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とある庭師見習いと美しいお嬢様とサクラソウの話

作者: 仁嶋サワコ

 私がお嬢様と初めてお会いしたのは十歳のときのことでございます。


 それまで年を数えるのには一本ずつ指を折れば良かったのですが、指は十本しかありません。


 あと一年経った時、自分はどうやって年を数えれば良いのだろうか。


 これは私が十歳になってからの大変重大な悩みだったのでございます。


 え? いえいえ、なぜこの話をするのかというと、とても大事なことだからです。


 何しろ、この私の愚かな悩みを救ってくださったのがお嬢様なのでございますから。


 とんでもなく馬鹿な私ではありますが、お嬢様と初めてあった時のことは今でもはっきり覚えております。


 それはお屋敷に来た最初の日のことでございます。


 庭師頭のコウさんはとても親切なお方で、右も左も分からない私めに右から左へ懇切丁寧に仕事の内容をお話しして下さいました。


 しかし、一度に色々言われて頭がこんぐらがってしまった私に気がつき、「これで庭を掃けばいいよ」と箒を渡して下さいました。


 ええ、本当にコウさんは良い人です。


 親元にお金を送るために、突然ここへ来ることになった私を実の孫か何かのように扱ってくださったのですよ。


 本当は一週間に一度のお休みにしか頂けない、いえ、頂けるだけでも充分有り難いことだとは分かっているのですが、その焼き菓子をいつも私にくれたのですよ。


 お屋敷ではとても有り難いことにご飯はたんとくれるのですが、食べ盛りで、すぐにハラペコになってしまう私を気づかって下さったのです。


 と、申し訳ありません。今度は話を逸らしてしまいました。


 とにかく、箒で庭を掃いていた時、お嬢様とお会いしたのでございます。


 そのときのお嬢様は私の拙い言葉では言い表せないほどのお可愛らしさでございました。スミレ色の瞳は夜中の星よりも輝いておられましたし。


 いえね、私の故郷は星だけはきれいだったんですけどそれよりも光ってたんですよ。


 それに焦げ茶色のふわふわとした髪。これも今までみたどんな糸よりも美しいものでした。


 お屋敷から軽やかに走ってこられたお嬢様に、私はぼうっとなって、箒を持ったまま立ちん坊となっていましたよ。


「ねえ、あなたいくつ?」


 お嬢様が最初に私にかけられた言葉はそれでございました。


 お人形のようにきれいな女の子が話しかけてきたことにびっくりしまして、それでも答えなければいけないと、指を一本ずつ折っていきました。


「今年で十になりました」


「あ、私の方が一つお姉さんなのね。宜しくね。私はこの家の娘なのよ。今日は同じくらいの年の子が来るって聞いたから来てみたの」


 嬉しそうにお嬢様は仰いました。


 しかし、私は弱って俯きました。それに気づいたお嬢様は私にどうしたの? とお尋ねになったのです。


「僕は十までしか数えられないのです。だから、お嬢様の年が分からないのです」


 怒られるかもしれない。


 そう思って俯いた私に、お嬢様は「大丈夫よ」と微笑んで下さいました。


「私が教えてあげるわ」





 それから、お嬢様による勉強会が始まりました。


 といっても、私も庭を掃かなければお給金をいただけませんので、本当にちょっとずつではありましたが。


 お嬢様はお屋敷にご在宅の時は毎日庭にいらっしゃいました。


 そして、地面に色々なことを書かれるのです。


 最初は数字でした。


 私は本当に物覚えが悪くて、十に行き着くまでは、一日に一つしか数字が覚えられなかったのです。


 本当はもっと早くお嬢様の年を知りたかったのですが、「ちゃんと覚えてからでなきゃね」というお嬢様のお言葉もありましたから、ゆっくりゆっくり覚えていきました。


 十一日目、そのときのお嬢様の年である「11」と地面に書けるようになった時は本当に嬉しかったですね。


 それからは同じことの繰り返しだと分かりすぐに応用できるようになりましたよ。


 次に文字も習いました。


 お嬢様は最初に私の名前を書いてくださいました。


 私は本当はお嬢様の名前を先に覚えたかったのですが、自分のが書けなければ意味がないということでしたので我慢しましたっけ。






