壁上にて2
「わぁぁぁい」
「鬼ごっこしよ――」
「あたしも入れて――」
「ほらほら、あまり遠くまで行っては駄目ですよ」
壁上から牧場内を見るシリウス達。
飼育されている子ども達の一日は毎日同じである。
朝7時に起床し朝食後は部屋の清掃、そして昼食時間までは寺の外で自由時間。
昼食後は昼寝の時間を挟み夕食まで再び寺の外で自由時間。
夕食後はそれぞれの部屋で自由時間の後、夜9時には就寝という流れだった。
「あの子達、いつも遊んでいるよね」
「人にとって必要な勉学の時間が無いとは……」
「飼育されている子ども達は悪魔にとっては単なる家畜だからね。知識を与えると謀反を起こされるかもしれないことを悪魔は理解してるとも考えられそうだ」
「だから誰も陰陽術を使っていなかったでござるか?」
プロキオンの思う疑問はこの異世界の日本人であれば当然のことである。
「いや、そこに関して僕は不思議に思っているんだ」
リゲルが感じていた内容を皆に話す。
その内容とは陰陽術が使えて当然の子ども達にあえて術を使わせないようにしているのではないかという内容であった。
「日本人なら赤子の頃から陰陽術は見慣れている。手から火が出ないことを疑問に持たないことはありえない?」
「ああ、僕達だってそうだっただろ? 幼い頃、何度も試して火花が出た時は嬉しかった」
「うん、わちもいっぱい試したの覚えてる。こうやって……あれれ?」
ベガがフィンガースナップをするが何も起こらない。
「ベガ、陰陽術の練習をサボっていたでござるな?」
プロキオンもフィンガースナップをするが何も起こらない。
「むむ? これはいったい……」
「ね、おかしいでしょ」
ベガとプロキオンは火を放つつもりでフィンガースナップをしたが術が発動しないことに違和感を覚える。
それを見ていたリゲルがこう言い放つ。
「それがもう一つの理由なんだよ」
「リゲル、どういうこと?」
「堺から船に乗ってここに来るまで誰も陰陽術を使っていなかったから僕も気付いたのは先日の夜なんだけどさ……」
ゴクリ……
3人はリゲルの目を真剣に見つめ言葉を聞く。
「早く話すでござる」
リゲルが話を続ける。
次の言葉を聞いた瞬間、皆は大きな不安に駆られることになる。
「良いかい、決して取り乱しては駄目だよ」
「リゲル、続けて」
「僕達、日本人は……海外では陰陽術を発動できない。日本人は海外ではかなり力を制限されるんだ。これが僕の至った結論だよ」
「!!!」
「な……ん……ですってっ!?」
驚きを隠せないシリウスだったが、自分にも覚えがあるようですぐに冷静さを取り戻しリゲルの会話に整合性をもたらす。
「確かにそうかもしれないわね……歴史もそれを物語っている出来事がちらほらあったわ」
「ああ、僕も過去の出来事からこの結論に辿り着いたんだ」
勉強の苦手なプロキオンはおろかベガも目を丸くさせ2人の話を聞き続ける。
「豊臣秀猿の朝鮮出兵……日本がどうして負けたのか私は納得がいかなかったわ」
「歴史書によると海上で苦戦したと書かれているけど、その程度で陰陽術が防げると思うかい?」
「わちなら何処から襲ってこられても向かい撃てるよ」
「結界を貼れば簡単に防げるでござろう?」
「ああ、あの時代の足軽でも戦艦1隻に10人もいれば十分に対応可能だろう。けれど何故か敗退した」
ベガとプロキオンもやっと理解できたようで会話に交じる。
「日本の外に出ると陰陽術が使えなかったから負けた……それなら納得がいくわね」
「何故かその事実は隠され現在でさえ日本人が海外に出ると陰陽術が使えないなんて知る者はいない」
「マスターも教えてくれなかったね……」
「マスターは分かっていたのよ。それを知って海外に恐怖心を抱いてしまう私達のために話さなかったのでしょう」
「マスターはご慈悲で拙者達に話さなかったでござる! 他の大人が教えてくれなかったのは気に入らないでござるな!」
「同調圧力というやつさ。マスター以外の大人は皆他人の目を気にして子どもに真実を伝えない」
何故か美心だけは許し他の大人のせいにする4人であった。
そして、その事実を共有したことで牧場内の子ども達をどうやって助けるか考え始める。
「あ、プロキオンは英語の勉強を続けていてね」
「ふふっ、工場地帯の潜入任務のためにね。今日はこのページまで訳してみようか」
「ノォォォでござるぅぅぅ!」
プロキオンを除いた3人で今後の話を続けるが陰陽術という大きな力を失っている状況で良い案が浮かばない中、ベガが2人に話す。
「あ……あのね、わちが牧場内の子ども達と一緒に飼われてみる」
「どうして? ここからなら中の様子だって伺えるんだし、そんな危険を犯す必要は無いと思うわよ」
「ベガ……まさか?」
リゲルはすぐにベガの考えを理解できたようで頷きながら話を聞く。
「わちが今月の出荷に選ばれさえすればあの子達は助かると思うの」
