学園へ・・・
その様子を見て八兵衛が阿部に話す。
「いやいや、阿部様。さすがに6歳で大僧正の領域なんて悪い冗談だ。それが本当なら、うちの子は将来神の領域にも及ぶってことですかい? ま、儂にとっては生まれた時から菩薩様ですがね、はっはっは!」
「もう、貴方ったら」
至って真面目な阿部とその護衛は表情を何一つ変えず八兵衛の話を聞いている。
その空気を感じ両親の表情も再び冷静さを取り戻す。
「美心、いつも朝に出かけていたけど何をしていたの?」
沙知代が真面目な顔をして美心に尋ねる。
誤魔化しても何度も通じるわけではない。
今回も嘘をついて言い逃れをするか、本当のことを話すか迷っていた。
(どうする、どうする俺。この空気だと正直に話しても捨てられることは無いようだけど明晴と会い続けていたことがバレてしまう。そうなるとまた家族の危機を迎えるかも知れないし……あーもう、どうでもいい!)
美心は思考を放棄してすべて話した。
明晴が家に来なくなってからも指南は受け続け、そのおかげで陰属性だけは高等術が使えるようになったことなどを両親に告白する。
「明晴様……ずっと家に来てくれないからまた流浪の旅に出たのかと思っていたけど違うのね?」
(おっかあの目がハートになってる! やっぱ、まだ惚れたままじゃん!)
「そうか、明晴殿がお前を鍛えてくれたのか。それは礼をしなくてはならないな。美心、明日の指南の後は必ず呼んできなさい」
(おっとう――! 家庭の危機を招くことになるっちゅーの!)
「ご、ごほん! 話を続けても?」
阿部が話を続ける。
「その学校は京にあってな。衣食住に関しては寮があるため、そこで生活をしてもらうことになる」
「京ですかい? 可愛い子には旅をさせろと言いたいが……まだ6歳の子を送り出すと言うのは世間体では捨てたと思われないじゃろうか?」
「美心はどうしたいの? 明晴様にずっと指南していただけるのなら、寺子屋に行く必要だって無いのよ」
(うーん、寺子屋じゃなぁ……学園モノを経験したいがなんか違うし)
「阿部のおじちゃん、その寺子屋って大きいの?」
「そうだな、多くは諸藩の大名のご子息や名のある武家からの生徒が多い。平民はごく僅かだが……そなたの才を持ってすれば周囲と渡り合えるであろう」
(なるほど名門校とか言うやつか。確かにそんな場所に通えるのはラノベ展開あるあるだ。そこに平民である俺が無自覚系主人公の生徒を演じ無双する……むほぅ、これは楽しいかもしれんぞ)
「因みにその学校は6歳から18歳まで通うことになる。小学部・中学部・高等部と分かれているが1つの区画にすべて集まっているため、生徒数は軽く1000を超えるだろう」
(1000人以上の学校……だとっ! こ、これは……まさか異世界で学園モノが展開されるってことか!? キタ――! 勇者の俺が学園に通い魔王との対決に力を磨く。それだけじゃない、学園で仲間を手に入れパーティーを組む! んほぉぉぉ、これだ! これぞ、ラノベである展開にふさわしいものだ!)
美心の妄想は次々と膨らみ満円の笑みをこぼす。
「うへっうへっうへへへ……」
「なんだか、ものすごく楽しみにしているようね?」
「京か、遠いな。娘に会いに行くのも時間がかかるし……何より金が」
「ああ、学費はすべて幕府から支給させていただく。それと特待生という性質上、ご家庭にも僅かばかりではあるが支給させて頂く。生活の質を向上していただくことになるのは基本が武家階級の通う学園であるため示しをつけるためである」
「あなた、今より良い生活ができるんですって!」
「その申し出は確かに助かるが……むむぅ」
八兵衛は悩みながら美心と目を合わせる。
「おっとう、あたしその学校に通ってお国のために役に立つ存在になりたい!」
美心の眼差しは真剣そのものだった。
実際には日本の将来など微塵も考えておらず、ただ学園モノを経験できる期待感で頭がいっぱいなだけである。
だが、八兵衛には誤った美心の覚悟が伝わりこう答える。
「その歳で立派な愛国心が芽生えて……美心のためを思えば良い経験になるか? 分かった、阿部様! その話、了承しましょう!」
「幕府の者として心から感謝する。だが、1つ問題があってな。実は入学が卯月で今は文月……これも前将軍の書き残した書簡に気が付かなんだ我らに責はある。よって美心殿には編入という形で手続きを取らせていただくがよろしいか?」
両親が目を合わせ頷く。
「はい、美心をよろしくお願いいたします」
「うむ、では3日後迎えの者を寄越そう。それまでに出立の準備をしておくように」
沙知代の出した茶を飲んだ後、玄関から外に出る阿部とその護衛。
外で待機している御忍駕籠に乗ると駕籠者が持ち上げ江戸城へ戻っていった。
「沙知代さん、あのお侍さん達は?」
長屋の前には近所の人々が集まっていた。
慎之介の母が心配そうな顔をして沙知代に問いかける。
「ええっと……老中とか何とか言う役人の方で……」
特に内密にしておくよう忠告を受けていなかったためご近所さん達にありのままを話す沙知代。
その話は夕飯時だというのに瞬く間に広まってしまった。
(美心ちゃんは寺子屋に来ないのか……ほっ、良かったぁ。あんな怖い子だと寺子屋のみんなが知ったら友達も寺子屋に来なくなっちゃうかも知れないし、師匠も美心ちゃんに関しては口をいつも濁らせていた。来てほしく無かったのは伝わっていたのは僕には分かっていたけど、明日教えてあげよう)
母の隣に居た慎之介は安堵した。
釜の前でご飯を炊く美心につい視線を向けると目が合ってしまう。
ニコッ
ゾクッ!
