訓練にて
牧場生活5日目、シリウス達は新たな問題に直面していた。
「わ――い!」
「お姉ちゃん、早く遊ぼうよぉ」
「業子、そのお姉ちゃんはあたしと遊ぶの!」
日本から連れ去られた子ども達は尼僧により悪魔教の教えを信じ込まされていた。
それは自らの欲望のままに生きればいいというものであり、他人をどれだけ不幸にしてでも自分の欲望が満たされれば良いというものである。
本来ならば家族間の会話や寺子屋などで社会性というものをまったく学んでいくはずがそれを知らない牧場の子ども達はまったく違っていた。
「うるさい! あたしのお姉ちゃんだ!」
「知るもんか!」
「いだだだ! 髪を引っ張るなでござる。喧嘩はよすでござるよ」
最も身長の高いプロキオンは人気の的になり子ども達からあらゆるところを引っ張られている。
パリィン
「きゃははは、お皿投げ楽しい!」
「こ、こら! やめなさい」
「あたしに触るな!」
欲望のままに生き続けると尼僧と同じような攻撃的な人間になるのだろうか、それはシリウス達にも分からない。
壁の上から見ていたときと似たような状況下で尼僧は完全に放置していたが、美心からしっかりと教育されたシリウス達はこの状況を黙っていることは耐え難いものであった。
子ども達が寝静まった深夜シリウスとリゲルは子ども達をどうするか話し合う。
「あの子達、どうしたものかしら」
「アポトキシンの毒は血清によって無効化されたはずなのに大人の姿に戻らないのも気になるね」
「脳にダメージを負っている可能性は?」
「十分に考えられそうだ。叡智の書では身体は子どもでも頭脳は大人であると書いてあった。そして、行く先々で殺人事件が巻き起こる死神となる……」
「なんて恐ろしい……マスターが悪魔を祓い続けるのも頷けるわ」
未だに誤解し続けているシリウスとリゲル。
真実を知るのは彼女たちが大人になった頃である。
「兎に角、今のままでは悪魔を探しに壁外へ出るのは危険だ」
「ええ、あの子達を放っておくわけにはいかない。でも、あの乱暴さは……」
「ふふっ、シリウス覚えていないかい? 僕達だってマスターに助けられた直後は似たようなものだったじゃないか」
「そう……ね。誰も信じられない世界の中、自分の力だけで生きていかなければならないと思い込んでいた」
「あの子達にもマスターが僕達にしてくれたことと同じことをしてみないか?」
「でも、私達だってまだ子ども。あの子達の中で一番年上である正恵と里江は私達より年上の14歳なのよ?」
寺の中の捜索で発見した資料から子ども達の名前と年齢はひとしきり記憶していた。
「ふふっ、僕達の年齢はまだ知られていない。12歳と14歳なんてそう変わらないし偽ればいいだけさ。それにプロキオンはどうみたって15歳くらいには見えるだろ。なんなら、プロキオンを教官として就かせれば良い」
シリウスは考えた。
食料の備蓄は大量にあるが人数も多いため、もってあと一ヶ月ほど。
プロキオンは東にある工業区に労働者として侵入し悪魔を探る予定だった。
(悪魔の捜索を優先するか、あの子達を星々の庭園の隊員にできるほど鍛えるのが先か……)
ボソッ……
「メンバーは多いほど悪魔に対し有利になる……」
「えっ?」
リゲルはシリウスの呟きに驚きを隠せなかった。
(星々の庭園のメンバーにあの子達を加えるつもりなのか!? 僕はただ普通の生活を送れる程度にすればいいと思っていたが……ふふっ、シリウス。その考えは僕もまったく思いつかなかったよ)
「ふふっ、そうだね。戦争は常に数の勝負だ。それに相手は悪魔。こちらの手札が多いほど有利に事を運ばせられそうだ」
シリウスはリゲルが同じ考えだと思い安堵した。
「では、プロキオンは優しい教官として飴になってもらいましょう。私達は鞭となってあの子達に社会の常識とやらをその身に叩き込んであげましょう」