 少しずつ長い文章が書けるようになって、足し算や引き算が出来る

ようになった頃、私も庭を掃く以外

の仕事も出来るようになってきました。


 庭に咲いているきれいなお花の手入れの手伝いも出来るようになってきたのですよ。


 私が枯れた花弁を一つずつ取っている後ろで、お嬢様は花壇をご覧になっておりました。


 本当は手伝いたいと仰っていたのですが、私もそれはいくらお嬢様の頼みでも引き受けられません。


 これは私の仕事です。お嬢様といえどもお渡しするわけにはいきません。


 だからお嬢様はただ花壇をご覧になっているだけなのですが、そこにはピンク色の小さなお花が集まって咲いているのです。


「キレイね」


 お嬢様が仰いました。


 本当に可愛らしいお花なのですが、私はそれよりもずっとお嬢様の方がきれいで可愛らしいと思っているので、すぐにはその言葉に頷けませんでした。


「この花の名前知ってる?」


 知らなかったので私は首を振りました。


「ダメよ。自分が世話をしている花の名前くらい知らなきゃ。サクラソウというのよ」


 お嬢様はサクラソウよりも愛らしいお顔で微笑まれました。


「私、この花が大好き。だから、あなたがこの花の世話をしてくれてとても嬉しいの」


 その笑顔が頭から消えない私も、このサクラソウという花がとても大好きになりました。





 それから何年経ったでしょうか。


 私は相変わらずあまり頭は良くありませんでしたが、掛け算も割り算ももっと難しい計算も出来るようになっていました。様々な文字も読めるようになってきました。


 そのころになると、お嬢様の地面による授業はなくなり、代わりに本を持ってきてくださるようになりました。


 植物の本は仕事に役立ちましたし、世界の歴史や、法律、経済のような内容もとても興味深かったです。


 庭の手入れも、腰が悪くなってきたコウさんの代わりに随分とやれるようになりましたし、その立場を利用して、実はこっそり悪いことをしていました。


 いえ、それについては後でお答えしますよ、もちろん。


 言うつもりもなく、悪いことなんて言いません。


 いえね、私は決して悪人というわけではないと思うのですが。


 その日もお嬢様は私の後ろで花壇をご覧になっていたのです。


 しかし、お嬢様は私もほとんど見たことがないくらい悲しそうなお顔をなさっていたのです。


「結婚することになったわ」


「そのようですね。おめでとうございます」


 実を申しますと、その話はもう少し前から屋敷の使用人たちの間では騒がれているものだったのです。


 ですから、いつかお嬢様の口からその言葉が出てくるのだろうなと覚悟はしておりました。


 ええ、お嬢様が幸せになるのでしたら、私はそれが一番の幸せなのでございます。


 しかし、幸せであるはずのお嬢様は溜め息をつかれたのです。


「相手の方が良いお方ではないのですか?」


「女性には随分と人気みたい」


「大丈夫ですよ。お嬢様みたいに素敵な女性が傍にいるのでしたら、そのお方がお嬢様以外を見るわけがありません」


 私の今までの人生の中で、一番素晴らしい女性はダントツでお嬢様です。


 お美しいし、頭もとても良いです。


 何よりも私のようなただの庭師にまで優しくして下さいます。


 こんなに素晴らしい女性は他にそうはおりません。


 賢いとは到底いえない私ですが、それだけは絶対の絶対に間違っていないと言い切れます。


 ところが、お嬢様は私の言葉にもう一回溜め息をつき、こう仰ったのです。


「サクラソウが咲き始めたわね」


「はい! お嬢様に喜んでいただけるよう、必死に育てました」


 私は何か悪いことを申してしまったのだろうかと思いましたが、サクラソウでお嬢様が少しでも笑ってくださるのならと必死で申し上げました。


 そんなことをしていたら。


「……あのね、私、好きな人がいるの」


 ぽつりとお嬢様は仰いました。


 私はびっくりして、でも、それならお嬢様が憂いを帯びたお顔でいらっしゃるのも無理はないと思いました。


 にこにこと明るいお嬢様も素敵ですが、このような表情のお嬢様もまた大人の女性としての魅力がありました。


 ああ、しかし、このお嬢様が好きになるというその方はどんなに立派な方なのでしょうか。


