草津にて(其の陸)
「お……義母様……いっ……痛いずらぁ」
アルタイルの特殊体質で初めて負った傷は身体が記憶しようとするため状態が固定化する。
結果として激しい熱さと痛みに長時間耐えなければならないのである。
「まったく! せっかく元の綺麗な身体に戻ったと思えば、また傷だらけじゃないか!」
「ごめんなさいずらぁ」
「一度、宿に戻ろう。痛いかもしれないがおぶるぞ」
コクッ
頷くアルタイルをおんぶし浮遊陰陽術で草津の温泉街へと戻る。
すると……。
「ギャォォォン! ギャォォォン! お気持ち表明するのはクソオスにわからせるため! ギャオオオン!」
「ぶひぃぃぃ! 女―――! 女だ! 早く新しい女をよこせぇぇぇ!」
温泉街はまるで世紀末のような悲惨な状態になっていた。
源泉に混入した呟憤怒女化促進剤T型がすべての宿の浴場に滞留し感染者を激増させたのである。
女は呟憤怒女へと、男は性欲の止まらない雄豚となり温泉街で未感染者の観光客や従業員に襲いかかる。
「はははは! これで草津村村長は終わりよ! 退任し新しい村長を決めなければならない! さぁ、従業員の皆さん! これは村長の仕業です! 今こそ悪の大本山へ突撃を!」
「おめぇもその村長の嫁だろうが!」
「そうだ! そうだ! 責任取りやがれ!」
「あの慈悲深い村長がそんなことしない! これはきっとアンタの仕業だ!?」
温泉街で働く者達は百合子の豪遊癖をよく理解していた。
だが、優しい村長に迷惑をかけまいと皆は見て見ぬふりをしていたのである。
「ち、違う! 悪いのは村長……」
「女! 女だ! ぶひぃぃぃ!」
「い、いやぁぁぁぁ!」
雄豚と化した観光客に襲われる百合子も呟憤怒女と化す。
「……ギャォオォォン! ギャオオオン! 男嫌いが男から金を巻き上げるのは当然の権利! ギャォォォン!」
「ん、ミイラ取りがミイラになっちゃったね」
ドゴッ!
宿で休んでいたコペルニクスはいち早くこの異常事態に気付き1人で対処していた。
感染した観光客にも容赦ない鉄パイプの強打を浴びせ意識を奪っていく。
「コペルニクス!」
「マスター、ご無事で良かった。犯人はこいつ。村長の奥さん」
「ほぅ? この事件に詳しそうだな。話してみろ」
今までの経緯を話すコペルニクス。
その話を聞く美心は愛してやまない温泉街をこのようにした悪魔教に呆れを通り越し悲しみさえ覚えていた。
「ホスト狂い……だとっ!? なんて残念な奴なんだ。幸せになれなかった女というのはこんなにも凶悪になるものなのか? はぁ……なんかどっと疲れた。アルタイルの介抱もあるし部屋に戻る。後は頼んだ、コペルニクス」
「ん、御意」
部屋に戻るとただれた皮膚が化膿しないよう消毒をする美心。
「痛いずらぁ……」
「アルタイル、せっかく用意した見合いだが……こんな事態になって、明日にでも謝りにいかないと駄目だな」
「お義母様! オラ……オラ……何が何でも結婚したいずら!」
「えっ?」
アルタイルの口から出た思わぬ言葉。
彼女は呟憤怒女の妄想に取り込まれ時、婚期を逃した者達の深い後悔と嫉妬の念から重大なことを知った。
今のうちに結婚しておかなければ残念な連中のお仲間入り確定ルートだと。
幸せな連中に所構わず八つ当たりをする凶悪さはとても醜悪である。
心根が正直なアルタイルは呟憤怒女と化した時、それらを悟ったのである。
「そうかそうか! ぐすっ……やっと、その気になってくれたんだな……お前の相手は村長の息子だ。写真を見せた時、相手もお前のことを気に入った様子。これからは草津温泉反映のため夫と共に頑張るんだぞ」
「はいずらぁ」
翌日、カオスな状況だった温泉街は一変し静寂に包まれていた。
昨夜のうちにコペルニクスの制裁と美心の陰陽術で呪物はすべて排除された。
呟憤怒女と化さなかった観光客は恐怖のあまり街から逃げ出し、今この温泉街にいる観光客は美心と連れの2人のみ。
「街を救っていただいたことは感謝します。ですが、いくら何でもこれはやりすぎでしょう!?」
「誠にそのとおりでございます! ほら、コペルニクスも頭を下げろ」
「ん、マスターの勅命に張り切ってやった」
「お前ぇぇぇ、張り切っちゃ駄目なんだって!」
従業員に叱られる原因を作ったのはコペルニクス。
呟憤怒女と雄豚に容赦のない鉄パイプの強打で全員が全治3ヶ月の大怪我を負ってしまう。
さらに全ての宿や湯畑、街の至る場所に打撃の痕が痛々しく残っていた。
「そうだ! 私の有り余る財産でここに病院を建てましょう。温泉病院をです。なんせ恋の病以外は完治すると噂の絶えない草津の湯! 宣伝費も春夏秋冬財閥がすべて負担いたします。だから、だから……アルタイルとの婚約をどぉにか取り消さないでいただきたい!」
村長は今回の事件の犯人が妻の仕業だということに衝撃を受け床に伏せてしまった。
今、この村の長を務めるのは長男である。
美心はなんとしてでも今回の婚約を破断にしないことだけに全神経を研ぎ澄ませていた。
「ま、まぁ……そういうことなら」
「ありがどうございまぁぁぁす!」
街の損壊費10億、重傷者532名の治療費9345万。
すべて春夏秋冬財閥から支払うことになったのは言うまでもない。