93. 兄弟の関係
アトラスは常に劣等感と羨望を抱いていた。
彼よりも魔力があり、魔法技術に長けた三つ下の弟と、言いたいことを言え、自由奔放に育った五つ下の弟。二人とも自分にはないものを持っていた。
このままプレアデス家の嫡男として、自分が家督を継いでも良いのだろうか。
彼はいつも自問自答していた。
継ぐならばシアンの方が良いのではないか、と。そして、それをアインのように、はっきり言えない性格を恥じていた。
確かに《水魔法》直系の血を引いているから他者より秀でているのだが、同じ歳で学友のヴェガードやザニア、エウロス殿下と比べてしまうと、遥かに劣る。体力や武力なら少しはマシだが。
自分の名前も好きではなかった。
『アトラス』その意味は『支える者、耐える者』。
王立魔法学園、最終学年の召喚の儀式。
自分に現れた守護神に背負うものがさらに大きくなったのを感じて、息が止まりそうだった。
――『軍神アレス』。
あまりにも自分に相応しくない守護神に、苦笑いしか出来なかった。周りの自分を見る目が、日に日に、強くなっていく。期待と羨望と憧憬の重圧が。
第一近衛騎士。
学園を卒業後、就いたのは王族を一番近くで護る近衛騎士。プレアデス家は代々、王家『裏組織』の《防御》を担っている為、騎士団長として、その名を連ねている。同じく王家『裏組織』の《攻撃》を担うグラフィアス家と、交互に騎士団長を務めていた。未だに一騎士でしかない自分に、そこまで上り詰める技量も、素質もないと感じていた。
シアンであれば、あのヴェガードでさえ一目置くほどの存在だ。自分と比べるまでもない。しかし、シアンは性格的に騎士団には入らないだろうし、技術的な素質はあっても、司令を出すような団長職を務めることは難しいだろう。そして、自分にも技量がないとすれば、グラフィアス家のラサラスが適任か。どちらにしても、あと少しで彼らは卒業する。
ラサラスには人を見る目があり、その人それぞれに合った対応が出来る。あれほどまで上手く出来るのは、彼に何か特別な力があるとしか、思えない。そうだとしたら、ますます彼の方が適任だ。攻撃系の火魔法も得意だと聞いている。防御系の水魔法しか遣えない自分よりも、遥かに強いだろう。
何か自分にも心から誇れる能力があれば。
誰か自分にも心から護りたい人がいれば。
また違ったのかもしれない。
「大変です! 魔獣が! 魔獣が現れました!!」
「何?! 何処だ!」
「王都の北、ボレアスの森です!」
「全騎士団に告ぐ。討伐の準備をせよ!」
遠征の準備のため、一度、プレアデス家に戻ってきたアトラスは自分を待っていた人物を見て、呆然とした。
「ステラ? こんな夜遅くに、どうかしたのか?」
「アトラス様。こちらこそ、遅くにお伺いして申し訳ございません。お急ぎかと思いますが、お時間、少し宜しいでしょうか?」
物腰の柔らかさに、目を見張る。
昔から知っているが、今のステラは、本当に人が変わってしまったようだ。昔は、表情一つ変えず、話す言葉にもどこか冷たさが感じられた。しかし、今の彼女は、違う。ヴェガードが溺愛したくなるのも理解出来るほど、可愛らしさを含んでいる。
「ヴェガは知っているのか?」
「兄さまには、内緒です」
唇に人差し指を当て、にっこりと微笑む彼女に、ドキリとした。何とか、平静さを保ち、彼女と対面するように、向かい側のソファに腰掛けた。
「シアンではなく、俺に?」
「ええ、シアンには関係ないことなので」
「ん? ……それで?」
「今から、魔獣の討伐……でしょうか?」
「え……? 何故、それを?」
(今しがた発令されたばかりで、騎士団以外は誰も知らないはずの情報を何故、すでにステラが知っているのか?)
