屋敷にて
シリウス達が海外へ渡ってから早5年。
比奈乃は15歳になり中学部では生徒会長を任されるほど皆からの信用は厚かった。
しかし、毎日の学校生活が忙しくなるに連れ、大好きなお婆ちゃん(美心)とのごっこ遊びも出来なくなっていた。
当然ながら星々の庭園のメンバー達も悪魔を滅ぼすという目的を抱きつつゾディアックである比奈乃やマスターである美心からの指示が無いまま時間だけが過ぎていった。
そして活動が行われない組織のメンバー達も大人へと成長していき星々の庭園そのものへの関心も次第に失われていった。
彼女達は美心の推薦により財閥内で職に就いたり、武家との縁談で家庭を持ったりと自分の人生を歩み進めていく。
そして、今日も1人。
「お義母様、今まで本当にお世話になりました」
「ああ、デネブも達者でな。困ったことがあったらいつでも私のところに来ると良い」
「お義母様……はいっ!」
綺麗な着物に身を包みデネブは笑顔を美心に向ける。
屋敷の前には立派な式神車が停止していた。
そして、車の扉を開ける1人の男性。
「さ、デネブ行こうか」
「はい、義春様」
デネブを車に乗せたその男は美心に軽く一礼をし自分も車に乗る。
ブォォォォ……
「お義母様……また1人去ってしまいましたわね」
「あの子が幸せになれるならそれでいいさ。それに対馬藩は朝鮮半島に最も近い場所に位置する。そこの大名とパイプが作れたのは嬉しい誤算というものだ」
(お義母様……さすがですわね。大切な娘達を上流階級の武家に物怖じせず、ただでは決して渡さない。そのおかげか今ではほとんどの藩を財閥側に引き込むことができた。この5年で春夏秋冬財閥の売上も更に拡大し、もはや豪商では太刀打ちが出来ないほど経済界を手中に収めている。これもお義母様の人望があってこそ為せるものですわね)
「レグルスは私の秘書をずっと続けていくつもりか? お前も18だ。そろそろ……」
「あの子達が帰ってくるまで妾はまだ……」
レグルスは物思いに耽るように空を眺め呟く。
(シリウス、ベガ、リゲル、プロキオンの4名か。あいつら、まさか本当にギアナ高地へ行ったんじゃないだろうな? いや、地球上で秘境中の秘境と呼ばれる場所だ。子どもだけで行けるはずがない。しかし、日本の何処かでイベントの準備をするにしても時間がかかりすぎだし……帰ってきたらたんまりと叱ってやらんとな)
美心もこの5年間、日本中を巡り彼女たちを探した。
だが、深夜に行動したシリウス達を見かけた者はほとんどおらず、口を固く閉ざしていたレグルスから堺に向かったことを聞いたのが2年前。
当然ながら2年もずっと同じ場所に居るはずもなく彼女たちの足取りを完全に見失ってしまっていた。
「そうか。ま、レグルスは秘書の仕事を立派に果たせているし好きにすると良い。ところで今日の予定は?」
「本日は午後からカカシマヤ103号店開店記念を松前藩で行います。お義母様はその後の会食にのみ出席予定となっておりますわ」
「ほう、遂に北海道にまで進出したか。相変わらずの経営力だな」
「北海道?」
「蝦夷地のことだ」
「ええ、比奈乃様のお母様は今では世界中から注目される方ですわ」
美心は陰陽術『飛翔』を使うことで沖縄から北海道まで2時間足らずで移動することができる。
彼女にとって日本そのものが広い庭のような感覚であるのだ。
「確か松前藩にはカペラが居たな」
「はい、カカシマヤ103号店の従業員としてですが……お義母様、以前から疑問に思っていたのですがどうしてカペラを蝦夷地へ?」
「あいつの学習意欲は俺が救った子の中でも随一だ。それを比奈音が気に入ってしまってな。どうしてもというためカペラには研修として松前藩に向かってもらったがまさか従業員として働かせるとは……」
春夏秋冬比奈音、比奈乃の母でありカカシマヤ創設者の1人である。
「あの子からは毎晩欠かさず定期連絡をいただきますの。今ではアイヌの方々とも仲良くしているようで熱心に語学を学んでいるようですわ」
「そうか、あの地にはまだ未発見の魑魅魍魎が多いと聞く。何も起こらなければ良いが……」
(ま、そんなものは居ないし呪物があったとしても厳重に管理しているだろう)
美心は比奈乃とごっこ遊びができない寂しさを紛らわすため、会話に設定を盛り込むことが癖になっていた。
多くの者は冗談として聞き流してしまうが心から美心を尊敬しているレグルスは違っていた。
いや、レグルス達もと星々の庭園のメンバーと言ったほうが語弊を招かないだろう。
(蝦夷地に多くの魑魅魍魎……よく考えれば可能性は高いですわね。蝦夷地の住人はまだ日本と認められていないため陰陽術が使えない。陰陽術が使えなければ物理攻撃しかできない。しかし、お義母様の書かれた叡智の書では驚異的再生力を持つ魑魅魍魎はお義母様ほどの格闘技の使い手でなければ物理ではまず倒せない。完全消滅させられるのは陰陽術だけ……お義母様、もしかしてこれを見越してカペラを松前藩に送った!?)