美心は笑顔をして返すが慎之介は瞬時にして血の気が引く思いをする。
3年前の美心が向けた暴圧は慎之介の心に深く染み付いて今でも夢の中でうなされるほどだ。
「あら、どうしたの? 慎之介」
「僕、先に部屋に戻ってる」
「ごめんなさいね。美心ちゃんとたまに遊んであげなさいって言っても、いつも言うことを聞かなくて……」
「いいですよ。男の子と女の子なんだもの、きっと恥ずかしいのでしょうね」
「おう、沙知代! 今日はみんなで宴じゃ。弁当を作って桜広場で一杯するってことになった」
「あら、良いわね。お弁当に変えるだけなら簡単だし」
近所の人達もちょうど夕食の準備だったのを弁当にし近くの桜広場にて美心の祝会を開いたのだった。
自分のために多くの人が集まり祝ってくれる。
美心は転生前の定年退職時で参加した送別会ぶりに胸がじーんと熱くなり思わず涙が出てきそうになった。
(おっとう、おっかあ、俺はやるよ。勇者としてこの国を魔王の好き勝手にはさせない!)
宴会も無事に終わりを迎え、酔い潰れる者も多かった。
当然ながら八兵衛もその中の一人である。
「あなた……起きて。帰るわよ」
「今の季節なら放っておいても死にはしないよ。あたいらは帰って子どもを寝かしつけようかしらね」
「そうね、美心も眠そうだし出立の準備で色々と用意してあげなきゃ」
母に背負われ眠りながら長屋に帰る美心。
深夜、厠のため目が覚めると沙知代はまだ起きており立派な反物を取り出して何かを編んでいた。
(入学のための準備をしてくれているのかな? ま、3日だなんてすぐだもんな。おっかあ、幸せそうな表情をしながら作業をしているし邪魔しないでおこう)
翌朝、いつものように明晴から指南を受けるため河原へ向かう美心。
「おはよう、美心っち。ん、どしたん?」
「お兄ちゃん、昨日阿部のおじちゃんが長屋に来たよ。あたしに京の学校で陰陽術を学んでみないかって」
「えっ……あ、そうか。もう3年経っちゃっていたんだ?」
明晴は不老不死の啓示を女神から受けているため時間の感覚は常人とは異なっていた。
そのため、美心と出会ってから3年経っていたこともずっと気が付いていなかった。
「お兄ちゃんから将軍様に願い出たって聞いたよ。お兄ちゃん、どうしてあたしにそこまでのことをしてくれるの?」
「そ、それは……」
明晴は顔を赤くしつつ小さく言葉を放つ。
「美心っちのことが……好きだから。あーしと同じ転生者だし……」
「えっ、なんて? よく聞こえなかった」
「ま、まあ陰陽術に詳しくなれるんだから良いじゃん。美心っち、陽属性も使いこなせるようになれるかもよ。学校の方があーしより教え方だって上手だし!」
「お兄ちゃんはその間どうするの?」
「あーし? そうだなぁ、蝦夷地へ向かうか琉球に向かうか……。どちらもまだ日本の領土じゃないけど、将来はそうなるわけだし……ま、流れ者にまた戻るだけだわ、あはは」
ペコリ
美心が深々と明晴に対しお辞儀をする。
「お兄ちゃん、今までありがとう。2日後、あたしは京に向けて出立しているはずだから明日でお別れだね」
(美心っち……そっか、あーしと同じで離れるのが寂しいんだ? あの学校の創設者とは親友だし、たまに顔も出してる。美心っちとずっと会えなくなるわけじゃないんだけど……うん、ここはいっぱい甘やかして不安を取り除いてあげよう)
「そっか……じゃ、今日と明日は思い切り遊ぼう。夏だし海が良いかな? 美心っち、山派なら富士山でも行く?」
(うん? 指南をしてくれないのか……まぁ、学校へ行くことになるから遊べる時に遊んでおくのも有りか? うーん、夏と言えば……やっぱ温泉だな)
美心の前世での最高の癒やし、それは温泉であった。
貸切露天風呂がある宿で泊まり湯に浸りながら電子書籍でラノベを読む。
それこそ史上最高の一時を味わえる。
美心は転生後、ずっとそれを体験していない。
ラノベが無いことは悔やまれるが温泉だけにでも久しぶりに行ってみたい気持ちが明晴の提案により高まっていた。
「温泉に行きたい!」
