも針金の様なひょろっとした細さからすぐに丸太さえも飲み込んでしまうのではないかというくらい太くなる。
「ぐっ……ずいぶんと魔力を喰うじゃねえか」
男は空いた左手でポーチからポーションを取り出し、一飲み。その瞬間見違える様に男の纏う魔力が増える。
時代が時代なら国宝、いやそれ秘宝とさえと評されるポーションであるが、皮肉なことに魔王と人族の戦争が人族のみならず亜人族と呼ばれるエルフやドワーフ、獣人の技術発展を促し、今では少し高いポーションという手頃感で手に入る。
男は続けざまにポーションを飲み干し、カランと床に空き瓶が転がっていく。
パンッ、と乾いた破裂音が響く。
その音を合図に鉱石から出ていた稲妻はぴたりと止み、男は笑う。
「ははっ、五百年は持つ封印も、自分たちが作り出したポーションが原因であっさりと解除されちゃ世話ねえな——そうだろ?魔王様」
どこから現れたのか、黒焦げた玉座に人外が座っていた。
額から広がり延びる二対の角。
腕はドラゴンの鱗に覆われ、その手の爪はドラゴンさえも切り裂く。
その者の瞳が開かれ、真っ赤な瞳が男を捉えた。
「ふ……ふははは、ははははっ!よくやったギブリン!褒めて遣わす」
彼の者は魔王。
かつて魔族を率いて人類と争い、二十年前に勇者の手によって封印された者。
歴史の中で人族と魔族が対立することは数知れず。どちらが勝つかによってその時々で星の支配者が代わること幾千年。
今回の魔王は敗れた側だった。
しかしそれも無理のない事。今回の戦争は人族のみならず亜人族のほぼ全てが魔族の敵に回ったのだ。いくら個体として優秀な魔族であっても、四方八方から物量で攻められては敗走に敗走を重ねるしかできなかった。
それでも、随分と抵抗した。
それが出来たのも単に魔王の卓越した強さがあってこそ。一騎当千の強さを誇る魔王によって魔族側はどうにか最終防衛ラインを死守できていた。
状況が変わったのは人族に勇者と呼ばれる者が出現した時だ。
勇者もまた、一騎当千の兵であった。
勇者は魔王でしか食い止められず、無視すれば被害は甚大。されど人族と亜人族の連合軍はその隙に最終防衛ラインを容易く破り、そうして魔族は戦争に負けた。
この魔王城は魔王が最後まで勇者に抵抗した最後の地でもある。
「ああ、懐かしい。どれだけ朽ちていようとも、ここが我の城であることが——おっと」
立ち上がろうとしてよろめく魔王。
「忸怩たる思いだ。今すぐにでも人……いや、魔族以外の誰も彼も皆殺しにしてやりたいのに、封印されている間に我の力はかなり衰えてしまった」
「魔王様、ではお力が?」
「うむ。だが心配は無用。今はただ魔力が枯渇しているだけのこと。ひと月も経てば我の力も幾ばくかはもどるだろうよ」
魔王に笑みが浮かぶ。
たとえ今すぐ復讐する機会が訪れなくとも、それもまた一興。
己の中の燻る復讐心を烈火の如く燃え上がらせるにはひと月という時間では足りないぐらいだ。
「——それは、好都合だ」
「うっ、がああ!」
突如、ギブリンの持つ鉱石から稲妻が伸び、魔王へと襲いかかる。
身が焼ける苦痛。いや、それだけではない。
枯渇している魔力が全て吸い取られ、さらに黒く意思ある何かが体の中に入り込み、奪っていく。
「——あがっ」
全て終わる頃には魔王はもう立てない。いや、指先一つすら動かせない。
「滑稽だな、元魔王様よぅ」
「ギ、ギブリン、貴様ぁ……」
「勇者に負けた魔王なんて必要ねーんだ。だからあんたの力、全部俺がもらっていくぜ」
「なん、だと……」
動かない体。しかし意識だけならはっきりとしている。
だから魔王は自身の体を調べ、愕然とした。
「貴様、禁術を使ったな……!」
『名前:ティアスティール
種族:魔族 性別:女
職業:浮浪人
体力:10/ 10 魔力: 10/ 10
才能:火1、水1、土1、風1、闇1、光50
スキル:看破 Lv.1(種族特性)、才能なし
称号:なし』
体力や魔力は本来、受け渡し出来ない能力として知られている。
さらに魔法を扱う上で重要な六属性の才能。こちらも光魔法の才能以外は根こそぎ奪われ、さらにかつて魔王が保持していた数多くのスキルや称号までも失われていた。
それを出来るのは、禁術をもって他にない。
だが禁術には膨大な魔力が必要であり、さらに六属性以外の、女神に見初められた者のみが持つと言う聖属性の魔力が必要になる。それを一介の魔族が扱えるとは到底考えられない。
「——そうか、封印の魔力か!」
「流石は元魔王。頭の良さまで奪えないのは残念だ」
動かない体。
視線だけでギブリンを見やれば、彼が持つ禍々しい鉱石が目に入る。
それがなんだか分かりはしないが、それが自身の全てを奪ったのだと言う事はわかる。
「くっくっく……力を奪われた気分はどうだ?さぞ不愉快だろうに」
ギブリンはが鉱石を砕く。
「ああっ、力が!才能が!溢れてくる!」
ギブリンの全身が闇に包まれること数秒。闇が晴れた彼の姿は異形というべき形へと変わっていた。
額からぐねぐねと延びる捻れた角。顎から下が赤褐色の鱗をもち、手も足も巨大化して鈍く光る爪を携えている。
「最高だ……!これがあればなんだって出来る!」
「ま、待て!」
玉座の間を立ち去ろうとするギブリンに思わず声を上げるが、振り向いた彼から発せられる殺気を受け、呼吸が出来ない。
「かっ、はっ——」
「おいおい、無茶すんなよ元魔王。ゴミはゴミらしく、湿った部屋のスミでじっとしているんだな。殺さないだけマシだと思ってくれよ」
「強がりをっ……!禁術の副作用で殺さないだけだろうに」
「そう。禁術の副作用で俺はあんたに直接手出しは出来ない。——でも、別に直接手出し出来ないだけで、間接的にならいくらでもあんたを殺せるんだぜ?こんな風にな」
「がああっ」
殺気。威圧。重圧。
全てを載せた魔力が元魔王に襲いかかり、意識を奪っていく。
ピクリとも動かなくなったのを見届け、ギブリンは止めていた歩みを進み始めた。
「せいぜい逃げ回ることだ。でないとすぐに狼の餌だぜ」
夜更かしして書いているので、気が向いたら更新してくくらいの頻度ですー