97. 星花を彼に
愛することを知らない王子が初めて愛したのは、自分を心から愛してくれた婚約者ではなく、常に前を向いて、逆境に立ち向かう健気な令嬢だった。
令嬢から見れば、シンデレラストーリーである。
しかし、婚約者の立場から見れば――それは、ただの勝手な人たちに巻き込まれた悲劇でしかない。
確かに誰かを愛することは、個人の意思や想いがある。そこを無理矢理変えるというのは、難しいのかもしれない。このゲームの物語が評価出来る部分としては、王子の頭の中も、そして、主人公の頭の中も、よくありがちな“お花畑”ではなかったところか。二人とも、最低限、自分の立場を弁えていた。
それでも、ヴェガードとしては、複雑だった。
例え、それが『ゲーム』の中の物語だったとしても、そして、出てくるのが物語の中のステラだったとしても、ムカムカと胸の奥で燻ぶる苛立ちを抑えるのが、難しかった。
彼にとっては、命懸けで助けようとした健気な自分の妹を見捨てた王子でしかない。
でも自分の物語では自分がそうだったのだから。それはそれ、と割り切るしかないのかもしれない。
この現実では『ゲーム』の、どの物語とも違う。主人公のアリサは、もうここにはいないし、自分を含めたここにいる攻略対象と関わっていない。
そして、王子の想いは今、どうなっているのか?
今までは、政略的な関係しか考えてこなかった。
(今の彼はステラをどう想っているのだろうか?)
不意に浮かんだ疑問にヴェガードは、戸惑った。
『ゲーム』の物語の中のステラではなく、『呪い』のかけられた魂を持っていたステラではなく、異世界の『セイラ』の魂を持つ、今のステラだったら?
(変わった婚約者を、どう見ていたのだろう?)
ヴェガードの胸の奥にモヤモヤと霧がかかる。――もし、エラトスが今のステラを愛してしまっていたら?
複雑な想いが、ヴェガードの中に渦巻く。
物語ではエラトスの愛する主人公が、星花の力を使って、彼を救う。今、その星花の光は、ステラの中にある。ということは、エラトスの『想い』は、すでに――
ヴェガードは、静かに目を閉じた。
これはほぼ間違いなく、自分が考えている通りではないかと。王城に向かう馬車の中、向かいに座る妹にそっと視線を向ける。彼女は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
(ステラはエラトスの『想い』に、気が付いているのだろうか?)
どちらかというと彼女は、そういうのには鈍い方だ。多分、気が付いていないだろう。
(彼の気持ちに気付いたら、どうするのか?)
それだけは想像出来ない。今までもかなり突拍子もないことをしてきた。
彼女は考えが及ばないようなことを仕出かす。
自分の予想を遥かに超えてくるのだ。
――だから、可愛い。だから、護りたい。
これからステラがエラトスに、どう伝えるのか。兄として、側で黙って見守ろうと心に決めた。
◇◇◇◇
魔獣を無事に討伐し、思っていたよりも、遥かに早く帰城することが出来た。それもすべてアトラスの功績である。
彼の護りの魔法がなければ、かなり深手を負っていただろう。さすがは、《防御》の公爵家だ。
しかし、討伐後、何故、アトラスはあんな大笑いしていたのか、不思議に思った。そして、切り付けられたはずのアトラスが無傷で、何故、魔獣が傷を負っていたのか?
あれが、『反射』魔法だったとすれば、納得いくが、アトラスが《風魔法》を遣えると聞いたことがなかった。そして、あの時、彼が詠唱している様子はなかった。だとすれば、彼が身に付けていたあの魔法具にかかっていたと考えると、辻褄が合う。
――あれは、誰がかけた魔法か?
