罠にて
数日後、捕縛した悪魔教の裁判の件で呼び出されレグルスは京都町奉行へ赴いた。
公事方で佛問ら悪魔教徒達を担当する出羽源五郎の下へ案内される。
離れの茶室にまで案内され中では湯を沸かす出羽が居た。
「参られたか。確か春夏秋冬殿の……」
「お義母様のことをご存じですの? 妾はレグルス。春夏秋冬財閥でお義母様の秘書を務めさせていただいておりますわ」
「なるほど……秘書なら詳しいか?」
1人で納得がいったかのように頷き茶をすする出羽。
勿論、レグルスには何のことか分からない。
佛問ら悪魔教徒のことも気になり話を切り出そうとした瞬間、出羽が先に口を開く。
「佛問茎子を含め悪魔教崇拝者12名は翌日に無罪が確定し釈放することになった。それより、レグルス殿貴女には名誉毀損罪で佛問から訴状が提出され受理されたのだが……」
「えっ?」
レグルスはその話を聞いた後、頭の中が真っ白になった。
(まさか、無罪放免だけでなく公の場を使って反撃までしてくるなんて……しかも、名誉毀損ですって!? 証拠もすべて揃っている状態でそれを受理をする奉行所も何をしておりますの!?)
出羽は話を続ける。
「吾輩もこのような事例は初めてでな。殺人罪が確定している者を無罪放免など有り得ん。どうも上から圧力がかかったとしか思えんのだ」
出羽は正義感の強い役人である。
悪魔教徒が起こす事件は今回だけでなく、出羽も度々頭を悩まされていた。
自らの足で調査を嘆願するも許可が下されることはなく今に至る。
「今回、妾を呼んだのは何故ですの?」
「む? レグルス殿がこの場を指定したのでは? 吾輩は春夏秋冬財閥から悪魔教に詳しい証人が話をしたいと連絡があったのだが……」
事前の話が食い違うことに違和感を覚える2人。
だが、違和感の正体が何処から来たのかは自ずと理解できた2人は目を合わせ息を呑む。
「どうやら嵌められたようですわね」
「吾輩も……足を踏み入りすぎたか……ぐっ、ぐぉぉぉ!」
「出羽様!?」
突然、苦しみ足掻く出羽。
レグルスは回復陰陽術を持たない。
人を呼ぶも離れのため声が奉行所本所まで届かないため誰も駆け付けて来ない。
出羽は数分と持たず泡を吹き息を引き取ってしまった。
彼の口内から僅かながらにアーモンド臭が漂う。
レグルスは叡智の書で似た話を思い出す。
(この独特な香りは……青酸カリ? 妾は嗅いだことの無い臭いですけれど、叡智の書に書いてあった劇薬であることは分かりますわ。お義母様しか知らない薬物が他者の手に渡っていただなんて……殺った方法として考えられるのは出羽様が口をつけた茶器に塗ってあった? 妾もお抹茶を頂きましたが何も変化が無いことから考えられる可能性は高いですわね。にしても……こんな狭い場所で妾だけが取り残された以上、疑われるのは確実ですわ。さて、どうしたものか……)
離れから本所に向かう間に悪魔教の者がその工作をしないとも限らない。
奴らが笑いを堪え近くに潜んでいる気がしてならないレグルス。
悪魔教の狡猾さは今、身に沁みて理解したところである。
しかし、いつまでもこの場を動かないのも逆に怪しまれる。
いくつもの悪い想定が頭の中を駆け巡りレグルスは頭を悩ます。
(妾に名誉毀損の訴状を叩き付けるだけでなく、更に妾自身に殺人罪の冤罪まで着せるなんて……佛問が大人しく捕まった時のあの余裕、ただの残念な女性だと思っていたけれど悪質極まりない手だけは完璧ですのね)
コンコン
障子の前に誰かやって来た。
「あの、どうかなされましたか?」
本所から微かに聞こえた者がやって来たのか、悪魔教の者か分からないが目の前の人にこの現状を知らせる以外に手は無い。
障子を開けたその者は泡を吹き倒れる出羽を発見すると冷静に周辺を調べ、レグルスと目を合わせること無く問いかける。
「貴女が殺ったのですか?」
「違いますわ」
「なるほど……殺ったと」
「え? いえ、だから違うと」
「一度言えば分かります。自首するのは良いことですね。その分、罪が軽くなるかもしれませんから」
まるで人の話を聞いていないその女性は陰陽術式無線機で伝え、すぐに岡っ引きが数人やってくる。
「うぉぉぉ、出羽さん! 出羽さん! 出羽さぁぁぁん!」
「貴様! 京都奉行所で最も人気のある出羽さんを何故殺害した!?」
「えっ? だから、妾では無いと……」
「なるほど……貴様も出羽さんに惚れていた女ってことかい? 先日、超絶美人の嫁をもらい結婚した嫉妬でこんなことをしたのか!」
(なんでっ!? 岡っ引き達とも話が噛み合いませんわ!? 最早、妾の仕業だと事前から決められていたような……)
「さっさと捕らえて牢へ連れていきなさい」
「へいっ」
(くっ、妾がこの場から逃げることは簡単ですわ。けれど、逃げてしまうと罪を認めたと言っているようなもの……ここは大人しく捕まるしかないようですわね)
レグルスは大人しくお縄にかかり牢屋へと閉じ込められる。
だが、不安な気持ちなど微塵も無い。
ここは京都、愛してやまないお義母様こと美心の耳にもすぐに入ることは明白だからである。
そして、その夜……。
「……レグルス、大丈夫かにゃ?」
天井から小さく囁きかける声が聞こえる。
「その声は……カノープス?」
天井裏から猫の姿でレグルスの下へ飛び降りるカノープス。
彼女は丁度、薩摩からの任務を終え京都に到着したばかりである。
ジト目でレグルスを見つめ小生意気な言葉を放つ。
「まったく……にゃろは帰ったばかりで疲れているというのに、レグルスは何をやってるにゃ。ドジを踏むなんてレグルスらしく無いにゃ」
「あの残念な集団……いいえ、悪魔教を甘く見ていたことは反省いたしますわ。まさか、奴らの一味が幕府の中にも入り込んでいるなんて」
「ふにゃぁぁぁ……むにゃむにゃ、にゃろは主からの言葉を伝えたら帰るにゃ」
「お義母様は何と?」
「論破してみせろ……にゃろには何のことか分からにゃいけれどそれだけだにゃ」
「論破って無理に決まっていますわ。奴らは口で言って分からせられるような相手では無いですのよ。そもそも思考がまるで違うことが痛いほど理解したところなんですのよ」
「今は耐えろとも主は言っていたにゃ。主も迂闊に幕府を敵に回せないのはにゃろの頭でも分かることだにゃ」
「今は耐えろ? まさか、お義母様が幕府を説得して下さるおつもりですの?」
「にゃふぅ、もう限界だにゃ。帰ってムジカのクソデカ脂肪袋を枕にして寝るにゃ」
カノープスはレグルスの質問に答えることなく、フラフラと天井裏から去っていく。
そして、2日が過ぎ3日が過ぎ尋問も無く、裁判日が決まること無く一週間が経過する。
その間、レグルスは獄中で何もない1日を過ごすだけであった。