「なるほど……お義母様、カペラは陰陽術の使用に関して私達の中では常に上位に入る成績。蝦夷地の魑魅魍魎にアイヌの方々が蹂躙されているところをきっと救っていると思いますわ。お義母様はそれを見越してカペラを松前藩に……」
「ん? あ、ああ……我の思考を先読みするとはレグルスできるようになったな」
当然だが美心は何のことかまったく分かっていない。
ただ美心自身の気まぐれに付き合ってくれているだけだと言うことだけは理解している。
(きゃ――!! 女神様にお褒めいただきましたわ! お義母様は菩薩様であり女神様であり月よりの使者かぐや姫であらせられる現人神。お義母様の真の姿を再び拝見させていただくためにも誠心誠意お仕えさせていただいておりますのに……えへっえへへへ、お義母様ぁ)
身体をくねくねさせながら幸せを噛みしめるレグルス。
彼女は美心の細胞活性化を間近で見た数少ないメンバーの1人である。
下鴨神社での光景は目に焼き付いている。
今は老婆の姿となっている美心は現世を生きる仮の姿であると勝手に解釈し、いつかあの美しい姿をまた見せてもらうことが彼女の今の目的となっていた。
「んじゃ、私は寄り道しながら松前藩に行ってくる。レグルス、屋敷のことは信濃条と任せる」
「はっ、お義母様お気をつけて行ってらっしゃいませ」
美心は飛翔で宙に浮きあっという間に姿が見えなくなってしまった。
レグルスも屋敷に戻り秘書室へ向かう。
「レグルス、美心様宛の書簡が何通か届いていましたので机上に置いておきました。後でお義母様に渡しておいてください」
「了解しましたわ。あら、この黒い封筒……」
「その封筒は貴女宛ですよ。懐かしいですね、シリウスが好んで使っていたけれど……一応、仕事ですので中は確認させていただきましたけど英語で書かれているだけで危険は無いようだからそれも渡しておいて下さいね」
レグルスは一通の封筒を手に取る。
その封筒は星々の庭園の任務でマスターである美心と隊員が連絡を取るためのものである。
(どうしてこの封筒が? 星々の庭園のメンバーは妾を含めて今は10人にも満たない。それにここ3~4年は悪魔を探すことさえ誰もしていないはずですのに? いいえ、違いましたわね。シリウス、ベガ、リゲル、プロキオン……あの子達、お義母様に報告できるような成果を上げたのですわね!)
秘書の仕事として屋敷に届く書簡の検閲は必須事項である。
暗器や毒物が仕込まれていないか確認する上で開封はするが、手紙に関してはプライベートのため読むことはない。
(英語……シリウス達は無事に外国へ渡れたようですわね。きっと英語もコミュニケーションで必要になるため必死に学んだのですわね。お義母様に読んでいただくのが早そうですけれど今夜は遅くなりそうですし)
何通もある手紙も手に掴み美心の自室へ向かう。
レグルスの仕事の1つに美心の部屋の管理も任されているため自由に入ることが許されていた。
本来ならば秘書の仕事では無いがレグルスが自ら進んで買って出たのである。
ガチャ
扉を開けると比奈乃が床に座り勉強をしていた。
(また、この子は……勝手にお義母様の部屋に入ったりして。いくらお孫さまと言え図々しいにも程がありますわ)
「あ、レグルス」
「比奈乃様、学校はどうなされましたの?」
「今日は試験日だから午前中だけだよ。明日が苦手な算術の試験だから今から勉強してるの」
「それなら自室ですればよろしいですのに……」
「お婆ちゃんに教えてもらうほうが覚えやすいんだもん。お婆ちゃんは?」
「本日は遅くなると思いますわよ。場所が蝦夷地ですから……」
「そっか……残念。。ところでその手に持ってる黒い封筒って星々の庭園の連絡に使う書簡だよね?」
レグルスは咄嗟に手を後ろに回し隠すがすでに遅し。
比奈乃が興味津々で読もうとレグルスから奪い取る。
「うわぁ、英語か」
封筒から手紙を取り出し読もうとする比奈乃の言葉で安堵するレグルス。
だが、比奈乃が通う学校は国内でも最高位の者たちが通う所である。
鎖国中とは言え明治の世では当然ながら英語もカリキュラムの1つになっていた。
「シリウスから任務報告書!? ええっ、エゲレスのモンドン!?」
(エゲレス!? いや、それよりも比奈乃様も英語を読めるんですの? 手柄を全て奪われることにならないか気になりますけれど既に手紙は比奈乃様の手中。内容を知った後に考えても遅くは無さそうですわね)
「比奈乃様、その手紙には何と?」
「シリウスから何だけど読んであげるね」
比奈乃は試験勉強のことなど後回しにし手紙の内容を口に出して読み始めたのだった。




