長州藩にて(其の弐十壱)
銀兵衛は行人が放つ熱線を間一髪で避け無数の水球を空間内に顕現した。
「くくく、炎の魔人なら水陰陽術で!」
顕現した水球を行人に向け放つ銀兵衛。
巨大な水蒸気を上げ行人が一瞬にして見えなくなってしまった。
「まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだぁぁぁぁぁぁ!」
狂ったかのように水球を顕現し続け行人に向け放つ銀兵衛。
それは端から見ると得体の知れない存在に対する恐怖心を払うような行動だった。
「あの男……怯えているにゃ」
「ええ、妾達では手も足も出せなかったほどの強者が……」
「悪人の末路はいつの時代も哀れなものだと体現しているようだな」
「見ていてスッキリする……ね、お姉ちゃん」
「ええ、私達の中にあった恐怖心もマスターのあのお姿を見るだけで浄化されていくようだわ」
「デネボラ、ベガの容態は?」
「傷は全部塞がったけど血を流しすぎて……」
「輸血はここじゃできぬでござるからな」
「確かアンセルが救急キットを持っているはずだ」
「アンセル?」
「ああ、エゲレスで悪魔教に捕らわれていた日本人さ。シリウスが仲間にしたんだ」
「アンセルとベガの血液型が同じだったはず……誰かベガを連れて行ってくれない?」
「なんだい? シリウスが連れていけばいいじゃないか」
「私はお義母様とあの男の戦いを見なければならないの……」
「じゃ、僕だってマスターの一挙一動を研究する必要があるから行けないね」
「あたしもここにいる」
「ん、あたしも」
「わ、私も……」
「某も無理だな」
「ムジカもなの!」
「拙者もでござる」
「ふにゃぁぁぁ、にゃろも無理だにゃ」
皆、行人をずっと見ていたいという欲望に抗えずにいた。
それが例え瀕死の仲間がいたとしても、お義母様であった美心の新たな姿に見惚れてしまいここから離れる気すら失っていたのである。
「も、もう! みんな薄情すぎない!? いい、うちが行く!」
デネボラがベガをおんぶすると秋芳洞の入口へと走り去っていく。
誰もそれを見ること無く行人のみを凝視していた。
ジュワッ!
「くくく、ウォーターハラスメントまで俺に侵させるとは! 何という悪の所業! ハラスメントは究極の理威狩違反である! 貴様は水に溺れ惨めな最後を送るのが最適!」
「ごぼっ! ……ぶふっ……なるほど……次は水か……」
銀兵衛が放った水が行人を包み水塊となる。
それは大造寺が使っていた水陰陽術と同じものであることは戦ったことのあるリギル達にはすぐに理解できた。
「ああっ、マスターが水塊の中に!」
「大造寺と似たような陰陽術を……」
「ん、やっぱり相当な使い手だね……あいつ」
「助けなくちゃ!」
シリウスが一歩動いた次の瞬間。
バリバリバリ!
シリウスの足下に巨大な溝が生まれる。
「羽虫共め、そこから一歩でも動くと理威狩違反として瞬殺する」
恐ろしい形相で睨みつける銀兵衛の姿にまるで金縛りにあったかのように動くことができなくなった星々の庭園の皆はその場で行人の動向を見守るしかなかった。
「ごぼっごぼごぼごぼっ」
水の中で何か言っている行人。
炎の中にいた時と同じく余裕である。
(んー水中じゃ喋れないな。折角、説明してあげようと思ったのに……そう、あれは俺が小学生の頃、川遊びに行って溺れた時だった。息ができず身体が強い流れに流されるまま水上に上がることもできず、ただ死を迎える俺は見たんだ。水中を優雅に泳ぐ鮎の姿を……そこで俺は思った。魚は何故、息をせず優雅に泳いでいられるのかと……幼かった俺は当時、エラ呼吸など知らなかった。ただ、無呼吸でも生きている魚が謎で仕方がなかった。そして、その疑問は俺に一つの光明を見出したんだ。俺も呼吸など必要ない魚になれば良いと……いや、なるなら魚ではなく水の精霊だ。そう、俺はあの時確かになったんだ……リヴァイアサンに!)
しゅぅぅぅ
水塊が収束していき、行人の瞳の色がきれいなコバルトブルーに変わる。
「な、な、な……き、貴様……あれだけの水を……どこへやった! 何なのだ貴様はぁぁぁぁ!」
「アーイ・アーム・リヴァイアサン」
ピッ
シュパッ!
ウォーターカッターのような細く強烈な水流を銀兵衛に向けて放つ行人。
「ふふっ、リヴァイアサンか。叡智の書第7巻第4章第2節に書かれていたね。水の怪物リヴァイアサン……お義母様は再び変化したんだ!」
「「!!!!!」」
「神のみぞ出来る芸当だな」
「ええ、お義母様はやはり神」
人が属性を帯びることもその帯びた属性を変えることもシリウス達にとっては未知の領域だった。
信じ難いことが眼前で起こっている。
ただただ、行人を無言で見守るしかできなかった。