乱入にて(其の弐)
美心は男の攻撃を受け流しつつ蕎麦を食べる。
熱々だった汁はすでにぬるくなっており美味しさも半減していた。
美心は気付く。
このような時には七味唐辛子をかけ舌に刺激を与えれば熱々に感じるのではないかと。
「ずずっ……七味……七味……くそぅ、七味唐辛子は蕎麦屋だ!」
「くくく、独り言で恐怖を紛らせているつもりか? 無駄だ、貴様のハラスメントはすでに数千にのぼる! 理威狩に屈せよ!」
男の攻撃が激しさを増し、美心は倉庫の端まで追い詰められる。
すでに汁は半分以上溢れ、蕎麦が汁に浸かっていない状況だった。
美心は絶望する。
汁に浸かっていない蕎麦などざる蕎麦以外に許されるものではない。
しかも、水切りのしていない蕎麦……これ以上、美味い蕎麦の味が下がっていくことに美心は勘弁ならなかった。
ドゴッ!
男の攻撃を受けるたびに丼ぶりから汁が溢れていく。
美心は考えた。
残りの蕎麦を一気に口に含み、残り少ない汁で飲み込めば見事完食できると。
(やれる! やれるぞ! 今の俺なら食える!)
「ズズッ!」
丼ぶりに口をつけ蕎麦を流し込む美心。
「くくく、逝ねぇぇぇ! 切り裂きジャップゥゥゥ!」
隙だらけの美心に男の容赦無いエルボーが放たれ、男の肘が美心の腹に直撃する。
ドゴォォォ!
「おぶぇぇぇぇ!」
あまりの威力に美心は吹き飛ばされる。
胃に流し込んだ蕎麦を吐き出しながら……。
ヒュゥゥゥ……
ズガッズガッガッガガガ!
倉庫を破壊し民家を破壊し二条城まで吹き飛ばされる美心。
「お義母様ぁぁぁ!」
「にゃ!? 主ぃぃぃ!?」
「くくく、貴様らの始末は後回しだ。まず、瀕死の切り裂きジャップに理威狩しなければならないのでな」
男は美心が吹き飛ばされた跡を進み二条城へ向かう。
レグルスとカノープスは互いに目を合わせ頷く。
「妾達ではお義母様の足手まといになるだけですわ。お義母様なら大丈夫……けれど、問題はあの男ですわね。彼は強い……もしかして、悪魔教徒ではなく悪魔そのものなのかもしれませんわ」
「奴が危険にゃのは同意するにゃ。にゃろ達では歯が立たないことは明白だにゃ」
「……妾達に出来ることはありませんわね。屋敷に戻ってお義母様が無事に帰ってくるまで祈るだけですわ。それに……投獄されていたからお風呂に入って身体を洗いたいですわ」
「にゃ、確かに臭うにゃ。レグルス……その……身体はにゃんともにゃいにゃ?」
レグルスが自身の変化に気付いていないことを察したカノープスは諭すように話しかけると、彼女は特徴的なツインテールにしていた髪留めを外し髪を下ろし自身の髪を見て驚愕した。
「な、何ですのよこれぇぇぇ! 妾の髪が白髪に!?」
「白髪じゃにゃいにゃ。にゃろから見ると淡い桜色に見えるにゃ。ソメイヨシノのような白に限りなく近い桜色だにゃ」
「カノープス、急いで屋敷に戻りますわよ。鏡で自身の姿を確認したいですの」
レグルスは重症のカノープスを背負い足早で屋敷へ戻っていった。
場所は移り、二条城……徳山幕府における京都の拠点である。
史実と異なるこの異世界では、ここで慶喜が大政奉還を行うことはなく将軍が上洛の際、宿泊所として活用されていた。
普段は手入れをする使用人と数名の上級役人である武士によって管理されている。
「い、いててて……野郎! 食ったもん全部吐いてしまったじゃねぇか!」
「な、何奴!?」
「貴様、ここが幕府の直轄地と知っての狼藉か!」
「え?」
辺りを見渡す美心。
北を向くと見覚えのある平城がある。
美心の顔から血の気が引いていく。
(やっべぇぇぇ! 二条城の敷地内じゃねぇか! ここはおそらく本丸庭園……手入れされた庭もボロボロになって……)
今までうっかり破壊してしまった寺や神社だけでも大罪だが、美心は財閥の財力で全てを黙認させてきた。
しかし、今回は徳山家の所有物である二条城の庭園。
如何に春夏秋冬財閥と言えど弁償だけで済まされるはずがないことは明白である。
唯一、分かるのは彼女が身に纏う特徴的なボディースーツと目深のフードのおかげで美心本人とは誰も気付いていない。
「待たれよ! その者……見覚えがある。確か……以前の元号である慶応の時代、倒幕派を尽く根絶やしにした伝説の人斬り……ジャップ・ザ・リッパー!?」
「な、な、な、なんだってぇぇぇ!」
美心を取り囲む武士達が驚愕する。
幕府に忠誠を誓う者達にとってその名は畏敬の念を抱く対象である。
美心は今の状況を言い逃れるために切り裂きジャップを演じることにした。
「逃げ……ろ! げふっごほっ!」
美心は隠し持っていた血糊を素早く口に含み吐血してみせた。
「何があったのだ?」
「奴が……奴が来る! 最強の維新志士が!」
「最強の維新志士? 明治の世になってまだ過激な尊皇攘夷派が暴れているのか!」
「な、な、な、なんだってぇぇぇ!?」
「お主はまだ倒幕派を屠るために……人斬りを続けて……」
「逃げろっ!」
美心の圧巻の演技に武士達は見事に騙され、彼らは刀を抜き周囲を警戒する。
「これ以上、お主に罪を着せる訳にはいかぬ! それにこの場は我らが守らねばならぬのだ!」
「おおっ、やってやるぜ!」
武士達の瞳は熱い使命感に燃えていた。
(えええ、なんで!? 去ってくれないと俺が逃げられないんですけど!)
美心の想定とは異なり武士達は美心が吹き飛ばされた際に壊れた城壁に近付く。
「くくく、ここまで飛ばされていたか」
「こ、こいつが……最強の維新志士!?」
「で、でけぇ!」
男の身長は約200cm程度。
対する武士達は約160~170cmで体格差に驚く。
「まるで信長公の家臣であった弥助であるな」
「くくく、弥助ハラスメント成立。それにしても雑魚がぞろぞろと……」
「か、勝てるのか!? 我らだけで!?」
「切り裂きジャップだけに任せるというのか!? 我らは幕府のために……」
パァン
男の目にも見えない高速拳で1人の武士の頭が吹き飛ぶ。
ドシャッ
それを見た他の武士達は恐怖し身動きができなくなる。
「こ……これが……最強の……維新志士!?」
「勝て……ない……我らでは!」
「くくく、逃げることは許さん。ランアウェイハラスメントとして理威狩アウトだからな。だが、何もしないことも許さん! それはノーアクションハラスメント! 故に貴様らは理威狩において死あるのみ!」
武士達は恐怖と共に謎の状態に陥る。
(何、言っているか分からぬ!?)
そう、理解できない言葉に混乱という状態異常である。