「その方と一緒になる術はないのですか?」


 お嬢様はじっとこちらを見つめました。


 出会った時と同じ、星よりも輝いているスミレ色の瞳、どんな糸よりもなめらかな栗色の髪。そしてその見かけだけではなく、賢く、素晴らしい優しさを持ったお嬢様。


 そんなお嬢様は私をじっとお見つめになった後、俯かれました。


「分からない。私はその人が私のことを好きなのか分からないの……」


「何を仰っていますか。お嬢様のような方を嫌いになる方がいらっしゃるわけありませんよ」


 そうお答えしながら、それにしてもお嬢様にこんな悩みを持たせるなんて、随分酷いやつだと思いましたよ。


 もしも会ったら、庭に埋めてやる。


 いえいえ、お嬢様が悲しまれる顔を拝見したくありませんのでやりませんがね。


「どんなお方なのですか?」


 下を向いていたお嬢様はゆっくりとこちらを見られました。


「そうね。サクラソウが似合うわ」


 やっと笑みを見せて下さいました。ほんの僅かではあるのですが。


 しかし、サクラソウのような人とは分かりにくい例えです。


 花というものは通常女性を例えるときのものなのですから。


「……お相手は女性なのですか?」


「違うわよ」


 苦笑いをしていらっしゃいましたが、それでも笑みを見せてくださったお嬢様を見て、やっと笑ってくれたと私はほっとしました。




 時が過ぎるのは速いもので、あっと言う間にお嬢様の結婚の話は進んでいきました。


 何回かちらりと見たお相手の方は、同性である私が言うのもなんなのですが、とても整ったお顔だちの素敵な男性でした。


 聞くところによると、とても高いお家柄の方ということでございます。


 お嬢様と二人で並ぶと、それはもう美しい一枚の絵画のようでした。


 本当に好きなお方と一緒にはなれないと悲しまれていたお嬢様を見た私は余計に、ただひたすら幸せを祈ったのでありました。





 そうしていよいよ明日がご婚礼という夜になりました。


 嫁入り支度で忙しいお嬢様は最近はとんとお姿が見えませんでした、


 ご婚礼は相手方のお屋敷で行うため、私は明日の朝ほんのちらりとお嬢様をお目にかかれるか否かということでございます。


 無理な願いとは分かっていました。


 でも、僅かな機会でも良いのです。私はほんの少しで良いので、お嬢様とお話出来る最期の時間を欲しておりました。





 そんな夜、私が住まわせていただいている庭師用の小屋の扉がノックされました。


 三日前からコウさんは腰を本格的に悪くして、力仕事のある庭師の仕事から、他の仕事へと転属となっておりました。


 そのため、この小屋は新しい庭師が来るまでの間、私だけが住んでいたのです。


 こんな夜更けに誰が来たのだろう。


 思いながら扉を開けたら、そこには何とお嬢様が立っていらしたのです。


 肩にショールをかけ、栗色の髪をゆるく編んでいるお嬢様。


 月の光と重なって、いつもの愛らしさとはまた違った神秘的な美しさを秘めておりました。


 月の女神というものは、まさしくこんな姿なのでしょう。


「どうなさったのですか? こんな夜更けに、何故こんなところへ?」


 いくら私だって男でございます。結婚前夜の女性が訪ねて良い場所ではありません。


 戸惑った私をご覧になって、お嬢様はくすりと笑われました。


「いいじゃない。まだ私はこの家の娘だもの。使用人と話して何が悪いの?」


「そういうことではなく……」


 上手く言葉をつくれない馬鹿な私はほとほと困っていました。


「結婚してから思い残しをしたくないの。明日は話せないかもしれないでしょ?」


「それはそうなのですが……」


 返事をしながら、お嬢様の「話せないかもしれない」と言う言葉に気がつきました。


 そうです。明日が分からないのなら、今でも良いのでございます。


「お嬢様にお渡ししたいものがございます」


「え?」


 驚くお嬢様に「お待ちください」と言って、私は扉を開け、小屋の裏へ回りました。


 そしてあるものを持ち、部屋へ戻ったのです。


「お待たせいたしました」


 それはサクラソウをいっぱいに咲かせた植木鉢でございます。


 お嬢様のお嫁入りの噂が聞こえ始めたときから、私はお嬢様にお祝いを差し上げたいと思っておりました。