《風魔法》『反射』。
それが得意な人物は身近にいる者の中では二人。
ヴェガードと――ステラだ。
可能性としては彼の友人である、ヴェガードだ。しかし、ステラの可能性もある。
ステラがあれをアトラスに渡したとしたら、意味が変わってくる。
異性に輪になった装飾品を渡す。この意味は――
だがアトラスはシアンの兄だ。シアンとステラが婚約すれば、アトラスはステラの義兄になるのだ。それなら、その意味もまた変わってくるだろう。
エラトスは自分の中に複雑な想いが湧き立つのを感じていた。
「エラトス殿下。アステリア公爵令息ヴェガード様とご令嬢ステラ様が謁見を賜りたいとお越しでございます」
エラトスは『ステラ』の名にバッと顔を上げる。
昨夜から今までずっと会いたいと思っていた人が今、まさに扉の向こうまで自分に会いに来てくれている。そう思うだけで、顔が紅潮し、声が上擦ってしまいそうだった。軽く咳払いをすると、扉の向こうに答えた。
「構わない。通してくれ」
彼は一国の王子だ。
感情を顔に出さないことなど、容易い。
そうでなければならないと幼い頃からずっと訓練してきたのだ。国を護る国交や交渉、貴族たちとの駆け引きなど、感情が顔に出ては、支障をきたす。表情を上手く扱うことが必要不可欠だった。
しかし、彼女の前では不可能だった。そして、そのことを彼女の兄に見抜かれた。
「おはよう。アステリア家が、私に何用かな?」
にっこりと微笑むと、二人は笑みを返す。
「エラトス殿下にお話がございます」
話し出したのはステラだった。
ヴェガードはそんな妹の半歩後ろに微笑みを浮かべながら、黙って立っているだけだ。
「まずは、座って?」
ソファに促すと、二人は仲良く並んで座る。
「それで。話とは、何かな?」
「あの……恐れながら、殿下」
ステラが少し肩を震わせビクビクしながら、視線を彷徨わせる。その妹の様子に、ヴェガードは背中にそっと手を置き、ゆっくりと擦った。ステラは兄の顔を見ると、安心したように微笑む。
この兄妹は、本当に仲が良い。いつからか、そう感じていた。
ヴェガードが『念のため、失礼いたします』と声をかけ、音声遮断魔法をかけた。そして、ステラに話の続きを促す。
「エラトス殿下。あの……最近、お身体にお変わりはありませんか?」
「――え?」
驚き、目を見開いてしまった。
テミスを除いて、まだ誰にも伝えていない。自分でさえ、昨夜、気が付いたというのに。
それを何故、ステラがすでに知っているのか。
「私のことは、もうご存知かと思いますが……私はステラであって、ステラではありません」
「ああ。聞いている。理解するのは難しいが……」
ステラは申し訳なさそうに微笑んだ。
「私にはこの世界の事を少しだけ『予知』することが出来ます」
「何だって?! それは、本当か?」
「はい。ですから、昨夜の魔獣討伐の件も、すでに存じ上げております」
「え?」
「ご無事にお帰りになられて、良かったです」
にっこりと微笑むステラに、胸の奥がドクドクと高鳴る。
「それで……エラトス殿下にも『予知』をしましたので、その真偽を確かめたく、参りました」
「そうか」
俄には信じ難い話ではあるがステラとヴェガードがこんなに真剣に話している。そして、何よりも、魔獣討伐の件と自分の身体の事をすでに知っている事実が、彼女が嘘をついていないと示している。
この時、気が付いた。
アトラスに魔法具を渡したのは、やはり二人の内のどちらかだと。そしてそれは――多分、彼女だ。
「私は、エラトス殿下をお救いしたいと思っております。そして、その術を今、殿下にお渡ししたいのです」
エラトスは、弾かれたように頭を上げた。
自分はもう永くないのだと思っていた。それを、ステラが、救ってくれる? そして、すでにその術を知っている?
驚きのあまり、緩く首を左右に振った。
「いや、でも……何故?」
「このアルカディア王国の大切な第二王子殿下ではありませんか」
まっすぐにエラトスを見つめる。そして、少し照れたように俯いて、続けた。
「それに……殿下は、私の元婚約者ですし……」
恥ずかしそうに言う姿に、顔が赤くなっていく。彼女の前で感情を顔に出さない事は不可能だった。そして、それはすでに彼女の兄に見抜かれていた。
「殿下。私から殿下に星花の光をお渡しします」
「星花の光? あの、伝説の?」
「はい」
「それを……私に?」
「ええ」
そういって、ステラがゆっくりと立ち上がる。
エラトスの側まで来て『失礼いたします』と、隣に腰掛ける。そして、ステラはふわりとエラトスを抱き締めた。エラトスは驚き、目を見開いた。
温かな光に包まれる。
その心地の良さにエラトスは静かに目を閉じた。
ステラの胸の中から出た光の花は、エラトスの胸の中へと収まっていく。
光が消えていくと、エラトスの身体の中の苦しさも消えていた。
二人は、静かに目を開けた。
そして、ステラが抱き締めていた腕を解き、身体を離そうとした瞬間、ぐいと引き寄せられ、今度はエラトスに抱き締められた。
ステラと、その場で見守っていたヴェガードが目を見張る。エラトスはステラの耳元で囁いた。
「愛している。ステラ。私の妃になってほしい」
ステラは驚き、ポカンと口を開けたまま呆然としている。ヴェガードは大きく息を吸い込み止めた。
――『自分の考えは、間違っていなかった』と。