獣は魔王軍を辞めるってよ
「おい、本当に辞めるのか?」
俺は倒れかけそうな体を机で支えながら、ベッドの上で掛け布団に包まっているイデアに話しかけた。
「辞めますとも、凪さんを毎日抱きしめたいですからね」
「仕事はどうする、姫達はお前に夢中なのに、急にいなくなったと知られたら、国際問題にまで発展する可能性があるんだぞ」
「そんなの、知りませんよ。そもそも、私は妻達と凪さん以外は眼中にありませんから」
「そう言われてもな、引き継ぎはどうするんだ?」
「魔王様に全て押し付けます」
「イデアの仕事を頭お花畑の魔王様にできるわけないだろ」
「そう言われましても、私が辞める際は魔王様が引き継ぐと言う話になってますし」
「おい、俺はそんな事聞いた事ないぞ」
「知らないのは無理もないですね。だって、この話はこの国を建国する時まで遡りますから」
「それで、魔王様はなんと仰っていたんだ?」
「俺が魔王としてこの国を世界一平和な国にするまで、俺と一緒に戦ってくれ、国が平和になったら、隠居生活してもいいぞ、イデアが抱えていた仕事は俺が全て引き受けてやる! さぁ! 俺と一緒に魔族、亜人種達が争わない世界を作ろう!」
「魔王様がそんな事を、本人ポンコツすぎて仕事をまともにできないと言うのに、言う事は一丁前なんですから、本当に厄介な方だ!」
「オビリオンさん、尻尾振って。本当に魔王様がお好きなんですね」
「そんな俺がこのぐらいで尻尾を振るわけ」
自分の尻尾がブンブンと振っていたが、何も言わずに俺は尻尾を掴んで止めた。
「あー、これは、あれだ、久しぶりに魔王様がかっこよかった話を聞けて、俺は嬉しかったんだな」
「この頃は腑抜けてますからね」
「はぁー、どうして、あーなっちゃったんだろうな」
「魔王様は元々ポンコツでしたから、やっと、そのポンコツ具合を出すほど平和になったと言う事ですよ。人間とは折り合いがまだついてませんけど」
「人間で思い出したんだが、今回のゴウライの件で人間との戦争計画が延期となった」
「ほぉ、私が2日間引きこもっていたらそんな事が」
「俺は人間と戦争するよりも、早く人間に捕まった国民を助けたい。だが、人間の国から助け出すにしても情報が不足している」
「私の部下も何人か送り込みましたが、連絡が途絶えていますからね。彼らは私が鍛えたのでヘマはしていないと思いますけど、それでも、心配ですね」
「ほら、部下が助けを求めていると言うのに上司が女と暮らす為に仕事を放棄するとはなぁ」
「私が辞めれば彼等の上司は魔王様となります。魔王直属の部隊となれるので彼等にとっては嬉しい事だと思いますよ」
「俺を知る終焉の獣は、悪しき力を滅ぼし、弱気を助ける英雄なんだけどな」
俺は布団にくるまっている過去の栄光とは程遠い姿のイデアを見た。
「なんですか、その顔は」
「この国の英雄、終焉の獣はいつになったら目覚めてくれるのかなってな」
「私が滅ぼした巨人族は全ての命を粗末に扱い、自身がまるで神になったとばかりな横暴で残虐な行為を繰り返していたので、こんな種族は必要ないと思い。いや、八つ当たりですね。私の親友であり、妻で私のこの名前イデアと名付けくれたディアを殺した奴らが憎かった。だから、私は」
「皆殺しにして巨人族を滅ぼした。そして、結果的にこの世界の英雄となった」
「私なんか英雄の器じゃないんですよ。私は愛した女性と平穏な生活がしたいだけなんです」
「はいはい、でも、凪さんとくっついても平穏な生活ができなそうじゃないか、チェルーシルから聞いたが、凪さんは配下達に異性として好かれていると言うじゃないか」
「えぇ、ライバルがこんなにいるのは初めてですね。藍介さん、紫水君、緑癒さん、灰土さん、そして、氷月、あと、加えたくはなかったですが、白桜ちゃんもライバルですかね」