「相変わらず嫌な役を引き受けるのが上手いね、シリウスは」
そして、翌朝……。
「傾聴!」
軍服のコスプレをしたプロキオンはやる気満々で引き受けてくれた。
だが、整列などしたことのない子ども達は牧場内を無邪気に走り回る。
「きゃっきゃ」
「わーい」
ガッ
シリウス達は体術を持って子ども達を取り押さえ厳しい目つきで話しかける。
「教官が話を聞きなさいと言ったのよ? まずは教官の言葉に耳を傾けなさい」
「し、シリウス……いくらなんでもやりすぎでござる」
「お姉ちゃぁぁぁん、うわぁぁぁん!」
「お姉ちゃんではない! 教官と呼びなさい!」
始めの数日間はうまくいかないながらも徐々に子ども達もそれに慣れていく。
そして一週間が経った。
「このクズども、そんなトロトロ走るんじゃない! 貴様らはナメクジか!? いいや、ナメクジ様に失礼なほどおこがましいダニだ! 私の楽しみは貴様らが苦しむ姿を拝むことだ。そこ! いつ休めと言った!?」
「ひ、ひぃ……」
牧場の壁沿いを丸太を引きずりながら走る子ども達と、そこに罵声を浴びせ続けるシリウス。
「ふふっ、いつの間にか教官の座が変わってしまったねプロキオン」
「それは特に気にしていないでござるが……流石に厳しすぎないでござるか?」
シリウスは真面目すぎるが故に他人に対してもかなり厳格であった。
それが教え子となると責任感が伴うため自ずと厳しくもなる。
「も、もう駄目ぇ」
「なんだ、また28番貴様か。所詮貴様の根性などその程度だな。休みたければ自室に逃げ帰り貴様の好きなヘビィベアのぬいぐるみでも抱いて寝るがいい。ただし格好悪くおめおめと逃げ帰った腰抜けの貴様のことなどヘビィベアは何とも思っていないだろうな。貴様が何を問いかけても話し返さないのは無視されている証拠……」
「う、うわぁぁぁん! ヘビィたんは単なるぬいぐるみじゃないもん!」
「何度でも言ってやる。ヘビィベアは貴様のことなど無関心だ!」
「畜生! 畜生! ちくしょぉぉぉ! うわぁぁぁん!」
再び丸太を引きずり走り出す子ども。
「ふふっ、叡智の書第10章第4節。海軍の新兵を鍛え上げる場面をシリウスは見事に真似しているんだよ。ほら、あの子も元気を取り戻してまた走り始めたよ」
「そ……そうで……ござるな?」
根が優しいプロキオンは困惑していた。
そして、翌日……。
「いいか!? 貴様らはまだ人間以下だ。私の訓練を耐え抜いた時、貴様らは初めて一端の隊員となる! それまで貴様らは赤子以下の使えぬ存在だ! そこ、短剣の持ち方が間違っているぞ!」
更に翌日。
「私の好物は貴様らの中から落ちこぼれを出すことだ。使えぬ人間などこの世にいらん! 他の者の足を引っ張る邪魔者は私がわからせてやるから楽しみにしておくんだな!」
更に翌々日。
「貴様たちを立派な兵器に変えてやっているのだ! 任務で感情などいらん! 貴様達を攫い家畜として飼っていた難き尼僧の心臓にその刃を突き立てる事ができるのは真の兵器と成り得た時だけだ! 尼僧をわからせたければ感情を殺し自身を刃と化すのだ!」
そして、更に数日。
「貴様らの恋人はその短剣だけだ! 愛情を持ってよく磨き一時も目を離すな! 尼僧の身体にわからせてくれるその恋人が最高のパートナーと成り得た時、貴様らは偉大なマスターにお褒めの言葉をいただけることだろう!」
「うへっうへへへ、可愛いよ。あたしのダーリン」
「素敵な刃先だわ、マイケル」
「マスター……まだ見ぬマスターに私の命を捧げますです」
不敵な笑みを放ちながら短剣を磨く子ども達。
子ども達の訓練も終盤に差し掛かっていた。
「ふふっ、立派な隊員となれそうだね。あの子達も」
「へっ!? いや、どう見ても間違っているように思うでござるよ!」