「温泉って……お婆ちゃん趣味みたいでマジウケするんだけど。でも、暑い時に暑いものもたまにはいっか。じゃ、美心っち行くよ」
明晴の飛翔で河原を離れる2人。
その日は草津温泉でじっくりと、翌日は下呂や道後・別府など日本各地の有名温泉を数か所巡り温泉を堪能した。
「ふぅ、久しぶりにいいダイエットになったかも。お肌もめっちゃ綺麗になったし」
「うん、めちゃくちゃ楽しかった。お兄ちゃん、ありがとう!」
(まさか、日本中の温泉施設をこんな短時間で回れるとは想像もしていなかったが……ま、どこも平和のようで魔王の驚異は海外だけだということが分かったのは大きな前進だな)
(美心っち、こんなに喜んでくれて……故郷を離れる不安も取り除けたようで良かった。あーしも温泉なんてあまり興味が無かったけど美心っちのおかげでハマったし、今度から見つけたら寄ってみるのも良いかも。でも、本当に美心っちって色んなことを知ってるなぁ。前世では秀才だったのかな?)
「お兄ちゃん、たまに学校へ来てね」
「もちろん!」
そして翌日、長屋の前には立派な駕籠と共に1人の侍がやって来る。
「お待たせした。将軍様の命を受け私、活海舟が美心殿を京の都まで無事に送り届けよう」
「お侍様、よろしくお願いします。美心、お迎えがきたぞ」
父が玄関の扉を開けると、そこには立派な着物を羽織り若干の化粧をした美心が母とともに立っていた。
「おお……」
(美心ちゃん、かわ……違う! 外見は良くても内側は鬼のような子なんだ!)
近所の人達も見送りに集まっており慎之介も玄関から顔を出してその様子を見ていた。
美心の姿を見た瞬間、我を忘れ見惚れてしまう者が多い中、慎之介だけはそうはならなかった。
「お、お侍様……京までよろしくお願い……し、します」
(くそぉ、なんでこんな格好をしなきゃなんねえんだ! 動きづらいったらありゃしない!)
美心は美心で気持ちよく門出を迎えるつもりが、着物のせいで心中が穏やかではなかった。
「こ、こほん……では美心殿、こちらへ」
駕籠の中に入り両親に手を振る美心。
「美心ちゃん、いってらっしゃい!」
「京でも頑張ってな――」
近所の人達も温かい声援を送ってくれる。
「美心ぉぉぉ!」
「美心、お手紙たくさん送るからね。あと年に一回は必ず会いに行くわ」
「うん、おっとう、おっかあ、あたし立派な勇者になる!」
「ゆう……?」
「では……美心殿をお預かりします」
駕籠者が美心を乗せた駕籠を担ぎ上げ長屋を出発する。
「美心、向こうでもお行儀良くするのよ――!」
「うぉぉぉ、美心ぉぉぉ――絶対に会いに行くからなぁぁぁ」
温かい声援を送られながら京へ向けて歩みを進める。
東海道を進み約2週間、活や駕籠者との旅が始まった。
「なるほど……活様はアヘリカに向かう予定なのですね」
「はっはっは、何年後になるか分からんが一度は日ノ本の外の世界を見てみるべきだと思ってな。我が国でも研究が始まった蒸気機関……あのようなものを作り出す者たちから学べることも多いだろう」
(この侍は俺の前世で言う所の勝海舟と同じ人物か? この人に付いて行けば魔王と相対することもできそうだが……むむむ、学園モノをプレイしてみたい気持ちも捨てがたい)
どっちにするか迷いながらも時間は進み滋賀の大津へ差し掛かる。
「これが琵琶湖……対岸が見えないと聞いてはいたが」
「もうすぐ京都ですね、活様」
「ええ、このまま進めば今夜にでも三条大橋に到着するでしょう」
モンスターと出くわさないか僅かに期待していた美心だったが道中、何も起こることがなく無事に東海道の旅路を終える。
(まあ、分かっていたけどね。モンスターと遭遇するのもやっぱ海外だな。なんて退屈な旅だったんだ。明晴に送ってもらえば数分で着いたものを……時間を無駄にしちまった。だが、明日からは……うへ、うへへへ。どんなキャラを演じるのが適切だ? やっぱ無自覚系主人公か、いやそれとも最初から実力を見せつける主人公か……いやいや、ここは能ある鷹は爪隠すってタイプの主人公でも有りか? くそう、迷う!)