 しかし、お給金をほとんど実家へ送ってしまう私にはお嬢様に相応しいものなど買えません。


 ですから、こっそり種を少し分け、これだけは買った可愛らしい植木鉢に、お嬢様の大好きなこの花を飢えたのでございます。


 はい、これが私が先程申した「悪いこと」でございます。


 本当はお屋敷のものを勝手にとってはいけないですからね。


 ご婚礼が花盛りの時期で本当に運が良かったとも思います。


「あちらの家でサクラソウが咲いているのか分かりません。だから、これを差し上げようと思ったのです」


「あなた……」


 お嬢様は両手で顔を覆われました。


 何ということでしょう。


 お嬢様はお泣きになりました。

 

 私はびっくりして飛び上がってしまいました。もちろん、サクラソウの植木鉢はひっくり返さないように。


「お嬢様!」


「……バカ。忘れさせてくれないの……?」


「そんな、お嬢様が忘れたいとお思いのことがありましたら、私は必死でそのお手伝いをいたします!」


「そうじゃなくて……」


 それ以上の言葉はありませんでした。


 お嬢様はしゃがみこんで泣き続けていらっしゃいました。


 私はそのまま植木鉢を持ったまま立ちん坊をしておりました。


 しばらくするとお嬢様は泣き止まれました。


「……なぐさめてくれてもいいのに」


「あの──」


 何を申していいか分からない私は口を曖昧に開きました。それに、お嬢様は言葉を重ねられました。


「お屋敷の図書室でサクラソウの花言葉を見て。私の好きな人のことが分かるわ」


「え……」


「大丈夫よ。あなたが使えるように許可はとっておいたから。あなたは自分では分かっていないかもしれないけれど、私なんかが比べ物にならないほどの知識を身につけられると思う。勉強するといいわ。花言葉以外もよ」


 そう言って、お嬢様はにっこり微笑んでいらっしゃいました。


 目はまだ涙で滲んではいらっしゃるのですが。


「ありがとう。あなたはいつも私と一緒にいてくれた。本当に嬉しかったわ」


 目元が少し赤く腫れていらっしゃいましたが、そう微笑みを浮かばれるお嬢様は誰よりもお美しかったです。





 翌日。


 白いドレスを来て、サクラソウよりももっと華やかな花で作られた花束をお持ちになったお嬢様はとても輝いておられました。


 残念ながら私はお話できませんでしたが、遠くから見ることは出来ました。


 ふと、お嬢様がこちらをご覧になられました。


 気のせいでしょうか。目と目があった気がします。


 お嬢様は私に微笑んでくださったような気がしました。


 その後、私は図書室へ行ってみました。


 本当にお嬢様は話を通して下さったのです。あっさりとその部屋へ入ることができました。


 古めかしい紙の臭い。


 そのどんよりとした空気は、不思議と私には心地よいものでございました。


 さて、目的のものを探さなくてはいけません。


 ――見つかりました。


 花言葉の辞典。


 それは辞典の中でも一番下の段の一番端に置いてありました。


 私はぺらりとページをめくってみます。


 ありました。




 サクラソウ──花言葉:初恋。




 その下に白い紙が挟まっていました。


 図鑑を机に置いてその紙を両手で開くと、いつも地面に書いて下さった字で、それは書かれていました。


『あなたは私の初恋です』



 私はそれをそのまま握りしめました。小さな紙はくしゃりと手の中に収まりました。その手は細かく震えました。




 その時、私は初めて彼女の名前を呼んだのでした。




昔書いたものを、色々と書き直しました。

花言葉の関係で、花を当時と違うものにかえました。

人生で初めて恋愛をテーマに書いた作品です。


評価、感想等いただけると大変うれしく思います


長編もかいております。

「Common tale ~ありふれた物語~」https://ncode.syosetu.com/n9420id/


こちらと雰囲気は全然違うおちゃらけ系ファンタジーですが、本作品を気に入った方がいらっしゃいましたら、

宜しければご覧下さい(宣伝)

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