「えーと、6人か、多いな!」
「ですが、人型は氷月だけでそれ以外は虫の姿、交尾ができる相手がいなかったので、私が余裕で勝てると思っていたのに、あの、魔石精霊め!!! 絶対に許さない!!!」
「イデア、俺に良い案があるんだが、聞いてくれないか?」
「その案とは一体?」
「氷月という魔石精霊に会ってみたらどうだ?」
「一度会いましたよ、直接会ったとは言いませんが、凪さんに馴れ馴れしく触りやがって、くそぉ! 思い出しただけでもイラついてきますよ」
「それなら、直接会って戦ってみたらいいんじゃないか?」
「戦うですか、かっこいい姿を凪さんに見せる事ができる。八つ当たりもできると一石二鳥!」
「辞表は俺が保管しておくから、俺の権限でイデアに5日間休暇を与える。その間に魔蟲の洞窟の主人、凪を落とすんだ!」
「たった5日だけですか? せめて、そうですねぇ。50年は休みが欲しいですね」
「それは、無理だ。5日間だけ、帰ってこなかったら、飛躍部隊を送るからな」
「分かりましたよ。辞表魔王様に出しておいてくださいね」
「保管はしよう。クティスも一緒に連れていってやってくれ、肉球が真っ赤になって悲しんでいたからな」
「オビリオンさんと話ができて、少しはスッキリました。ありがとうございます」
「いや、お礼を言うのはこっちの方さ、本来魔王様が外交を行うべきなのにイデアに任せきりだしな。それじゃあ、俺はこの辺で帰る」
「そうだ、お礼にスイーツをお渡ししますね。チェルーシル! いますか?」
「はい、イデア様お呼びでしょうか」
「オビリオンさんにハチミツケーキを渡してください」
「ハチミツ?」
ハチミツって確か、エルフ族が血眼になって探す森の黄金だっけな?
「かしこまりました」
何故だが、チェルーシルの顔が一瞬曇った。
俺はイデアの屋敷を出る時にチェルーシルからハチミツケーキを貰った。
家に持ち帰ると、5人の子供達が甘い匂いに誘われて集まってきてくれた。
「ただいまー!!!」
「パパ! いい匂いする!!!」
「お菓子? 甘いの食べたい!」
「僕いっぱい食べる!」
「私が1番に食べるの!」
「パパ! お帰りなさい!!!」
子供達が一斉に俺に話かけてくれるなんて、やばい、嬉しすぎて涙が出てきた。
「もう、この子達ったら。貴方、お帰りなさい。こんなに早く帰ってくるなんて珍しいわね」
俺は嬉しくなって、最愛の妻フェルトを抱きしめ、熱いキスをした。
「ちょっ、貴方、今日は甘えん坊さんなんですね」
「イデアから美味しいケーキを貰ったんだ」
「まぁ、それじゃあ、夕飯の後に食べましょうか」
そして、俺は久しぶりに家族全員で食卓を囲み、イデアからもらったハチミツケーキを食べた。
ケーキがあまりにも美味しすぎて子供達が喧嘩を始めてしまって止めるのが大変だったが、俺にとって最高の思い出の1ページにとなった。
おまけ『ペッタンペッタン地獄』
イデアが寝室に引き篭もり、その分クティスの仕事が増えた。
「クティス様! この書類読んだら判を押してください」
メイドのエーデルがクティスの前に書類を置いた。
「ガウガウグルルルガウガ?(僕がイデアの仕事引き継ぐの?)」
「さぁ、お仕事頑張りましょう!」
「ガゥガァ〜(そんなぁ〜)、ガウガバゥガ!(イデアの馬鹿!)」
クティスは書類に目を通し、悪い事が書いてなさそうなら肉球を押し、なんか、悪いこと書かれているなと思ったら、判を押さなかった。
そして、ペッタン、ペッタン、ペッタンと肉球判子を押し続けた。
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