「美心殿、到着したよ。ここが明日から君が通う国立陰陽術専門学校、泰山府君学園だ」
駕籠から顔を出し学園を見る美心。
広大な敷地に近代的な建築物。
何故か、その場所だけは大学のキャンパスそのままの風景だった。
(どうして、こんな近代的な建物が……ってか、あの時計台ってどう見ても京都大学の時計台だよな? まさか、この場所って……)
「活様、ここの通りは……」
「ちょうど、そこの十字路が百万遍だから東大路通だね。それがどうかしたかい?」
(京都大学そのままじゃねーか! 異世界の京都大学は江戸時代からあった!? ってことは、ここって本当に超エリート校なんじゃ? ヤバい……俺より普通に強い奴が何人も居たら俺はモブとして学園生活を全うすることになる。嫌だ、そんなのは嫌だ!)
「さて、それじゃ寮に行こうか。寮母さんが待っているはずだ」
戸惑いながらも敷地内に入り歩みを進める。
どこの建物も夜間だというのに明かりがついて中が騒がしい。
若者達の楽しい笑い声が聞こえてくる。
「あはは……」
「うふふ……」
「ウェーイ、ウェーイ、ウェーイ」
「ははは、如何にも青春って感じがして良いものだねぇ。私もこのような塾に通ってみたかったよ」
だが、美心には違って見えた。
(違う、ここは陽キャの巣窟だ。なんてことだ! あのウェーイを聞くだけで吐き気を催しそうだ。くそぅ、よく考えれば俺はどちらかというと陰キャのような学園生活を送ってきた。しかも、今回は寮生活。24時間寝食を共にするなど……)
「こんばんは」
「あら、いらっしゃい。待ってたわよ。そこの子が美心ちゃん?」
「はい、よろしくお願いします。美心殿、あいさつを……美心殿?」
「あらあら、顔色が優れないわね? 長旅で疲れたのでしょう」
「すみません、先にお部屋へ案内していただいても?」
「はい、こちらへ」
6歳から18歳まで通うこの学園では寮も当然ながらある程度の年齢ごとに区切られている。
美心の案内された寮は6歳から9歳までの子を預かる保育面も有するため、児童養護施設のように多くの従業員を必要としていた。
(意外と大人も多いんだな。まあ、6歳から寮生活になる以上はそれも当然か? パリピ族はこの寮には居ないようだ。まるで幼稚園のように小さな子ばかり……これなら何とかやっていけそうだ)
「ここが美心ちゃんのお部屋よ」
「……誰か居るようですが」
「寮なので当然ながら相部屋ですよ。ナギちゃん、これから仲良くしてあげてね」
「んあ……仙台藩伊達家三女、伊達凪だ。よろしくな!」
(くそぅ、まだキャラ設定を細かく決めていなかった! まさか、こんな形で出会ってしまうとは……取り敢えずは普通にしておくしかねぇ!)
「よ、よろしく……お願い……します」
「美心ちゃん、長旅で少し具合が悪いみたいなの。少し寝かせてあげてね」
「はん、情けねぇやつが相方になっちまったもんだぜ。ま、寝てる分にゃ静かで良いが……」
(こんクソガキめ……子どもにしたって話し方が生意気過ぎる。伊達家だぁ? 仙台藩の伊達って……えええっ、伊達政宗の子孫じゃねーか!? ネームドキャラにしたってそんな大物と同室だとっ? どうする、ここは仲良く相手をするほうが得策か? いや、それにしても今の俺は具合が悪いことになっている設定だ。ここは大人しく寝てしまうほうが相手にせず済む)
寮母に着物を脱がしてもらい、そのまま用意されていた布団の中に入る。
「では、書簡に印を頂いても?」
「ええ。ナギちゃん、何かあったら言ってね」
「んあ、分かったよ」
室内には美心と凪の二人になる。
同じ寮に暮らす以上、凪の年齢は6歳から9歳であるのは確実である。
たとえ年上だとしても、同じ幼年期である以上そこまで相手のことを気遣う必要も無い。
美心はそう思うようにし必死に眠ろうとするが緊張してなかなか寝付けずにいた。
ゴソッ
「へへっ、美心とか言ったけな? てめぇ、可愛いじゃねぇか。今日はアタイと寄り添って布団で寝ろ。いいな? 異論は言わせねぇ」
何の躊躇いもなく美心の布団に潜り込み耳元で囁く凪。
(こ、こいつ……幼児でありながら変態か――!)
こうして美心の学園生活が始まることになった。