「ふふっ、それで悪魔の拠点も判明するってことか……よく思いついたね、ベガ。僕も全力でサポートする。行ってくると良いよ」
シリウスは少し目を閉じ考えている。
(悪魔の拠点が分かっても、その後が問題なのでは? 殺されないために脱出する必要があるし、それが不可能な場所に連れて行かれたら……やはり駄目ね、不確定要素が多すぎる。いくらなんでも危険過ぎるわ)
そして、目を開け反対の意を示そう言葉を放つ。
「ベガ、私は反対……よ? あら、ベガは?」
ベガの姿が忽然と消えていた。
「ほら、あそこ」
リゲルが送った目線の先を見てみるシリウス。
自由時間で外で元気に遊んでいる子ども達の輪に何気なく入り一緒に遊び始める。
「ちょっ……まだ私の意見も聞かないで勝手に!」
後を追いかけて壁から飛び降りようとするシリウス。
だが、リゲルが彼女の腕を掴み静止させた。
「待つんだ、シリウス。住職が出てきた」
サービスワゴンを押しながら住職の尼僧が寺から出てくる。
「マム――!」
「あ、おやつだ――!」
「やった――!」
子ども達が尼僧のもとへ寄っていく。
「さぁ、幸せの時間を始めますよ。みんな、集まってください」
ベガも怪しまれないようにうまく周囲と混ざり接近する。
「ベガに子ども達は警戒心を持っていないようだ」
「問題はあの尼僧でしょ? 奴がベガに危害を加えるようなら全力で阻止するわよ」
「相変わらず君は心配性だな。分かったよ……」
尼僧が白い粉をジャムに混ぜビスケットに塗り子ども達に配る。
子ども達は1列に並び尼僧から受け取るとすぐに口に入れていく。
それを壁上から見ているリゲルとシリウス。
「あの白い粉は何だ?」
「みんな、何の迷いもなく食べているし毒では無いでしょうね」
そしてベガの順が回ってきたが何の疑いも持たず尼僧はビスケットをベガに渡す。
(これ、食べて良いのかな? ものすごく美味しそうだけど……)
ベガは少し様子を見るため口にはまだ入れなかった。
「あああ!」
「あひゃあひゃあひゃひゃひゃひゃ!」
「うえ――ん、幸せ過ぎるよぉぉぉ!」
ビスケットを口に入れた子ども達の様子がおかしくなる。
奇声を上げる者、突如泣き出す者など様々であった。
そして、尼僧が皆に聞こえるよう声を放つ。
「さぁ、祈りましょう! 我らの神サタン様に! 欲望のままに生きることを良しとする最も優しき神サタン様!」
「サタン様……」
五指を交互に組み尼僧を見て祈り始める。
その光景は異様なものであるのは一目瞭然である。
子ども達の目は虚ろで視点が合っていない。
ベガはその光景に恐怖心を感じビスケットを落としてしまう。
「あっ……」
「君、まだ食べていないの?」
1人の子どもがその瞬間を見てベガに話しかける。
「君……幸せに……なりたくないの? ねぇ……ねぇ!」
その子どもも目が異常であった。
突如、声を荒らげたため尼僧は愚か周囲の子ども達もベガの方を向く。
「ビスケットが落ちてる……」
「幸せの食べ物を捨てた?」
「許せない……」
「サタン様から罰を受けなきゃ」
「そうだ、罰だ!」
子ども達がベガに掴みかかる。
尼僧は何も言わずその様子を眺めているだけであった。
「ちょっとどういうこと? 子ども達が突然凶暴化してない?」
「さっき食べた煎餅の影響か?」
「くっ……」
「待つんだ、シリウス!」
シリウスは迷った。
ここで出ていけば確実に尼僧に目をつけられる。
そして相手は子ども、ベガだけで30数人を制圧することなど簡単である。
「もう少し様子を見よう。ベガだって抵抗していない」
子ども達は落ちている小枝や砂を拾ってはベガに投げつけている。
ベガはこの先どうするか悩んでいる。
(尼僧がこっちを見ている。一体、何を考えているんだろ? 見ず知らずの子どもだっていうのに誰もそのことに気付かないのも妙な違和感を感じるんだよね……)
1人の子どもが落ちているビスケットを拾う。
「君もこれを食べれば幸せになれるんだ!」
ガッ!
ベガの口に無理矢理ビスケットを入れる。
突然のことでベガも抵抗できず口の中にビスケットが入ってしまった。
すぐに吐き出そうとするが子どもが数名ベガの口を閉じ飲み込むように促す。
「ほら! ほら! 幸せになれるからぁぁぁ!」
「あはあははははは!」
子ども達の目は狂気に染まっていた。
間近で目が合うベガはあまりの怖さに涙が瞳から溢れてきた。
(この子達、壁で見ていたときと丸っきり違う。力も無茶苦茶強くなってる。まさか、ここで育てられると悪魔になっちゃうの!? 怖い怖い怖い!)
「ふ、ふぇぇぇ……」
「早く飲み込めぇぇぇ!」
薬の影響でタガが外れている子ども達の力は大人以上であった。
その力でベガの頭を掴み上下左右に揺らす。
ゴクリ……
あまりの勢いにベガは軽く脳震盪を起こし口に入ったビスケットを無意識に飲み込んでしまった。