「急にこんなことを言っても信じていただけるか、わからないのですが……」
ステラは一度、口を噤むと胸に手を当て、深呼吸をしてから、また話し始めた。
「私には、『予知』のような能力がありまして」
「え……?」
「アトラス様がその魔獣に襲われて大怪我をされるという未来を見たのです」
「ええ?」
苦しそうな顔をしたステラに、自分の身を本気で心配してくれているのを感じた。
兄の庇護欲とは、この感覚なのか。今ほど、妹が欲しかったと思ったことはないだろう。
アトラスは自然と緩んでしまった口元を隠すと、ステラの頭をポンポンと優しく撫でた。ステラが、驚いた顔をする。
「心配してくれて、ありがとう。嬉しいよ」
アトラスはステラにふわりと微笑んだ。
「あーあ。俺も妹が欲しかったなぁ」
両手を頭の後ろで組み、ソファの背もたれに全力でもたれ掛かったアトラスに、ステラは、くすっと笑った。
「アトラス様は、とても素敵なお兄様ですよ」
「――え?」
「あんな弟たちを制することが出来るのはアトラス様しかいません」
アトラスはステラの瞳をジッと見つめた。
「何事も大切なのは『縁の下の力持ち』です!」
「……?」
「要するに、何をするにも土台が必要で。その土台がしっかりしていなければ、どんなに綺麗な建物であっても崩れてしまうし、どんなに高機能な武器であっても壊れてしまうのです」
ステラがにっこりと笑う。
「プレアデス三兄弟にはアトラス様という、最強に強力な土台があるので、安泰ですわ!」
驚いた。
自分が一番、誰かに言って欲しかった言葉だ。
――自分の存在が必要だと。
それは公爵家嫡男としてではなく、別にいなくても困らない者ではなく、自分自身が自分自身として必要だと――誰かに、そう認めて欲しかったのだ。
「ありがとう……ステラ」
今の自分は情けないほど気の抜けた顔をしているだろう。ステラはまるで天使のような笑みを浮かべていた。
「アトラス様、これを」
「……これは?」
ステラが腕輪の形をした魔法具を差し出す。
「左腕に付けていていただけますか?」
差し出された魔法具を受け取ると、左腕の二の腕辺りに付けた。ステラは満足そうな顔をする。
「これで、いいか?」
「ええ! バッチリです!」
「バッチリ?」
「ええっと、とてもお似合いです?」
「何で、疑問形? ……ぷっ、ハハッ」
慌てふためくステラに、思わず笑ってしまった。ステラはぷくっと頬を膨らませ、怒った顔をする。
何をしても可愛らしい。妹とは、本当に厄介だ。
これなら。討伐も上手くいきそうだ。今の自分は魔獣に負ける気がしない。
「ステラ。無事に帰ったら、また来てくれるか?」
ステラは『もちろんです』と、満面の笑みを浮かべて言った。
◇◇◇◇
「悪い。メラク」
「何ですか? 兄上。急に」
聖なる木がある丘から帰ったメラクに、ラサラスが突然、謝罪してきた。怪訝な顔をする弟に、兄は続けて言った。
「お前のこと、応援出来なくなったわ」
「……え? それは……どういうこと、ですか?」
ガシガシ頭を掻いて、バツが悪そうな顔をする。その顔を見て、嫌な予感がした。
「俺もステラを嫁に欲しい」
「はぁ?」
目を丸くした弟に、兄は苦笑いする。
「何で……急に? 一体、何があったのです?」
「ステラに惚れた」
「はぁ? ――何故?」
「今まで全然笑わなかったステラの笑顔を見たら――」
「………」
「あの笑顔が忘れられなくなった」
「へぇ……」
「アイツの大切な人の一人になりたいと思った」
メラクは『はぁ』と息を吐き、先ほど自分が馬車の中で考えていたことを思い出しながら、呟いた。
「血は争えませんね……」
ラサラスは意味がわからずに首を傾げた。