清水にて(其の壱)
レグルスが京都町奉行に監禁された当日のことである。
春夏秋冬邸にて美心の下に一通の矢文が届く。
(清水寺の舞台にて待つ。貴女の愛する娘のためにも迂闊な行動は控えるべし)
その手紙を読んだ後、美心は怒りに打ち震える。
(愛する娘……だとっ!? ま、まさか比奈乃がまた攫われたのか! 誰だぁぁぁ! 俺の比奈乃に手を出す愚か者はぁぁぁ!)
美心はまだレグルスが冤罪で捕まったことを知らない。
そもそも、レグルスという有能な人材が捕らえられることすら想定していなかった。
そのため、自ずと矢文の内容が比奈乃だと錯覚する。
「信濃条、泰山府君学園から連絡は!?」
「いえ、特には何も」
「なんだとっ!? だとすれば学園に比奈乃はまだ居るのか? いや、だが……この矢文には比奈乃を貰っていくぞ、返してほしくば大金を用意しろと……」
「美心様、そのようなことは書かれておりませんが……」
美心の脳内で妄想が加速する。
比奈乃は今朝いつも通り信濃条の運転する車で学園へ向かった。
攫われたとすれば、それ以降……授業中では決してありえない。
今の時刻から考えるに昼休み、1人で歩いているところを背後から襲われ攫われたことが最もあり得ると自らの脳内で比奈乃の拉致事件を完遂させた。
「そ、そうか……昼休み中だから、学園側もまだ把握していない。そうだ、そうに違いない! 比奈乃、今助けに行くぞ!」
ダンッ
自室の窓から飛び出し目にも止まらぬ速さで清水寺で向かう美心。
いつもなら観光客で多く賑わっているが、今日に関しては人っ子一人いない。
「比奈乃―――! むっ、人の気配?」
ザッザッザッ
舞台へと赴いた美心の背後にピンクのローブを被った集団が突如として現れる。
武装をしており単なる観光では無いことは一目で理解できる。
「くくっ、なるほど……比奈乃を攫ったのは悪魔教だったか。俺の大切な孫娘に怖い思いをさせた貴様らは万死に値する! 俺に慈悲など期待するなよ、残念なしわわ共がぁぁぁ!」
「ひっ!」
「やっぱ無理だ! 化け物ババア相手にあたしらは虫けら同然!」
「わ、私は逃げ……ぺぎゃ!」
ボンッ
「へっ、汚え花火だ……」
逃げようとした悪魔教徒が突如、内部から爆発する。
美心が指を指した相手に高濃度の陰陽力を大量に送り込み膨張破裂させる陰陽術「破」。
美心は何処かで聞いたことのあるセリフを放つ時は必ず使用することを心に決めている。
「ひぃぃやぁぁ!」
「皆の衆、私達にはあの方が付いている! みっともない姿を晒すな!」
悪魔教徒達は恐怖に怯えながらも美心を包囲し逃げようとしない。
本堂から何者かが姿を表す。
悪魔教徒と同じような儀式ローブではなく着物姿の女性である。
「き、貴様ぁぁぁ……またか!」
「おおっ、ミストレス様だ!」
「ミストレス様!」
「……痛しの君、貴女から極上の痛みを与えていただくためなら磨呂は何でも致します」
「この厚顔無恥女が……いい加減、俺の前から消え失せろ! 2度とその悪役顔を俺の前に晒すんじゃねぇ!」
「ああっ、良い! そうですぅ、もっと磨呂を罵って下さい! ですが、言葉責めは毎度のこと! そろそろ、その血に塗れた拳で磨呂を力の限り殴ってくださぁぁぁい!」
(話になんねぇ! 中御門舞香こと面河淳美……大奥の最高権力者である老女を数十年間務める幕府の闇の権化。まるで大奥を娼館のように裏で女中を餌にして老中や若年寄など権力者に近付き、あらゆる不祥事を口封じしてきたのは調査済み。舞香の面の皮の厚さが日本一なのは学生時代から変わっていない。こいつに手を出せば俺の地位でさえ剥奪され罪人となってしまうのは確実!)
美心は舞香に危害を加えることは幕府に歯向かうことと同義だと思い込んでいる。
学園を卒業後も舞香に嫌がらせを受け、何度も手を出しそうになるが必死に堪え今に至る。
反対に極度のドMである舞香は学生時代から美心に甚振られることを生きる目標としていた。
美心にありとあらゆる暴力を振られることを至上の幸福としている舞香にとって、今生で終盤に至る老年期は最後の砦である。
彼女にはもう後が無い。
この人生で一度も手を出されたことのない舞香は美心に放置プレイされていると悦びを感じつつも、悪党を容赦なく斬り捨ててきた美心の圧倒的暴力を見ることで我慢も限界に達していた。
寿命で亡くなる前にせめて一度だけでも美心に引っ叩いてほしい……。
舞香は死後、再び天界で女神フレイヤとして痛みとは無縁の神生を過ごすことになる。
そのため、彼女はなりふりを構わず行動を起こすことを心に決めていた。
「痛しの君、ご先祖のお墓参りは出来ずじまいで残念でしたね。貴女のご先祖が眠る墓を消滅させるよう暴食の墓盛に指示したのは磨呂! 激おこぷんぷん丸でしょう!? さぁ、さぁ、さぁ! その怒りを磨呂にぶつけてくださぁぁぁい!」
「えっ? あのアンバーとか言う奴ってお前の命令で動いてたの?」
「そうですぅ! 呪物を授けたのも磨呂ですぅ。だから、だから、早くぅ!」
舞香は頬を美心の眼の前に出して殴るよう指示する。
だが、美心は舞香の罠に知らぬ内に嵌まっていた事に愕然としていた。
(な、なんてこった! アンバーは呪物と一体化していたから容赦なく消してしまったぞ。まさか、舞香はその責任を追求するために俺の前に姿を現した? マズい……マズいぞ! 比奈乃を助けたいが、その前に俺が捕まってしまってはどうしようもない! ここは素直に謝罪すべき……か!)
「痛しの君ぃ、早く磨呂を殴ってくださぁい」
バァン!
「すみませんでしたぁぁぁ!」
美心は全力で土下座をし頭を地面に擦り付け舞香に謝罪する。
その姿を見ていた悪魔教徒達はミストレスこと面河淳美の力を思い知る。
「ねぇよ男性の代表格である春夏秋冬美心がああも易易とミストレス様にひれ伏した……だとっ!?」
「ひひっ、やはりヒトトセミコであろうと人の子というわけだ。自身の手で育てたレグルスとやら小娘の命乞いをミストレス様に懇願しているのだろう」
「なるほど……この作戦はセブンシンズであらせられる嫉妬の佛問が提案されたと聞いて不安に感じていたが」
「裏でミストレス様が操っていたというわけね」
「なんという素晴らしき光景……サタン様から神言を賜ったミストレス様はやはり本物だ」
「ミストレス様を信じれば余裕で女同士のマウント合戦を無双できるほどの高年収・高身長・高学歴の男と結婚できる!?」
「あ、貴女! まさか、そんなことを胸に秘めていたの! ねぇよ男性だぁぁぁ!」
「しまっ……いやぁぁぁ!」
つい口を滑らせた信徒はローブを剥がされ清水の舞台から投げ落とされた。
「あの御方についていけばキモい男共の絶滅は絶対!」
「雄無き世界に栄光あれ!」
悪魔教徒達は全員、舞香を崇めるかのようにその場でしゃがみ祈り始めた。
そして、舞香は何故か土下座をした美心に困惑をしている。