77. 兄と婚約者
風魔法の公爵家。
そのサロンには季節の花々が咲き誇り、みずみずしい香りをほんのり漂わせている。緑を基調としたソファに兄妹は腰掛けた。
「さて、ステラ。話というのは、何かな?」
穏やかな顔でヴェガードはステラに問いかけると、ステラの顔がみるみる曇っていく。その様子にヴェガードは思わず苦笑いし、しかめられた眉間を優しく突ついた。
ステラの顔がへらりと緩む。
「兄さま。私の婚約についてですが」
「うん?」
「学園を卒業するまで、決めないでほしいのです」
「え?」
ヴェガードは動きを止めた。
悪魔が原因の処刑ルートはなくなった。そして、聞いていた第二王子エラトスとの婚約破棄と断罪もすでにあり得ない。――それなのに、何故?
ステラは何に怯えているのか。
「この先が……見えないのです」
「どういう意味?」
「私は……消えてなくなるから」
「ああ、そのことか」
どこか少しホッとしたように笑ったヴェガードにステラは首を傾げた。
「それなら大丈夫だよ、ステラ」
「それは……どういうことです?」
「悪魔がいったのはね、ステラの魂がステラの身体に戻るのは、生きているうちには出来ないって意味なんだよ」
「え?」
「だからステラは――セイラは安心して、その命を精一杯、生きていけばいいんだよ?」
ステラの目からポロポロと、大粒の雫が溢れ落ちる。ヴェガードは困ったように眉を下げて、その涙を拭ってやる。
「私、生きていていいの?」
「もちろん」
「私、この身体で生き続けていいの?」
「もちろん」
「ううーっ、ヴェガ兄さまぁー」
抱きついてきたステラを優しく抱きとめ、慰めるようにゆっくり頭を撫でた。
(――ずっと、こうしていられたらいいのに)
ヴェガードの頭の中にそんな言葉が溢れ出した。
「ヴェガード様」
不意にかけられた声にチラリと目をやると、顔色一つ変えない従者が頭を下げている。
「――何?」
「プレアデス家シアン様がお越しです」
「そう、わかったよ。こちらに通して」
「畏まりました」
腕の中のステラがビクリと肩を震わせる。従者が下がると、腕の中のステラを覗き込んだ。
「どうしたの? ステラ。もしかしてシアンに会いたくない?」
下から見上げてくる瞳に庇護欲がくすぐられる。
(――ああ。このまま閉じ込めてしまいたい)
妹でなかったら。
ステラを――セイラを幸せに出来るのは自分だったのに。セイラは何故、妹に転生してしまったのだろう。それが悔しい。
せめてこのまま。シアンに見せつけてやりたい。
――兄と妹の絆を。愛を。
コンコンと、扉を叩く音。
そのままの体勢で『入って』と返事をする。
愛するステラをこの腕の中に隠したまま。
〜・〜・〜
ガゼボでのステラの様子が気になり、ヴェガードへの婚約の進捗も聞くため、アステリア家へと馬車を走らせた。
従者に案内され、サロンへ行くと、ヴェガードの腕の中に、まるで隠されているかのようにステラが収められていた。
「何だ? これは?」
驚いて、大いにしかめた顔に、今度はヴェガードが驚愕する。
「シアン、まさか……『呪い』が解けたのか?」
一瞬にしてわかるほど、自分の表情は変わるようになったのか。まったく意識していなかったので、こちらの方が逆に驚いてしまった。
「ああ。解けた」
「一体どうやって? ――まさか!」
ヴェガードは目を見開き、腕の中のステラを見つめた。ヴェガードの胸に顔を埋め、ステラは隠れたまま、顔を合わせようとしない。
「ステラ」
声色が変わる。
その声にステラはビクリと肩を震わせた。
ヴェガードは腕を解くと、ステラを自身の胸から引き剥がした。ステラは必死に目を逸らす。
その両頬を抑え、強制的に視線を合わせる。
「ステラ。君がシアンの呪いを解いたの?」
「………」
「正直に言って」
「……はい。兄さま」
「方法は?」
ステラが口を一直線に結ぶ。ヴェガードはジトリとした視線を向けた。
その視線を少しずつ、シアンに移していく。
シアンは驚いた表情をしたが、仕方がないという顔に変え、呟いた。
「口づけだよ」
ヴェガードは『はぁ』と、ひと息、大きく吐く。
「……やっぱりね」
「ザニアがした時点で気が付いていたのだろう?」
「まぁね。想像したくなかったけど」
大きく肩を落とした。
「でも――これでステラの身体の呪いも解けたのだろう? だったら、もう問題はないじゃないか?」
未だにがっちりガードされたステラにヴェガードが問いかけた。彼女は首を振った。
「呪いが解けたからこそ、ですわ」
ヴェガードとシアンは不思議そうに首を傾げた。
「私たちはもう自由。だからこそ、縛られずに好きなことが出来る。婚約者という立場でシアンを縛りたくないの」
ステラの想いに驚いた。
それでもシアンにはステラを離すつもりは微塵もない。ツカツカと側まで行くと、その手を引いた。ヴェガードから引き離し、自身の腕の中に収める。
「あの時、『撤回させるつもりはない』と、言っただろう? 忘れたのか? ステラも『撤回しない』と言ったな」
(お前を愛でることが俺の唯一の嗜みなのだから)
絶対に失わない。失いたくない。
絶対に離さない。離したくない。
「俺を愛していると言った。あれは嘘か?」
「嘘じゃない!」
下から見上げてくる真剣な瞳に、その言葉が真実だとシアンを安堵させた。
「それなら、俺と婚約しろ」
「学園を卒業するまでは出来ない」
「何故だ」
「ゲームの強制力が働くかもしれないから!」
「「――何だって?」」
シアンとヴェガードが同時に声を上げた。
ステラは俯く。
これまでも度々、ゲームの強制力に抗えない時があった。――もし婚約して、断罪されたら? あのゲームの中の、あの悪役令嬢ステラ・アステリアに戻ってしまったら?
今まで婚約者だったエラトスにしていた態度を、今度はシアンにしてしまうかもしれない。――強制的に。
覚えていないどころか、もはや知らないゲームの中に入ってしまっているのだ。強制的に進められたら、どうしようもない。今までも止める術はなかったのだから。
婚約者の存在がなくなってから、ゲームの強制力もなくなっていた。それに気が付いた。
だから、せめて卒業するまでは。
「わかった。卒業まで待つ」
シアンはステラをぎゅっと抱き締めたまま、今度はヴェガードに向けて言った。
「他の誰とも婚約させるなよ」
ヴェガードは額に手を当て、頷いた。
「僕にとってステラの幸せが一番だからね。婚約者が決まるまでは僕が責任を持ってステラを護るよ」
シアンの腕の中にいるステラが、虚ろな目をしていたことに、二人は気が付かなかった。
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