99. 想いの行方
『愛している。ステラ。私の妃になってほしい』
頭の中で繰り返される。
どうやって返したのかも、どうやって帰ってきたのかも覚えていない。ただ、ヴェガードに手を引かれるまま、屋敷まで戻ってきた。
ステラは私室のソファで窓の外を眺めていた。
「ステラ」
ハッと我に返り、呼ばれた声の方を向く。そこには苦笑いを浮かべた兄が立っていた。
「兄さま」
ヴェガードはステラの側まで来ると、隣に腰掛けた。そして、いつものように優しく頭を撫でる。
「気になっているの?」
まるで、妹の心を見透かしたように微笑む兄に、今度は妹が苦笑いする。
「そう、ですね……」
「何を気にしているの?」
「エラトス殿下に何とお答えすればいいのか――」
「ステラの想いは?」
「――え?」
「僕はステラの想いを優先させたいと思っている」
ステラは目をパチパチと瞬かせた。にっこりと、微笑んだヴェガードは妹の手を握る。
「ステラが今、誰を想っているのか、正直に教えてほしい」
妹は眉間に皺を寄せ、考え込んだ。そして、ポツリポツリと話し始めた。
「エラトス殿下は――助けてあげたいと思いました」
「うん」
「でも愛しているかと聞かれたら……違います」
「うん……それなら、シアンは?」
妹は顔を上げて、兄と視線を合わせた。
「シアンは――」
妹は俯くと、少しずつその顔を赤く染めていく。その様子に、兄は口の両端を下げ、引き締めた。
「多分……そう、なのだと……思います」
ヴェガードは隠しきれなくなった口元を手で覆うと、『そうか』と一言、返した。
わかっていたことではあったが、実際に、本人の口から改めて聞くと、自分が思っていた以上の衝撃が走った。それに気が付くと、複雑な想いが湧き上がる。娘を嫁に取られた父親の気持ちというのは、このようなものなのだろうか?
「わかった」
それが、精一杯だった。
ヴェガードはそっと席を立つとステラに背を向けて言った。
「この後、学園に行くのだろう? 気を付けてね」
そんな兄の後ろ姿に、妹は首を傾げていた。
◇◇◇◇
学園から戻ってきたシアンに来客があった。
「やぁ、シアン。急にごめんね」
応接室で優雅に足を組み、微笑みを浮かべて待っていたのは、ヴェガードだった。
「ステラの事で話したいのだけど、いいかな?」
無言で頷くと、対面に腰掛けた。
ステラが『呪い』のことをヴェガードに自分から話すはずはない。
(――だとすれば、婚約者選定のことか?)
ヴェガードは音声遮断魔法をかけた。
「クロノスの所であったことを教えてくれる?」
「――ああ」
(そうか。星花の光はヴェガードの元にもいっていたのだ。だから、その時の状況が詳しく知りたいのか。なるほど)
納得したシアンがあの日のことを話し始めた。
まずメラクとステラが学園からあの丘に行ったのを追っていったこと。そして、ヴェガードの身にも星花の力が必要な何かが起こっていることを知ったこと。
星花の力を使うには魔力が必要で、三人でその木に魔力を込めた。その後、光は三つに分かれ、一つはメラクの身体の中へ、もう一つはヴェガードの元へ、最後の一つはステラに収められたということ。
「これがヴェガードにとっては一番、重要なことだと思うのだが」
そう切り出すと、ヴェガードは首を傾けた。
「ステラの『呪い』は、まだ解けていない」
「え?」
「クロノスに言われた。そして、ステラ自身もすでにそれを知っていた」
「何だって?!」
ヴェガードは驚き、目を見開いた。そして、すぐ何かに気が付き口を開く。
「まさか……七日間、目覚めなかったのは――」
シアンは静かに頷いた。
「ああ。『呪い』の発動だ。俺がステラに会いに行くことが出来なかったから、目覚められなかった」
ヴェガードは『はぁ』と大きな息を吐き、天井を見上げた。
「でも……何で?」
「ステラは、わからないと言っていたが」
急に苦しそうな顔をしたシアンに首を捻る。
「俺はステラにとっての『愛する者』ではなかったのかもしれない」
「はぁ?」
ヴェガードは呆気に取られた。
そんなはずはない。ステラの想いは確認済みだ。
あの様子に嘘はなかったし、間違いなく、ステラもシアンを愛しているはずだ。
(――では何故、『呪い』は解けなかったのか?)
ヴェガードは顎に手を当て、考え込んだ。シアンは俯き、酷く落ち込んだままだった。
「そういえば、ステラの中の星花は、無事に使われたよ」
「え?」
俯いていたシアンが、バッと顔を上げる。
「エラトス殿下に?」
「知っていたの?」
「ステラから一通り聞いている」
「そう。今朝ね、殿下に会ってきたよ。星花の光を渡して……そして、求婚されていたけど」
「は?」
シアンが怪訝な顔をする。
「ステラの想いは確認したから――まぁ、心配しなくても大丈夫」
ヴェガードは、にっこりとシアンに笑いかける。
「君との約束を反故にすることはないから」
そう言うと、ゆっくりと腰を上げる。
「さて。事実確認は出来たし、『呪い』については、ステラに直接、聞いてみるよ」
ヴェガードはシアンに背を向け、扉に向かって歩き出す。
「そうだ、シアン。君もステラに、直接、確認してみるといいよ?」
「?」
「本当の『呪いの解除方法』を」
シアンは目を見開いた。
「『呪い』は“言葉ひとつ”だからね」
振り返ったヴェガードは意味ありげに片方の口角を上げていた。
嫌味のひとつでも言ってやりたくなる小舅の気持ちか。ただ溺愛するほど可愛い妹を取られた兄の想いか。
それとも――
帰りの馬車の中。
ヴェガードは、そっと呟いた。
「――シアン、君が羨ましいよ」
その言葉は規則的な蹄の音に掻き消されていた。