94. 完璧な王子
第二王子の婚約者がまた変わる。言いようのない虚無感に囚われていた。
いつも微笑みを絶やさない、完璧な王子。そんな完全無欠な人間、いるはずがない。
(――何故、いつも自分なのか)
盛大なガーデンパーティーが催された。王女である、妹エリスの婚約者を発表するために。
妹の想いはずっと昔から知っていた。その想い人と一緒になることが出来る。妹はとても幸せそうに微笑んでいた。
一時はこんな日が来るとは思えずにいた。二年前、昏睡状態になり、親族が交互に魔力を分け与えなければ、生きていられない状態だった。そこからの奇跡的な回復だ。無事に迎えることが出来たこの日を、喜ばないはずかない。
しかし、目覚めたエリスにはステラの魂が入っていた。ザニアに起きていることの詳細を聞くまで、確信はなかったが、今までのエリスとどこか違っていることには気が付いていた。ただそれが、まさかステラだとは思わなかったのだが。
学園に入る前までのステラ。それが今のエリスである。元婚約者で、今は妹。
想いは――複雑だ。
ステラは完璧な婚約者だった。
学園に入ってからは表情が豊かになり、ますます完璧になっていった。自分の前、以外で。
自分にも執着心があることを教えてくれたのは、彼女だった。そして、切ないという感情を教えてくれたのもまた彼女だ。それは前のステラではなく、今のステラだ。
守護神テミスの予言によって、解消された婚約。
自分がステラとの婚約を解消しなければ、ステラの命が失われると知れば、それも自分のせいで死ぬことになると知れば、解消せざるを得なかった。
自分の一体何に原因があって、死んでしまうことになるのかもわからないまま。
その原因がなくなれば、またステラと婚約出来るかもしれないのに。婚約を解消してから、ステラの元には止めどなく釣書が送られて来ているという。
胸の奥がざわつく。
ある時、テミスにステラと話したいと言われて、彼女を探していた。中庭の遮断魔法の中にシアンと一緒にいたところを見つけた。胸が抉られるような苦しみを感じた。
言い訳だったのかもしれない。けれど、どうしても伝えたかった。ステラを腕の中に収めて、耳元で囁いた。
『君と結婚出来たら良かったのに』
あれは、本心だ。
しかし、彼女はもう、彼女の道を歩き出した。
その後のガーデンパーティーや夜会で会う彼女はとても輝いていて。ヴェガードやシアンに護られ、幸せそうに笑っている。そんなステラを、遠くから見ているのもいいのかもしれない。
彼女が幸せでいられるなら。それでいい。
この気持ちを『愛している』というのだろうか。自分は将来の妃に愛を囁くことが出来るだろうか。
(彼女以上に想える相手が妃になるのだろうか?)
自分が思うよりもずっと、ステラに想いを寄せていたのだ、と。ずっと気付かずにいた。――いや。気付かないふりをしていた。
いつでも笑顔の、完璧な王子は。本当はどこにも存在しない。
「はぁ」
私室で一人。大きなため息を吐く。息が詰まる。窓を大きく開け放つ。
夜空には、綺麗な星が輝いている。
「ステラ」
(今、何をしている? 誰を、想っている? 君に会いたい。今、すぐに――)
「うっ……ゴホッ、ゴホッ……カハッ」
胸の奥から湧き上がる血の味。口元を抑えた手が赤く染まっていた。
「はっ……ハハッ。あはははは!」
(何という有様だ。婚約者など、必要なさそうだ)
「テミス」
守護神を呼び出す。
「私は――あと、どのくらい?」
テミスは切なそうな顔をして答えた。
『私には、見えないわ』
「そうか」
優しい眼差しをテミスに向ける。
「ありがとう」
黄金色に輝く瞳を細めて微笑んだ。
「大変です! 魔獣が! 魔獣が現れました!!」
「何?! 何処だ!」
「王都の北、ボレアスの森です!」
「全騎士団に告ぐ。討伐の準備をせよ!」
突然、城内が騒がしくなる。
廊下に出ると、騎士たちが慌ただしく行き交っている。自分に気付いた近衛騎士が駆け寄ってきた。
「殿下!」
「聞こえていた。――魔獣か」
「はい」
「私も討伐に参加する」
「承知いたしました。準備いたします」
「頼む」
今は、すべてを忘れたい。
この孤独な想いも、苦しみも、虚無感も。
第一王子が内側を治め、第二王子が外側を征す。それが、この国のやり方だ。愛する人がいる、この国を護る。自分のこの手で。
完全無欠の王子は、象徴として存在しなければ。
それが王子として生まれた自分の使命だと、そう自分に言い聞かせて。
(頼む。命よ、もう少しだけ永らえて――)
護れるものは、護り抜きたい。愛するものを、愛したままで。――どうか自分の想いが届くように。
完全無欠の王子はたった一つの愛が欲しかった。